発達障害なう

ツイッターで、投稿したものをコピーしてあります。

【ご注意】このブログ(ツイッター含む)の文章の内容は、僕が障害を乗り越える過程です。現在進行形ではありますので、人によっては不快に思ったり、障害当事者の方は、フラッシュバックを起こす危険性もあります。文章で生々しく当時のことを再現しておりますので、閲覧される場合はじゅうぶんご配慮の上、自己責任でお読みください。また、自傷などは、一切僕はしておりません。
また、このブログに書いてあることは、あくまで、一障害者の発言であり、専門家の意見ではありません。僕の発言だけを鵜呑みにすれば、危険をともなうことになりかねません。そして、僕の文章は、全てを網羅するものでもなんでもありません。そして、発言内容を他者に押し付けるつもりもございません。その点、ご留意の上、お読みくださると幸いです。
【自己紹介】ADHD アスペルガー症候群 強迫性障害 反社会性人格障害 10才で診断。双極性障害は19才で診断。 小1からの出来事をツイートしています。発達障害関連無言フォローします。愛の手帳4(療育手帳B2)障害者手帳1級取得。精神年齢11才。亡母がアスペルガー・ADHD、現在19才。フリープログラマー♂ 2015年6月9日スタート

子供からのお願い

去年のツイートです。
短文ばかりです。




もしも子供に期待するなら
わたしの子だからと
期待するのではなく
人としての可能性を信じて欲しい

障害があって今やれないことも
やれないからと諦めないで欲しい
可能性まで諦めるなら
人はなにも育たないから
親が諦めず働きかけ続けることで
子供が成長するんだと思う
2015.12.04

もしも子供に期待するなら
わたしの子だからと
期待するのではなく
人としての可能性を信じて欲しい

障害があって今やれないことも
やれないからと諦めないで欲しい
可能性まで諦めるなら
人はなにも育たないから
親が諦めず働きかけ続けることで
子供が成長するんだと思う
2015.12.04

人から
指示されたり
注意されたり
命令されたら
誰だって嫌な気分だ

子供だってそう
毎日家で叱られたら
疲れてしまう

ダメでしょ、ではなく
こうしようね
と言われたら
聞く気にもなる

否定しないで
肯定してほしいんだよ
穏やかにね

親は人前で子供のことを
褒めることが苦手なのですか
謙遜しているのか遠慮しているのか
わが子をけなす人がいるけれど
隣に子供がいるときは
やめてほしいのです
うちの子はオデブちゃんだから
頭がよくないから
わざわざ披露しないで欲しいのに
言われた子供は泣きそうだ

子供が不適切な行動を取った時
世間様に恥ずかしい
あなたのせいで親が
恥ずかしい目にあった
そんなおかしなプライドを持ち出して
怒鳴らないで
自分のプライドが傷ついたからと
子供を人前で傷つけてしまうことは
あってはならない
理由を探ることが先だよね

褒められることは大好き
さすがだね 天才だね 素敵だわ 可愛いね
子供はもっと褒められようと頑張ります
でも褒め方にもタブーはある
せっかく褒めたのにもっと頑張ってもらおうとして他人と比べてみたり
いつもこうならいいわと嫌味を言うのは
褒めたことが台無しですよ


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一番辛い時期

母について、去今からちょうど一年ほど前、クリスマス頃にツイートしたものです。
この頃は、まだ、母を亡くしてから日が浅かったので、心の整理も出来ていませんでした。
体調もメンタルも調子が悪く、兄や妹の世話をしながら、自分を整えていました。
仕事は、休業していました。

今思えば、一番辛い時期だったと思います。

【2015年12月18日 ツイート】

部屋の片付けをしていたら、母の遺品がほとんど無いことに気が付きました。
服も下着もバッグも時計も使っていたブラシも食器も全てありません。
あるのは使っていない昔の携帯と、アクセサリーボックスだけです。
遺書もありませんでした。
写真は、まとめて引き出しの中にしまわれていました。

完璧に私物が片付けられていることに、今更気が付きました。
いつもバッグが掛かっていたフックに何も無いことにも、今気付いて驚いています。
洗面所も、歯ブラシだってコップすらありません。
おばあちゃんに聞いたら、服は、廊下にまとめられて置かれていたそうです。
袋二つ分だけだったみたいです。

僕は、母を亡くしてからバタバタとしていて、ほぼ事務所暮らしでしたから、家に帰ることが少なかったので、家の変化に気が付きませんでした。
母は入院する時に、全て自分の私物を、処分してしまっていたようです。
僕たちが大変な思いをしないように、配慮してくれていたのかなと思います。

飛ぶ鳥後を濁さず、というように、綺麗に片付けて逝ったのでしょう。
僕は、49日を過ぎてから、後片付けをしようかなと考えていましたが、
どうやらその必要も無いようです。
調理用具や、皆が使うものだけが残っていますから、大切に使いたいと思いました。

【2015年12月24日 ツイート】

【母について】
自分の我儘を通して思い通りに楽しんできた
親に心配をかけたり不運もあったかもしれないけれど
わたしはすべてを含んでも人生を楽しんだ
重ねる時の数で重さを測らずに
重ねる楽しさで測りなさい
ママは楽しかったわ
子供たち
一緒に楽しんでくれてありがとう
感謝しているわ

クリスマス前夜ですね。
僕はずっと母について、うまく言えませんでしたが、やっと心の整理もついてきたと思います。
ツイッターをはじめる前から、僕は母を失うことについて逃げてきました。
どうでもいいやとか、無理するからだとか、可愛い子供を置いていなくなるとは、酷い親だとも思いました。

残された子供はどうなるんだと、産んでおいて無責任だと思ったこともありました。
しかし、それを誰かに言うわけにもいかず、一人悶々としていました。
母はいつも僕たちの傍にいたわけではありませんでした。
病弱であり、入退院を繰り返していたので、小さい頃は子供たちは皆遠慮ばかりしていました。

子供である僕たちからしたら、見慣れない母は「知らないおばさん」であったのです。
特に妹は、真面目にそう思っていたそうです。
中学生になる前に、「知らないおばさん」から、「実はお母さんでした」となったそうです。
ですから、妹が母とまともに過ごせた時期は、僅かに6年ほどでした。

僕は一番たくさん母と過ごせたと思います。
僕はとても問題児であり、母しか受け付けなかった時期があったからでしょう。
そんな具合で、僕以外の兄妹からしたら、彗星のように現れた母は非常にセンセーショナルに見えたようです。とにかく強烈なキャラクターでしたので、当然子供は最初戸惑いました。

特に中学生だった妹は大反発しました。
それはそうでしょう。
いきなり知らないおばさんに、お母さん顔されたら、頭にくるでしょう。
一通りの反抗をしていましたし、僕から見てもアラアラという感じでした。
僕はどうなるかなと傍観していましたが、あっという間に妹と母は仲良くなり結束したのでした。

僕が思うに、母は「真剣そのもの」であり、反発する娘に対して「目を離しません」でした。
とにかく何事も誤魔化すことはせずに、「ガチンコ勝負」だったのです。
そして、良いところをいち早く見抜いて、褒めたりもっと良くなる方法をアドバイスしていました。
人として信頼を得ていったのです。

僕はそれを目の前で見ていました。
親だからとか、自分の子供だからとか、そう意識を取っ払って、人として向き合っていました。
そしていつも、「あなたが大好きだ。」と、言い続けていました。
ずっとずっと何があっても言い続けたのです。
そして、外部から徹底的に守る姿と、厳しさも見せました。

そんな見本のような強い母でしたが、だからといって完璧ではありませんでした。
そんな聖人のような人が居るわけがありません。
数え切れないくらいの失敗もしていました。
しかし、とっても自分と人に、素直だったと思います。
また、人生を楽しんでいました。
なんでもかんでも楽しいと笑っていました。

そう思って、ため息をついていたら、母が一番先に言ったことを話したのです。
僕の肩をポンポン叩きながら。
手をギュッと握って、笑いながらです。
「人間の欲は限りないわねぇ。」
と言いまるで、同志にするように、グッと僕の肩に手を当て、
「でも愛すべき人は憎めないわねぇ。」
とニヤリとしました。

「先に行くわ。じゅうぶん楽しんだの。一緒に楽しんでくれてありがとう。自分の身体が限界になったから、さようならの時が近づいていますよ。」

僕は、それをどう処理していいのかわからずに、ふっとツイッターを始めてみたのでした。
母を失えば僕はどうなるのか、僕にもわからなかったのです。

僕は、涙を流すことも出来なかったから、苦しさも人に素直に言えませんでした。
まるで、感情が詰まっているみたいでした。
本当は、とても悩んでいました。
大好きな母を亡くすことを認めたくはなかったのです。
だから、平気な顔をして「母語録」を書いていました。
現実逃避したかったのかもしれない。

現実逃避をするうちに、僕は平気だよ、まったく平気である。
人の気持ちなんか持ち合わせていない。
母を失ってもなんてことはない。
ノーダメージだ。
そういう渇いた心の中に、少しずつじわじわと、育ってきたものを感じました。
自分を見つめることで、素直な僕が大きく育ったのだと思っています。

最近よく言われるんです。
僕が本当に変わったって。
僕は最初はそうは思いませんでしたが、だんだん自分でも自覚するようになりました。
最初の頃はトゲトゲしくて、人を馬鹿にしたり、蔑んだり生意気で、やりこめることしか頭にありませんでした。
それが、柔らかく和やかに穏やかになったのです。

ありえないことに、利己的だった僕が人を助けることまでするようになりました。
いったい僕はどうしちゃったのでしょうか。
人が変わったようだとも言われます。
何がそうさせたのか、僕にはまだわかりません。
育った部分は経験を経たこと、自分を認めたことのおかげだとは思いますが。
不思議です。

ただし、だからといって、僕の思考の仕方や回路が修正されたわけではありません。
自分でもどうしようもありません。
そこが障害を受けているのだから、治しようがないのです。
以前書いたことは、まだ僕の中にどうしても存在はするのです。
それでも、僕はそれを含んだまま学んだのだと思います。

亡き母も天に逝って、僕は明日19歳になります。
最後の18歳の今日に、ぶちまけようと思います。
夜中だっていうのに、馬鹿みたいだけど、しょうがない。
今日だけにするんだから。
僕の愚痴は今日だけなんだから。
今までうまく言えなかったけれども、母が居ないことはとてもストレスです。

家にいると、タイムマシーンがしょっちゅう僕の脳内に現れます。
家族皆で居た時の笑い声。
歓声。
失った時間ばかり戻ってきます。
打ち消そうと、そこに溺れないように必死で掃除をするけれども、拭っても拭っても湧いて出てくる。
戻してほしいと何百回も思いました。
辛くて辛くて身体が震えてきます。

この辛さを乗り切らなければ駄目なんだと、自分に言い聞かせながら、コツコツ家事をします。
兄や妹の方が強いです。
淡々と自分を生きています。
僕が一番堪えています。
見習って頑張ろうと思う、流されそうになるの繰り返しです。
自分の人生を楽しもうと踏ん張ろうとしています。
まさに崖っぷちです。

そんな風なので、休業をしたのです。
仕事は今はほとんど出来ない状態です。
でも僕はこんな自分も良いと思っています。
きっと以前ならここまで凹んだりしなかっただろうから。
ヘラヘラ笑っていたかもしれません。
ああ、成長する過程かも、これでいいんだ、って感覚です。
試練なのでしょうね。

最後の18歳に、僕はきっと今までたいして長くは生きていないけれども、一番人間くさくて、弱くなっているかもしれません。
辛いけれども、こういう思いを知ることが出来て良かったと思っています。
知ることで、もっと強くなれると信じています。
母のように、人生を楽しめる人になりたいのです。



辛い中でも、皆でクリスマスをしました。
母は、クリスマスをいつも楽しみにしていましたので、
必ずやってね、と遺言で言われていました。


今日は、家族みんなで集まってクリスマスにしました。
兄貴は、やったことないくせに張り切ってケーキを用意し、お皿やらテーブルセッティングまでしてくれました。
僕は、チキンをケンタッキーで予約してあったので、取りに行きました。
妹はサラダを用意して、サイくんはシャンメリーを開けました。

ケーキのロウソクに火を点けて、みんな何を言っていいかわからずに、黙ってしまいました。
亡き母がイタズラしに行くからねと言ってましたが、もちろん何も起こらず、火はゆらゆらと揺れました。
サイくんに火を吹き消してもらい、ケーキを切り分けて食べました。
皆でクリスマスに集まるのは最後です。

それぞれ、ここから新しいそれぞれの道に歩いていきます。
母は、きっとそう踏ん切りを付けさせたくて、亡くなってすぐのクリスマスを皆で集まらせるために、パーティをしなさいと言い残したかもしれません。
家族で顔を合わせ、心新たに、生きるためにチキンを頬張りました。
美味しかったです。



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感覚過敏の料理提供について

僕が発達障害(アスペルガー症候群・感覚過敏)の兄に料理を提供する際に気を付けていることです。
人それぞれ、好き嫌いは違うと思いますが、兄は物凄い偏食で、いちいち煩いのです。
また、給食などは、小学生4年の2学期から、まったく食べれなくなりました。
人の刺激だったり、臭いが混ざることに耐えられなかったようです。

僕も同じでしたので、この時母は、
「二人とも、あんな美味しそうな給食に、いったい何が混ざっているというの!?」
と驚いたようです。
兄と僕が、給食を食べれなくなったのは、夏休みに教室の床にワックスを掛けたせいなのです。
その臭いが床に染み込んでいたため、給食の臭いと混ざり、気持ちが悪くなっていたのです。

そして、僕の個人的な考えとしたら、感覚過敏の人はあらゆるところで、感じるレベルが大きいのです。

普通は、ちょっとザラザラだとしたら、感覚過敏だと、全体が砂のように感じます。
ネチョネチョは、ベタベタ。

いろいろな特性にもよりますが、もし、子供さんへの食べ物の提供で、行き詰っていたら読んでみてください。
それと、食べないからといって、無理強いはせず、食べたいものだけ与えてほしいなと思うのです。
子供さんの好きなものを出して、与えれば良いだけです。

【全体】

温度に注意する。
熱いとビックリしてしまう。
食事を提供されると、すぐに食べたい(待てない)ために、適温にしてから出すこと。
ご飯(白米)の品種が違うと、食べなくなることがあるので、なるべく同じものにする。
また、炊き方にも注意する。

おかずを混ぜてしまうと食べなくなるので注意。
お皿に、付け合わせと肉料理など、一緒に置かないこと。

三角食べ(おかずを平均して食べること)が出来ないが、それについては注意しない。
口の中でいろいろな味が混ざるのが、とても嫌なので仕方がないのです。

サクサク音とか感触(きゅうりとか)、シャキシャキ音とか感触(生野菜など)が嫌な子もいる。

パサパサしたもの(水分の少ないもの)は嫌。(食パン・クラッカー・パイ)

蒸気が上がるものなどは、極端に味が混ざるので嫌。(冷ましてから提供する。)

最初の形から、形が壊れるもの、切り分けなくてはいけないもの(形が変わるのが嫌ホールケーキなど)は、嫌がるので、事前に切り分けておく。(原型を見せない。)

ピザなどは、丸ごとじゃないと嫌がる。
(半分だけとかは、怒り出して食べなくなる。汚されるのが嫌らしいのと、ピザとは丸だと思っているので、認識と違うためだと思う。)

食事中に刺激しない。(テレビなども絶対につけない。)
話しかけないこと。
食べることに集中しているので、ストレスになるようです。

兄妹の刺激が強い時は、別室で食べさせる、または、時間をずらすなど工夫をする。
僕は、兄が食べているときは、さりげなく別室に移動するようにしています。

ランチョンマットかトレーを使うこと。
自分の食べ物がどこまでなのかを把握したいのと、取られる心配がない。(不安がない)

食器については、扱いやすいもので、食べやすいものにすること。
箸だけでなく、場合によっては、スプーンを用意しておいてくれると助かります。

スプーンやフォークなどは、柄の細いものは扱いにくい。(モノの工夫・手先が不器用な子には特に)
指先の力の入れ加減がわからないので、ぎゅうぎゅう持ってしまうこともあり、食べている途中で手が痛くなってしまい、食べることを中断してしまいます。
そうなると、もう食べなくなるので、箸の代わりになるものは、なるべく提供しておいて欲しい。

兄の場合は、苦手なものを取り出す小皿を準備しておきます。
それは、「食べられないもの入れ」として、使用します。

兄は、コンビニ弁当や、おにぎり、カップ麺も好きです。
いつも同じ味なため、安心して食べられるようです。
手作りにするにしても、なるべく一定の味付けと見た目でないと、食が進みません。
特に、不安定だと感じたら、一定のものを出すようにしています。
手抜きというより、その方が、兄にとっては有難いからです。

【お肉】

食べやすいように一口大に切る。
厚さがあるものは、噛みきれずいつまでもモグモグしてしまい、喉に詰まらすので小さめにする。

薄い肉は、ばら肉はOKだが、脂身がないものは細かくする。
肉は口に対して横に大きいと、どうやって食べたらいいのかわからないので、細長くする。

(口の大きさがわからない、口の容量の限界がわからないため、たくさん食べてしまう。)

調子の悪い時は、ひき肉を使用する。
例 餃子、ハンバーグ、ミートボール、ピーマンの肉詰め、ロールキャベツなど


【野菜】

キャベツなどの芯は食べれない。(噛みきれない)
他にも硬いものは、食べれないものが多い。

見た目と感触が想像と違うと吐き出してしまうことがある。
同じく味もそう。

嫌だと言った野菜については、次回どこまで入れていいのか聞いてみる。
ダシを取るために必要な場合は、それも説明をする。
案外、提供するときに入ったままでもOKになることがある。
(自分で取り出すようになる)
例 カレーに玉ねぎを入れると、甘味が出るよ。→じゃあ自分で出すから入れていいよ。

ドレッシングなど、先にかけておくと駄目。(混ざって気持ちが悪くなる。)
豆腐も、醤油をかけておかない。(変色するため。)

口の中での感触がネバネバしていると食べれないことがある。
例 オクラ ナス 玉ねぎ シイタケ トマト 白菜

【魚】

必ず切り身にして提供する。
骨から取り分けることが出来ない。
また小骨を出せない。

焦がさないこと。(焦げると見た目から食べなくなる。)

【果物】

りんごは一口大に切る。(うまく齧れないため)
すいかは、楊枝ですべての種を取らないと気が済まないため、一口大にカットしてから提供する。
バナナは、いじっているだけでうまく食べれない。
皮をむけるものは、剥いて提供する。
そのままでOKなのは、みかんとアメリカンチェリーくらいかな。


他にもあると思いますが、とりあえず今思いついたことを書いておきました。
感覚過敏でもある兄には、無理なく食べれるようにこれからも工夫をしていくつもりです。


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