発達障害なう

ツイッターで、投稿したものをコピーしてあります。

【ご注意】このブログ(ツイッター含む)の文章の内容は、僕が障害を乗り越える過程です。現在進行形ではありますので、人によっては不快に思ったり、障害当事者の方は、フラッシュバックを起こす危険性もあります。文章で生々しく当時のことを再現しておりますので、閲覧される場合はじゅうぶんご配慮の上、自己責任でお読みください。また、自傷などは、一切僕はしておりません。
また、このブログに書いてあることは、あくまで、一障害者の発言であり、専門家の意見ではありません。僕の発言だけを鵜呑みにすれば、危険をともなうことになりかねません。そして、僕の文章は、全てを網羅するものでもなんでもありません。そして、発言内容を他者に押し付けるつもりもございません。その点、ご留意の上、お読みくださると幸いです。
【自己紹介】ADHD アスペルガー症候群 強迫性障害 反社会性人格障害 10才で診断。双極性障害は19才で診断。 小1からの出来事をツイートしています。発達障害関連無言フォローします。愛の手帳4(療育手帳B2)障害者手帳1級取得。精神年齢11才。亡母がアスペルガー・ADHD、現在19才。フリープログラマー♂ 2015年6月9日スタート

ツイッター投稿1

文章で感情わかりにくい。
顔でもわからないけど。ツイッターやったら、今度はここで誰かを怒らせるかもしれないな。
どうして怒るのかまったくわからない。
失礼なんだって言われる。礼儀がないとか。
だったら最初から言えばいいのに。

笑うところが違うって言われる。映画で人が死ぬシーンは、笑っちゃ駄目だって。
あと、先の予想を話しちゃ駄目だって。
死ぬとき変な顔しているから、笑ってるのに、みんな可笑しくないの?
映画では、本当に人死んでないよ。笑うとすごく睨まれる。

よくお握りには、母親の愛情が詰まっているって言うでしょう。
僕は苦手なのさ。愛情とか言われても、本当に入っているのか感じないからさ。
それに、手で直接握られたお握りなんて雑菌だらけで食べれないよ。
ラップで握っても温度管理ちゃんとしているのか、あれこれ不安になるからね。

母親が作ったお握りより、コンビニお握りは、衛生的に配慮されているし、何より機械が握っているからね、安心なのさ。
母親もわかっていて、お握りはコンビニで買ってくれるんだ。僕はその方が嬉しいのさ。

コンビニでね。会計は僕は出来ないんだ。欲しいものはわかるけれども、お金を支払うことは難しい。
計算が出来ないんじゃないんだ。
ただ、もし持っているお金が足りなかったらどうするのか不安で仕方ないのさ。
あと、いろいろ聞かれるのが苦手なんだ。
なんだか早くてよく聞き取れないんだよ。

コンビニの店員さんはとても丁寧なんだ。
ただ会計するだけじゃなくて、箸、フォーク、スプーン、ストロー、おしぼりいりますか?いくついりますか?
聞かれてもね。
聞き取れていないから、聞き返す事もできずに頭フル回転さ。
熱いの冷たいの分けますか?バージョンまである。思考が停止するからきつい。

もし僕が普通の子だったら、会社に行って働いて、彼女を作って、そのうち結婚して、親父になって、
ってなるんだろうね。
それはひとそれぞれ障害の程度にもよるだろうけど、僕には無理なのさ。
母親に言ったんだ。僕は次に生まれたらそうするって。
そしたら今のみらいが好きだって言われたんだ。

前日にチーズハンバーグを作ったのだがひき肉をこねることが恐ろしくてツンツンしていたが
そのうち慣れたら、面白くなり粘土のようにこねた。
夢中になって我を忘れてしまった。食べ物で遊ぶなと叱られた。
そして空気を抜く時に、お決まりのキャッチミス僕のハンバーグは、落としたヤツだ。

母親は、僕が料理をすることに大賛成だが、結局、まだ見張りが必要なので、僕の背後で監視している。
 二度手間ではあるが、僕の成長のため我慢してもらう。
洗い物は、まだ出来ないので、洗剤で漬けておいた。
殺菌と書いてあったのでハイターを散布しておいた。が、駄目だったらしい。


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昨日は、妹と食事が一緒の時間でした。
妹とはあまり時間が合わないので、僕はいつもよりも嬉しくてテンションが上がってしまいました。
僕は妹を構いたいのですがどう話していいのかわかりません。
今時の会話もわかりませんから黙っていました。
僕は妹にたくさん我慢をさせてしまった過去があるのです。

妹は、無邪気だ。
僕に気兼ねもせず、怖がらず、ちょこんと横に座るんだ。
 何か用事があるわけでも無く、ただそこに存在する。
話すことも無いから、顔を見つめるけど、ただ見つめ返すだけで、何も求めて来ない。
それだけでいいのなら、僕でも妹の期待に応えられそうだ。


僕が、自分のことを客観的に見れるようになったのは、妹のお蔭だと思っている。
母と居ても特性が似ているので仲間になってしまい、共感は出来るが客観視は出来なかっただろう。
妹は、僕があまりにも酷かったので小学生の時に祖母に預けられた。
しかし、僕が猫を飼い始めて落ち着いた頃から戻ってきた。

妹は定型でありどこもおかしくもなんともない普通の女の子だ。
母は、僕が猫に癒されおとなしくなった(牙を抜かれたのかも)のを見て判断したのか、妹との同居を決めたのだ。僕が中学三年の冬である。
妹は年子なので中学二年生だった。
妹の部屋を作ることになり、母と妹は嬉々として、掃除をしていた。

僕は、最初少しだけ不満を言った。
妹は、知らんぷりで取り合わない。
これがまた良かったのかもしれない。
僕が何か言うと
「ハイハイ、そうだね。」
と言うだけで意見を言ってこない。
母曰く、妹じゃなくってお姉さんみたいねとのことだった。
実際僕もそう思った。
僕は弟として、扱われるようになった。

妹とは小学生の時には、僕が暴言を吐き妹も応戦するといった具合で、さながら戦争だった。
周りから見ると、まさか兄妹には見えなかったと言う。
憎しみ合う二人。
親の仇うちみたいに見えたそうだ。
そしてまったく顔が似ていない。
僕は目つきが悪いし、妹は目がパッチリの美人で日本人離れした顔だ。

僕は、突然一緒の空間に居るようになった妹を何度も凝視し、においを嗅いだ。
クンクンする兄を妹は、やはりハイハイと受け入れてくれた。
髪の毛もクンクンいいにおい!僕は、腕にも触ってみた。
スベスベの肌は、母とはまるで違ってキメが細かくハリがあった。
僕は感嘆し、妹を見ると腕を触りたがった。

何故か妹は、嫌がらずに腕をスベスベさせてくれた。
僕は驚いた。
もしも僕がこんな仕打ちを受けたのなら、相手をブッ飛ばしているだろう。
しかし妹は違う。穏やかな反応を見せる。
これはどういうことなのだろうか。
僕が分析していると、妹はお構いなしで僕をナデナデしてくれる。
これはいったい!?

しかし、悪い気はしない。
僕は、毎日ウキウキしながら妹をスベスベし、その穏やかな反応を楽しんだ。
僕は、あれだけ小学生の時に敵対していた妹が大好きになったのだ。
そうなると、金魚のフンである。
学校から帰ってきて外のにおいがする妹に抱き付き頭をナデナデして、一緒に遊ぼうと誘う。

遊びは、僕の得意なゲームだ。
僕は、コントローラーを持って妹にも持たせるが、あまり関心は無いようだった。
それならばと、今度は絵を描こうと誘い、妹が描く絵をジロジロ見た。
見ちゃダメと言われ、頭を押さえつけられた。
普段ならここでブッ飛ばしているのだが、不思議とそうしなかった。

妹は非常に規則正しい。
朝は決まった時間にアラームで起き、学校に行く。
帰宅すると、僕にスベスベされてから、オヤツを食べ勉強も決まった時間にやり、寝る時間も21時である。
僕は、妹の行動を観察した結果、それは時計を見て生活をしていることに気が付く。
母も僕も時計なんて見ていなかったのだ。

母も妹が来てから時計を購入した。
リビングに置かれた電波時計が僕たちに時間の概念をもたらせた。
それでも、もっといっぱい遊びたい僕は、妹とDVDで映画を観ているときに、21時が過ぎてしまったため寝ようとする妹にすがり付き、もっと観ようよとせがんだ。
すると妹は
また明日。
と寝てしまった。

また明日、の言葉が僕を支配した。
明日って何。明日だって。
とブツブツ言いながら、思考した。
ということは、何も今無理して観なくても明日のお楽しみですよ、ということと、おまけに明日も観ましょうね、というセットになっていると思った。
これは、なかなか使えるなと、また明日、を覚えた。

翌日学校から帰ってきた妹に、また明日と言ったことを言いDVDを観た。
妹もニコニコしてとてもゆっくり観れた。
妹は上手に人との付き合い方を僕に教えてくれたのだった。
母は、僕にも妹にもおなじように接したが、妹には我慢させることが多かったように思う。
それには僕の知らないことがあったのだ。

母曰く、妹にはしっかりと僕の発達障害のことを話したのだそうだ。
そして、本を何冊か購入し、同居する前にしっかりと読ませたのだそうだ。
対応の仕方まで伝授していた。
妹にだって頭にきたことはあったはずだが、いつもニコニコ接してくれた。
母は、妹が僕のことで頭に来るサインを拾っていたのだ。

妹が、いっぱいになると、母は登場した。
上手に切り替えていたのだそうだ。
どういうタイミングだったのかは、僕にはわからなかったが、連携プレーだと言っていた。
僕は、ここだけの話、妹が学校に行くと姿が見えないので、あれ!?と探して、妹のベッドで寝たりしていた。
酷いシスコンぶりだ。

妹のベッドでスヤスヤ眠る僕を見て、妹はニコニコしていたのだと言う。
何故迷惑じゃないのかは、わからなかったが母はそれが兄妹っていうことなのよと言った。
同居を始めたばかりの頃は、こんな感じで妹にはずいぶんくっ付きすぎていた。
そこで僕は他者との距離感を受け入れることの大切さを知った。

同居も落ち着いてきたころ、妹が勉強をしているのを、僕は横で見ていた。
妹の字はとても綺麗で丁寧だ。
きちんとしていて読みやすい。
僕は数学の宿題を見て、あーだこうだと説明をしようとする。
しかし妹の解き方とは、全然違うので妹は混乱してしまった。
僕はストレートに答えを導くし妹は回りくどい。

だからね!と講釈を垂れようとしている僕に妹は言った。
「それはね、私にはわからない解き方なの。だから押し付けてはいけないの。」
ねっ!と言われて僕は黙った。
へぇ、そういう人もいるのね、とここでやっと違う考え方をする物もいるのだとわかった。
スラスラと鉛筆を走らす妹を見ているだけにした。

不思議なものだ。
小学生の頃、僕は妹に対して憎しみしか感じていなかった。
母を取られたくないというのと、邪魔されたくないのと、馬鹿にすると食って掛かってくる顔が面白かったのと様々だが成長した僕は、一切そうは思わなかった。
母は、やっと認めようって気になったのよ。
と言い
お利口ね
と言った。


妹と再度、同居出来て僕は嬉しく思っている。
時間を見ながら生活し、僕を認め、自分の意見も言う妹は、僕の宝物である。
今では高校生になりアルバイトして自分でしっかりお小遣いももらわずにやっている。
そして僕にはずっと優しくしてくれる。
母の同居の決断はタイミングが最高に良かったのだと思う。


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小学校時代1

【小学生一年~】

僕が普通ではないと最初に見抜いたのは、小学校一年生の担任の教師でした。
「貴方は物の考え方が子供らしくない。
大人のような考え方をする。」
と言われました。
「それと、わたしは先生なのだから先生と呼びなさい。
お前ではないし、ママでもありません。」
僕は、先生と認識した覚えはなかったので驚きました。

担任の先生、普通なら誰でも承知していることでしょうが、僕にはどうしても理解できず、
「僕が先生と認めないと呼べません。」
と答えると、
「貴方が認めないと先生と呼ばないのは、貴方から見たことです。
貴方は社会の一員なのです。
教わるものは、礼を尽くしなさいと仰られました。」
それで納得しました。

小学校で、友達と関わることを避けました。
同級生のことを頭から馬鹿にしていたのです。
様々な事柄にいちいちつまづく同級生を見て、
なぜこんな簡単な道理がわからないのだろうかと苛々していました。
子供らしさ故なのでしょうが僕には理解出来ませんでした。
いつも煩い教室が日々苦痛になりました。

僕は、授業中に答えを言ってしまい考える時間は勿体ないと勝手に電卓を持参し、叱られました。
電卓があるのに、何故計算を覚えなくてはならないのかしつこく質問しました。
すると先生は、
「貴方は道具に頼って生活なさるおつもりですか?それでは、賢いとは言えませんよ。」
と仰りやっと納得できました。

僕はいちいち面倒くさい人間となって行きました。
授業中質問を大量に浴びせ、ハイハイと手を挙げ周りの迷惑など感じませんでした。
周囲が見えなかった僕には、友達は見えず、ただの障害物にしか思っていませんでした。
僕は「障害物」を避けるため、ゲームのように交わすことを面白がっていました。

僕が先生を先生と認識しなかったように、母親を認識することも遅かったです。
僕にとって母親は、食べさせてくれる人というだけであり、母親を求めて泣くことは一切しませんでした。
人見知りをせず、誰でも良かったという感じです。
また、生まれたときから、目を合わせることをしなかったようです。

僕が言う発達障害というものは、最近、自閉症スペクトラムと一括され、
わかりやすいようなわかりにくいような、広範囲にまとめられてしまいました。
僕は、それを理解出来ずに、また名前が長くて嫌です。
ですから、ちゃんと理解出来るまでは、発達障害と連呼することが多いと思います。

ある日僕は、給食が突然教室で食べれなくなりました。
教室にも入れなくなりどうしても教室の臭いが違って感じられ給食もその臭いに混じってしまい吐き出してしまうのです。
臭いと言う子はおらずわかってもらえなかったのですが、後日ワックスをかけなおしたことがわかりその臭いだと判明したのです。

僕には友達が出来ず話しかけ方もわかりませんでした。
それでも気になる子がいると驚かすことで気を引こうとしました。
ちょうど階段の上で話をしているときに、
「ワッ!」
と押して、驚く顔がみたかっただけですが
その子はバランスを崩し転んでしまいました。
階段から数段落下足をくじいてしまったのです。

僕は、危険の予測ということが欠けていたのです。
階段など危ない場所で押したらどうなるか、それすら理解出来ていませんでした。
幸いなことに怪我は大事に至りませんでしたが、当時の僕は母親とその子の家を訪ねて謝罪に行ったのでした。
しかし、僕は何故悪いのかわからず謝ることが出来なかったのです。

僕は危険人物となりました。
友達になりたかった子は相変わらず優しくしてくれましたが、
僕はいじめることで反応してくれるのを、勘違いして楽しんでいました。
最終的には嫌われ話も出来なくなりました。
まだ、発達障害だということも判明しておらず
僕は学校に行きながらどんどん嫌われていきました。

それからはたくさん問題を起こしました。
ホウキを振り回し女の子に当たり眼鏡を壊したり、学校の授業中にどこかに行ってしまったり、
授業が終わっていても好きなことは集中していて止めたくないのでずっと一人で計算や絵を描いていました。
周囲の動きなどまったく目に入りませんでした。

体育の授業はボールを扱いますが、僕はひとり占めしてしまいます。
もちろん注意されるのですが、なぜなのかわかりませんでした。
ひたすらボールを抱きしめて、嫌だ嫌だを言いボールを離さない姿を見て同級生は困り果ててしまったでしょう。先生に取り上げられてしまい、悔しくて仕方ありませんでした。

学校に通学するときも問題を起こしていました。
よくまっすぐ帰りなさいと言われると本当に直線で帰ろうとし、比喩が通じないと言いますが僕もそうです。
人様の庭を通るわ、樹があれば登り、なるべく近道をしようとしました。
通学路なんて守りませんでした。
よくその姿を目撃され通報されたものです。

あまりにも酷い有様の僕を見兼ねて、スクールカウンセラーさんとお話ししましょう、ということになりました。
しかし、僕は突然初対面の人とうまく話せません。
それどころか、暴言まで吐いてしまうのです。
せっかく貴重な時間を割いていただいているのにもかかわらず僕は話そうとしませんでした。

カウンセラーは次の機会、ということで解放された僕は早速図工をすることにしました。
しかし同級生は国語の時間でした。
僕はそれはお構いなしです。
大声で呼びとめていたであろう先生を無視しさっさと絵具を持って中庭の樹を書くことに没頭します。
綺麗な緑をたくさん使って描く時間が大好きでした。

体育の授業で運動着を着用します。
僕は着替えは遅いですが自力で出来ました。
着替えビリとなってしまうのですが、必ず並んでいる列に割り込んでいました。
その日はなぜか参観日ではないのに、母親が来て観ていました。
僕は母親が来てくれるなんて、嬉しいと物凄くテンションが上がったのを覚えています。


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