僕は中学三年の冬になった。
僕は猫と奮闘しながら、高校のことを考えるようになった。
しかし、学校をロクに言っていないし、勉強もしていない。
文字も書けないとなると、養護学校高等部しか選択肢が無かった。
僕は、担任の先生と一緒に養護学校に面接に行ったりして過ごした。

養護学校では、作業をしたり社会に出る勉強が主だと言う。
僕はわからなかったが、そういうものなんだと思った。
母は、僕が養護学校に進めることを喜んだ。頑張って通おうね、と言った。
まだ、外出することは出来なかったがきっと行けるかもしれないと思うようにした。
不安になると猫を抱きしめた。

僕は、中学三年の二学期から、少しずつ母付添で学校に通うことになった。
多くて週に1回、そんな日が続いた。
学校では僕は数学のプリントをやったが、難しすぎてわからなかった。
習っていないのでわかるわけもなく、僕は詰まらなかった。
それに、国語なんてもっと難しい。文字が書けなかったのだ。

これはまずいと、先生はドリルを持ってきたがそれも難しい。
そこで、母が手作りで数学の問題を作ってくれるようになった。
僕は、計算は得意で、式を飛ばして答えだけ書いてしまう。
ひっ算なども頭の中でやってしまうからだ。
すると、答えは△となってしまい、納得できなかった。

問題が文章で書いてあると、これがさっぱり意味がわからない。
何を求めたらいいのか理解出来ずに答えが書けない。
だが、計算となると、ぱっぱと答える。
何度も式を書けと言われたが、意味がない答えはわかった、と繰り返して僕は書かなかった。
困りましたね、と先生は言うが僕は困らなかった。

国語と数学をやったが、国語はまるで駄目で、文章の感想を書けと言われてもまったくわからない。
漢字はだいぶネットで調べて覚えてきたが、書くことが出来なかった。
僕は漢字をパーツにしか見えなくて、全体を組み立てることが出来なかった。
サンズイが反対にくっついたり、左右反対が多かった。

鉛筆を上手に持つことも出来ない。
力を入れすぎて鉛筆が折れてしまう。
それならばとシャープペンを持って行ったが、ポキポキと芯を折ってしまう。
うまく筆圧を計算出来ず、母の作ったプリントが破れてばかりいた。
うまくいかないのでイライラしながら消しゴムで消すが、紙を盛大に破ってしまった。

そんなことをしながら、冬になっていたので、僕は腐っていた。
勉強をしたくても、書くことが出来ない。
どうしたって、シャープペンは折れてしまうし、紙は破れるし、字は書けない。
僕にとっては、不思議だった。
ネットではちゃんと話して文字を打ち込んでいるのに何故か書けないのだ。

母は学校に行く前に必ず勉強ファイルを作り、手作りの問題を作成して僕に持たせた。
それを夕方学校で週に一度やり、一時間だけ出席した。
僕が学校以外でも出来るようにと、たくさんプリントを作った。
僕のレベルに合わせて作っていくのだ。
プリントには必ず解説が入れこんであり、なかなか親切だった。

教科書とにらめっこして、一生懸命問題を作る母を見ながら、僕はプログラムの勉強もした。
国語はもうネットで文字が打てればいいやと諦めてしまった。
数学だけやった。
冬が終わりいよいよ僕の卒業式が近づいた。
先生は、是非参加してほしいと言った。
僕は小学校でも卒業式だけは出ていたので頷いた。

僕が中学三年になって、卒業式を迎えるまでにいろいろなことがあった。
いろいろ小学校時代のことなどツイッターに書いてきたが、結構鮮明に覚えているものだ。
あの時の先生の顔だとかセリフだとか。
特別に記憶力が良いわけではないだろうが、理解が得られない時などのことはしっかり記憶している。

中学三年の時の、支援学級の担任は、僕結構好きだった。
サバサバした若い先生で、屈託がない感じ。
裏表もなんにもありませんって印象だった。
いつも、僕が母手作りのプリント持参で登校(車でだが)すると、
「おう、おはよう!」
と元気よく迎えてくれた。
特に怒りもしないし、叱らない先生だ。

ある日、僕は先生との約束の日に寝坊をしてしまい学校に行かなかった。
母は起こしに来たが起きれなかった。
前日にネトゲを深夜までやっていたせいで、時間のペースが狂ってしまっていた。
ネトゲでは、相変わらず僕はマスターを務めていたが、どんどん大きくなってくる組織に面倒なことも増えていた。

僕がすっぽかした翌日、母に担任から連絡があったそうだ。
次の予定を立てるためだ。翌火曜日にとなったそうだが、僕は上の空で聞いていた。
頭の中がマスター業と、プログラムの勉強でいっぱいだったからだ。
その上学校なんて行っている暇がない。
それでも、母は火曜日に行くからねと念を押した。

そして、翌火曜日。僕が登校する時間は夕方の16時だ。
そして17時まで勉強をした。
だいたい、毎週一回だけ。それでも結構大変なことだった。
何故16時なのかと言えば、その時間なら部活動の時間になっているから、担任が手が空くよということだった。
しかし、外ではわあわあと人の声がしていた。

無事に起床出来た僕は、母の車で学校の裏門から入る。
すると、元気の良い声で、野球部やサッカー部が、掛け声をあげながら練習をしている。
僕は耳に手をあててなるべく聞こえないようにしてから、注意深く車を出た。
隠密のように、壁に張り付き辺りを伺ってから決意して歩き出す。

ピタッと張り付いてキョロキョロする。
ヨシ誰も来ない大丈夫だ。
まるでFPSのクリアリングみたいに、柱から柱にタタタッーと走る。
と、そこで予想外の出来事が発生する。
渡り廊下の向こうから、人がこっちに向かって歩いてきたのだ。
これはマズイ!
と僕は隠れる場所を探すが周囲にはなにもない。

しまった一生の不覚だ。
どうしよう。
慌てる僕は、後ろから付いてくるはずの母を目で探すが、何をしているのか、まだ追いついていなかった。
僕は、いつもダッシュで外壁際を走るので先に離れすぎてしまった。
策を考えたが、隠れるところなんてない。
どんどん声は近づいてくる。
うわ、どうしよう。

僕は、観念することにした。
そうだ、さりげなく、部活動をやっている人みたいに歩いていればいい。
隠れたら余計に不自然だ。
覚悟を決めて歩きはじめる。
渡り廊下の向こうからは、女性の声がした。
この期に及んで苦手な女性が来るとは僕はついてない。
そうだ、担任がひょっこり来てくれないだろうか。

先週、すっぽかしたんだ。窓から担任が顔を出しても良いだろう。
そうすれば、僕はちょっとホッとするのに。
教室まであと30歩。首を伸ばして覗いてみるが担任が外に居る気配はない。
今日に限って僕を迎えないなんて、なんでもかんでもついていない。
腹を決め歩き出す。
声はもう曲がり角の向こう側だ。

あぁ、もう最悪だ。
人に会いたくないのに。
とにかく顔を逸らしていよう。
きゃあきゃあと甲高い声がして、女性が3人生徒だった。
なんでもう放課後なのに、渡り廊下なんて歩いているんだよ。
おかしいだろうと思いながら歩いているとちょうど渡り廊下と僕の進路が交差しているところに差し掛かった。

女性の声が止まった。
と、すぐに聞き覚えのある声で
「あれ、みらい。」
「どうしてここにいるの?」
おいおい何故名前を知っている、と仕方なく顔を向けると、その声の主は妹だった。
妹は、友人二人と何かを抱えて歩いていた。
びっくりしたような目で僕を見る三人を前に、僕は茫然とするしかなかった。

そうだ、すっかり忘れていたが、妹もこの学校の生徒だった。
二年生だ。
妹の友人二人は、初めて見るであろう男の存在に驚いたのか、目をパチクリしていた。
「何をしているの?一人で来たの?」
妹は質問をいっぱいした。
空気を読めよ、妹よ。
僕が、生まれたての小鹿状態になっているのがわからないのか。

当然何も答えられるわけもなく、完全に凍りつく僕。
妹の友人たちは、
「ねえねえ誰なの?」
などと妹に聞いている。
他人だと言うのだ。
お願いそうして。
期待を裏切って妹は
「お兄ちゃんなの!」
と満面の笑みで答える。
あぁ、終わった。
個人情報じゃないか。
と思いながらも、白目でその場に立っていた。

母は、ようやく僕に辿り着き、あらまあ一緒にいたのね、と呑気に言っている。
僕はその隙をついて、進行方向に歩き出した。
すると、やっと担任が窓から顔を出し、おはようと叫んでいた。
僕は、汗びっしょりで、ようやく入った教室でぜえぜえ肩から息をしていた。
担任は、丸椅子を用意してくれた。

後ろから母が来て、手作りプリントを担任に渡す。
僕は、さっきの遭遇で動揺してしまい、もはや勉強どころではない。
「いや、ちょっと待って。今日はもう無理だ。」
と僕は宣言し、カバンを下におろして机に顔を突っ伏した。
担任は、どうした?と聞いてきたが、そのうち放っておいてくれた。

週に一度、一時間だけ勉強しに登校する貴重な時間だが、僕は体調を崩してしまい、その日は何も出来なかった。
おまけに鼻血まで出してしまい、お腹も痛くなるし、早々と母が呼ばれ帰宅した。
いつも母は、登校中何があってもいいように、学校の駐車場で待機していたのだ。
まさか妹に学校で会うとは。

僕にとって、家族であっても、外の想定していない場所で会ったりすると普通に対応出来ない。
それがたとえ妹であっても、違う感じがして話せなくなるし、他人のふりをしてほしくなる。
おまけに、友人まで一緒だったのだから余計だ。
僕にはその当時には、どうしても出来ずに余所余所しいのだった。

妹にとっては、珍しい幽霊生徒の僕とバッタリ会うなんて、奇跡に近いことなのだろう。
喜んで友人に紹介したくもなったのだ。
しかし僕はロクに話せないのだから、おかしく思われたんじゃないかと気に病んだ。
それからは、妹にも会わないか更なるクリアリングをし、徹底して人に会わないように登校した。

そんな風に、中学の外壁を進行する方法にも完璧になってきた頃、担任が、僕に養護学校の話をしてきた。
僕は、ちょっと前に養護学校の高等部に書類の提出をし、進学する手続きを済ませたのだった。
しかし、合格の発表はまだ先だったのだ。
ちゃんと身体のリズムを整えておくんだぞ、と言っていた。

母は、養護学校に僕が行くことを喜んでいた。
普通の高校には絶対に行けないし、養護学校だったら社会的なことも練習したりして学べるからね、と言っていた。
僕は、養護学校で何をするのかよくわかってはいなかったが、このまま中学を卒業して、ずっと家に居るのもまずいかなとは思っていた。

世間では、ニートという言葉が流行り、僕もネトゲばかりやっていると、
「お前ニートだろう。」
などと、言われることがあった。
そのたびに否定してきたが、中学を卒業して、どこも所属しないとなると、ニートになってしまう。
それだけは、避けたいと思った。
なんとなくニートになりたくなかったのだ。

母は、
「みらいは、障害もあるのだし、何も無理して頑張らなくてもニートって言わないんだから大丈夫よ。」
と言っていたが、僕にとってはそれは信じられなかった。
働いたら負けなんて言葉も、ネトゲではよく聞くフレーズだ。
僕の仲間にだって、働いてなくてネトゲばかりしている人もたくさんいた。

ニートの仲間はどうやって生計を立てているのかを知ったのは、本人の口からだった。
働くのが嫌で、両親と一緒に暮らし、いろいろ支払もしてもらっているのだそうで、食事も上げ膳据え膳だ。
僕は、特に何を言えばいいのかわからずに、ホウホウと聞いていた。
そこで、余計なことを言うつもりもなかった。

働くなんて馬鹿馬鹿しい。
時間は全部俺のもの。
生活保護の方が働くよりもたくさんお金をもらえる。
そういう言葉がよくネットでは飛び交っていた。
特に身体の障害も無く、精神はなんともなくても、世の中はワーキングプアだからねと働くのをやめてしまうものも居た。
若い人も中年も働かない人が居た。

僕はそういう人たちとネトゲで話しながら、チームを強くしてきたが、どうしても働かないということが理解出来ずにいた。
働けないのではなく、働かないのだから、ズルをしているのか、人間関係が面倒なのか、様々な理由の人がいた。
僕はまだ中学生だったし何も言われなかったが、心配になってきたのだ。

もし僕が養護学校に行って、少しでも社会性のスキルを身に付けたら、もしかしたら働けるのかもしれない。
これはとにかく養護学校に行かないと大変なことになってしまうと思った。
すると担任が
「じゃあ電車に乗る練習をしようか。」
と誘ってきた。
僕が通うはずの養護学校までは、電車で行くと言うのだ。

僕は即座に、担任の言葉に承諾をした。
「やるやる。電車に乗らなくっちゃ。」
よし僕だって電車くらい一人で乗れるに決まっている。
しかし、それにはルールを覚えたり、あれこれやらなきゃいけないことがあるはずだ。
僕はこれから、学校で勉強をする代わりに、電車に乗る練習を担任とすることになった。

電車はひっきりなしに動いている。
数分間隔で人を運び、吐き出しては呑み込んでいる。
人ごみが苦手な僕、人の波の乗れない僕、こんな僕でも大丈夫なのだろうか、と不安になったが、何しろ担任と一緒なのだ。
まったく問題ないはず、と、当日は意気揚々と学校に行った。
母は、僕にSuicaを持たせた。

何度も確認はした。Suicaの使い方だって知っている。
改札にカードをあてればいいだけ。そうすると改札がパカッと開くんだから。世の中便利になったものだ。
これでどこにでも行けるんだ。
帰りも同じようにすること。
脳内でシュミレーションをして、僕はドキドキしながら駅に担任と行った。

駅は、言い表しようがないくらいの人また人。よくまぁ、これだけ人がいる。
しかし、僕は教わった。
カボチャだあれは、じゃがいもだ、もしかしたら、キャベツだ。そう思うんだ。
目玉がギョロッとこっちを見てもあれは野菜だから。
野菜は僕を認識できない。
そう思うんだ。
うまくやろううまく出来る。

担任は、僕のすぐ隣にピッタリと張り付き、僕の緊張を紛らわせようと、ゆっくり歩いていた。
僕は持たせてくれたカード入れを何度も手で感触を確かめ、よしあるなこれでよし、と思っていた。
どんどん駅の中に入り、人はたくさんどっと溢れてくる。
僕は、キャベツキャベツと呪文を唱えながら歩いていた。

ここからあそこに行ってどうのこうのと、担任が線路図を指さして経路の説明をする。
もちろん僕の耳には届いていない。
こんな雑踏では、人の声なんて僕には聞き取れない。
ガヤガヤどんどん大きくなる音や声に、僕は我慢した。
そしていよいよ改札口が近づいてきた。
人は、川の流れのようになっている。

改札にどっと集中し、スムーズに一人ずつ流れては、また拡散されていく。
カードをかざして、ピンポーンと鳴って、どうぞ電車にお乗りくださいの合図が出る。
うまくやろう。
僕は、皆と同じように、カードからわざわざSuicaを出して手に持った。
そして、僕の番だ。
改札にかざそうとタッチする。

と、ここから僕、ほとんど真っ白になった。
結局僕はなぜか通れずブッブーッという感じで赤くなってしまい、固まってしまう。
人の波は、この通りだけ詰まってしまい、担任が再度やろうと僕の手からカードを取る。
僕は、急に目が覚める。あ、野菜じゃない。
人がいっぱいいる。そうなるともう駄目だった。

そう、我に返る感じ。
今までは、夢を見ていた。
颯爽と駅を歩く僕。
まるで学生が学校に通うみたいに、買い物を楽しむみたいに。
でも、僕は夢から覚めてしまった。
急に目に入ってきたのは、僕を見る人。
目玉はやはり人間のものだった。
僕は、担任の腕にしがみつき、恐怖に怯えてしまった。
帰ろう帰ろう。

担任は、僕の様子を察したのか、
「帰ろうか、今日はここまでだ。」
と言い、僕の腕を掴んで足早に歩き始めた。
僕は、フードを被り、物凄く隠れたい衝動を我慢して歩いた。
学校に戻ると、少しホッとした。
母が迎えに来てくれ、担任から改札での出来事を聞いている。
僕の電車デビューは、やれなかった。

ゆっくりでいいのよ。
失敗した僕をなぐさめるように、母は言った。
僕は返事したが二度とやれる気がしなかった。
これでは大変だ。僕は、この先が不安になったが、まだ諦めたくなかった。
次はうまくやろうと心に決めていた。

☆養護学校高等部(母がなぜか養護学校と連呼していた)=特別支援学校高等部


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