【小学生一年~】

僕が普通ではないと最初に見抜いたのは、小学校一年生の担任の教師でした。
「貴方は物の考え方が子供らしくない。
大人のような考え方をする。」
と言われました。
「それと、わたしは先生なのだから先生と呼びなさい。
お前ではないし、ママでもありません。」
僕は、先生と認識した覚えはなかったので驚きました。

担任の先生、普通なら誰でも承知していることでしょうが、僕にはどうしても理解できず、
「僕が先生と認めないと呼べません。」
と答えると、
「貴方が認めないと先生と呼ばないのは、貴方から見たことです。
貴方は社会の一員なのです。
教わるものは、礼を尽くしなさいと仰られました。」
それで納得しました。

小学校で、友達と関わることを避けました。
同級生のことを頭から馬鹿にしていたのです。
様々な事柄にいちいちつまづく同級生を見て、
なぜこんな簡単な道理がわからないのだろうかと苛々していました。
子供らしさ故なのでしょうが僕には理解出来ませんでした。
いつも煩い教室が日々苦痛になりました。

僕は、授業中に答えを言ってしまい考える時間は勿体ないと勝手に電卓を持参し、叱られました。
電卓があるのに、何故計算を覚えなくてはならないのかしつこく質問しました。
すると先生は、
「貴方は道具に頼って生活なさるおつもりですか?それでは、賢いとは言えませんよ。」
と仰りやっと納得できました。

僕はいちいち面倒くさい人間となって行きました。
授業中質問を大量に浴びせ、ハイハイと手を挙げ周りの迷惑など感じませんでした。
周囲が見えなかった僕には、友達は見えず、ただの障害物にしか思っていませんでした。
僕は「障害物」を避けるため、ゲームのように交わすことを面白がっていました。

僕が先生を先生と認識しなかったように、母親を認識することも遅かったです。
僕にとって母親は、食べさせてくれる人というだけであり、母親を求めて泣くことは一切しませんでした。
人見知りをせず、誰でも良かったという感じです。
また、生まれたときから、目を合わせることをしなかったようです。

僕が言う発達障害というものは、最近、自閉症スペクトラムと一括され、
わかりやすいようなわかりにくいような、広範囲にまとめられてしまいました。
僕は、それを理解出来ずに、また名前が長くて嫌です。
ですから、ちゃんと理解出来るまでは、発達障害と連呼することが多いと思います。

ある日僕は、給食が突然教室で食べれなくなりました。
教室にも入れなくなりどうしても教室の臭いが違って感じられ給食もその臭いに混じってしまい吐き出してしまうのです。
臭いと言う子はおらずわかってもらえなかったのですが、後日ワックスをかけなおしたことがわかりその臭いだと判明したのです。

僕には友達が出来ず話しかけ方もわかりませんでした。
それでも気になる子がいると驚かすことで気を引こうとしました。
ちょうど階段の上で話をしているときに、
「ワッ!」
と押して、驚く顔がみたかっただけですが
その子はバランスを崩し転んでしまいました。
階段から数段落下足をくじいてしまったのです。

僕は、危険の予測ということが欠けていたのです。
階段など危ない場所で押したらどうなるか、それすら理解出来ていませんでした。
幸いなことに怪我は大事に至りませんでしたが、当時の僕は母親とその子の家を訪ねて謝罪に行ったのでした。
しかし、僕は何故悪いのかわからず謝ることが出来なかったのです。

僕は危険人物となりました。
友達になりたかった子は相変わらず優しくしてくれましたが、
僕はいじめることで反応してくれるのを、勘違いして楽しんでいました。
最終的には嫌われ話も出来なくなりました。
まだ、発達障害だということも判明しておらず
僕は学校に行きながらどんどん嫌われていきました。

それからはたくさん問題を起こしました。
ホウキを振り回し女の子に当たり眼鏡を壊したり、学校の授業中にどこかに行ってしまったり、
授業が終わっていても好きなことは集中していて止めたくないのでずっと一人で計算や絵を描いていました。
周囲の動きなどまったく目に入りませんでした。

体育の授業はボールを扱いますが、僕はひとり占めしてしまいます。
もちろん注意されるのですが、なぜなのかわかりませんでした。
ひたすらボールを抱きしめて、嫌だ嫌だを言いボールを離さない姿を見て同級生は困り果ててしまったでしょう。先生に取り上げられてしまい、悔しくて仕方ありませんでした。

学校に通学するときも問題を起こしていました。
よくまっすぐ帰りなさいと言われると本当に直線で帰ろうとし、比喩が通じないと言いますが僕もそうです。
人様の庭を通るわ、樹があれば登り、なるべく近道をしようとしました。
通学路なんて守りませんでした。
よくその姿を目撃され通報されたものです。

あまりにも酷い有様の僕を見兼ねて、スクールカウンセラーさんとお話ししましょう、ということになりました。
しかし、僕は突然初対面の人とうまく話せません。
それどころか、暴言まで吐いてしまうのです。
せっかく貴重な時間を割いていただいているのにもかかわらず僕は話そうとしませんでした。

カウンセラーは次の機会、ということで解放された僕は早速図工をすることにしました。
しかし同級生は国語の時間でした。
僕はそれはお構いなしです。
大声で呼びとめていたであろう先生を無視しさっさと絵具を持って中庭の樹を書くことに没頭します。
綺麗な緑をたくさん使って描く時間が大好きでした。

体育の授業で運動着を着用します。
僕は着替えは遅いですが自力で出来ました。
着替えビリとなってしまうのですが、必ず並んでいる列に割り込んでいました。
その日はなぜか参観日ではないのに、母親が来て観ていました。
僕は母親が来てくれるなんて、嬉しいと物凄くテンションが上がったのを覚えています。


ランキング参加中です。

両方押してくださると、僕こっそり喜びます!




にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 発達障害へ