今日は、僕(発達障害と反社会)から見た、自殺についてツイートしたいと思います。
苦手な方は、スルーしてください。
(残虐なことは、僕は発言しません。)
そもそも、何故こんなことについて、僕が言いたいのかといえば最近、
子供がイジメで自殺するという痛ましい事件があったからです。


※僕がツイッターでツイートしながら、一気に考え書いた内容です。※
※僕からの視点になりますので、その点ご留意ください。※


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ツイッターでもその件について詳細が出回っていました。
僕は正視すると怒りが爆発しそうだったのでわずかしか情報を見ていません。
何よりも怒りのコントロールで、苦労している僕は世間の情報をなるべく観ないようにしています。
何故僕が怒りのコントロールをするのかと言えば自分自身を守るためです。

僕は、感情の種類が少ないせいか、自身の中に怒りが発生したら、すぐに剥き出しにしてしまう。
温度が急上昇しちゃうのです。
カァーっとなりやすいんですね。
激情する性質は、反社会からだと思います。
すぐ沸点越えします。
事件を目にしたり聞いたりすると一気に怒りに達してしまい暴走してしまう。

別に自分は関係のないことなんだから、あなたが怒ることも影響されることもないじゃない?
と思われるでしょうが、僕は感情だけが自分を支配してしまい、冷静で理性的な判断が鈍るのです。
すると精神が不安定になってしまい、怒りだけが先走ってしまう。
どこまで行っても怒りしか感じなくなってしまう。

そして、この世の中が全部嫌になってしまう。
と言う風に極端です。
そんな激しい僕が自殺を考えたことがあるのか、と言えば考えたことがありません。
障害特性で先のことを読むことが出来ないし、利己的なのですから、死を考えるわけがありません。
しかし、まったく危険性が 無いわけでもないでしょう。

それは、感情の暴走から来る【発作的】なものだと考えています。
その【発作的】に僕が死なないよう、自分を自衛するために、あらゆる刺激を遠ざけているのです。
そうすれば、僕は、自殺の危険性から、自身を守ることが出来ます。
僕にとって一番の脅威は、この【発作的】な衝動だとも言えます。

では、何故人は自殺をするのでしょうか。
僕は事件を聞いて興味を持ちました。
そして、疑問に思ったのです。
自殺は人間が選択する死に方の行為のひとつです。
人は自殺を考えたり、突然死にたくなるには、必ず理由があると思います。
それは、死にたいからではなく、生きるのが困難になったからでしょう。

僕は、死=使えなくなると捉えます。
もしも、家族が死んでしまったら、今までは動いていたのに、停止してしまった。
となると、もう使えなくなる。
僕が困って解決法を知りたくて母に聞いても、停止してしまえば耳も脳も使えなくなっています。
それでは、僕が母から知恵を授かることが不可能になります。

故に残念です。
モノもそうですね。
CDプレイヤーだってCDを読み取れなくなったらダメですし、スピーカーが壊れてもダメです。
故に残念になる。
死というものは、停止なのですから、この世に生きている人と関われなくなります。
僕が死を考えるとしたら、僕がこの世に使えなくなることだ、となります。

しかし、僕は自分が使えなくなることを、使いながら考えません。
新しいパソコンだったら、このパソコンが使えなくなるかもなんて、考えながら使いませんよね。
しかし、老朽化してきたら、そろそろ寿命かなと考え始めるのです。
それが、人間も同じで老化とともに自身の肉体が不安になってきますよね。

肉体的に、老いてからする自殺(肉体への不安)と、
前途ある若い人の自殺(精神的な不安)とは、種類が違うということですね。
そんな理論で、まだ僕は新しいから死を考えないのです。
先の心配は出来ないのですから。
そして、僕が老いたらとしたら、やっぱりその時だけを生きるんだと思います。

それが何故断言出来るのかと言えば、
僕が「刷り込みが無いのと心の余裕」を育て持っているからです。
それは、僕が障害があるからではありません。
ですから、僕は【発作的】な部分だけをカバーすれば、自殺はしないことになるのです。
では、その【発作的】な部分について考えてみたいと思います。


【発作的】

では、肉体的に何の問題もない子供は、理論的には、自殺を考えるわけがないはずです。
それなのに、新しい命・若い命は、何故自殺をするのでしょうか。
発達障害の二次的な障害や、定型の方でも、精神的なストレスで、自殺を考えることがあります。
そこに【発作的】な行為が絡んでくるのです。

僕もそうですがストレスを浴びると、何をおいてもまずはその場(または原因から)から立ち去りたくなります。
人間に備わっている防衛本能だと思います。
精神的ストレスが、自分のキャパシティーを超えるような、モノなら自衛本能が働くのでしょう。
そして【発作的】に、離脱するために実行してしまう。

自分が否定されたと考えれば、居場所を無くせば、様々な感情が爆発し停止したくなってしまう。
その場から立ち去りたくなるんです。
自分を停止したくなりこの場に居たくない。
イコール死に繋がってしまう。
若い人の自殺とは、生きることが嫌になるほどの精神的ストレスが圧迫されることの結果なのです。

【発作的】な原理については、説明が付きますがそれだけではないでしょう。
もうひとつの要因として、人には【刷り込み】があるのではないでしょうか。
もともと生まれて自殺願望のある赤ん坊なんて見たことも聞いたこともありません。
何故願望を持つのか。
それには、育つ過程で問題がありそうです。


【刷り込み】

いくら肉体が若くても、生きることは困難さが付きまといます。
この世の中は、まともに楽しく生きて行こうと思っても、思うだけではちっとも楽しくはない。
どれだけ自分の命の限りで、全力を尽くしたとしても、どうやったって、
家族や周囲の期待に応えることも出来ない場合だってあります。

努力が報われなかったり、絶望したときにもう努力はいいやって停止を考えたっておかしくはないですね。
何故なら自分が社会に存在することが、迷惑と認識し他者のために生きることを止めようとするのです。
自分のことより人のことを考えることが出来るのは、素晴らしいと思います。
僕には到底無理です。

しかし故に命を絶ってしまっては元も子もありません。
またその他者のために死ぬ人もいれば、他者のために生きる選択をする人だって居るのです。
僕は、この世に存在するのは迷惑だから居なくなったほうがこの世のためだ。
僕は、周囲のお世話になった人の期待に応えるために全力で生きなければいけない。

その2つの考えに精神的なバランスを崩せば、偏った選択をしてもおかしくないのです。
幼少期から、この2つの選択において刷り込まれている人だっています。
親に「お前は不要だ。」と言われ育った子。
親に「お前は必要だ。」と言われ育った子。
そうなるとその刷り込みを取り除くのが先になるでしょう。

そう思い込ませた療育なり、教育を取り除くのです。
必要だの、不要だの、人にはあてはまらないからです。
何故かと言えば、人は、そこに「命があって存在していること」
だけが事実であって、そこに事柄は何も無いからです。
僕は、母から何も教わっては居ません。それは教わる意味がないからです。

人は親から生きることだけ教わればいいのです。
では、この【発作的】なことを防止して、【刷り込み】も取り除いたらこれで良いのでしょうか?
僕はこれだけでは、不十分だと考えます。
それは、人というのは、非常に繊細に出来ており、
これだけで肉体と精神のバランスを整えられるとは思えないからです。


【心の余裕】

その繊細さをカバーするのが、【心の余裕】だと考えます。
死ぬのは誰でも恐ろしい。
その恐怖は、人に備わった肉体を守る自衛本能なはずなのに、
もうひとつの自分の精神を守るための自衛本能とのバランスが崩れれば一気に崩壊するのです。
この崩壊を防ぐのが【心の余裕】を持ち育てることなのです。

人はバランスを崩すと、自身のことを考える【心の余裕】などなくなって
【刷り込み】も手伝って思い込み、【発作的】に肉体の停止を選択してしまう。
【心の余裕】とは、肉体のことでなく、精神のことでなく、
自分を繋ぎとめる最後の【命綱】だと思います。
人間が生きていくには、これも不可欠なのです。

肉体と精神のバランスが崩れたときに、
もしこの【心の余裕】があれば、肉体と精神を補って、
自分の防衛本能のバランスが壊れても
この【心の余裕】に寄り掛かれることが出来るのですから。
これから先また若い命が、バランスを崩してしまい
【心の余裕】が育まれていなくて停止を選択する可能性もある。

そんな世の中にしてしまったら、前途ある若い人を失ってばかりの国になってしまう。
肉体は、食べ物を食べていれば育つし、精神は経験と知恵と人の温かさで育つ。
しかし【心の余裕】は、自分を認めることでしか育たない。
自分の分を知り他者に対して常に感謝を忘れなければ人のことは気にならなくなる。

他者を巻き込んで自殺する人は、復讐心や恨みなども含まれている場合もあるでしょう。
存在を認めてほしい自己の欲求が激情してしまうのです。
しかし、実は、生きることに必要なものは、
他者に認められることでは無くて、自分を認めることだと気が付けば
復讐心や恨みは持つことの意味を無くすのです。

人は【心の余裕】を育てることが出来るのです。
そして、若い命には「心の余裕」を育てることもやっておいたほうが
この先逞しく、また自分らしく生きていけるのではないかと僕は思うのです。


これからの日本の前途ある人の自殺を減らすのであれば、
3つのことを実行すると良いのではないでしょうか。

【発作的な行動に至らないようにすること】(精神的なストレスをかけない)
【刷り込みを無くすこと】(療育・教育の時点で無にし、生きることだけ教えること)
【心の余裕を育てること】(自分を認め、他者に感謝すること)
だと、僕は思うのです。
これ以上、悲しい事件は聞きたくありません。

今日本では、自殺は社会問題となっております。
しかし、そのメカニズムさえわかれば、防ぐことは大いに可能だと思います。
僕から人を見たときにこう考察出来ました。
僕は願っています。
未来ある若い世代が、自殺という悲しい選択をしないように。
それだけをただ祈って、ツイートしてみました。




☆ツイート直後の返信より

プライドというものが、邪魔している。
しかし、社会性で、これをオン/オフして調整している。
と、言うものがありました。
現代社会では、そうやって自分を守らねばいけないシーンがたくさんありますね。

また、劣等感というのもありました。
たとえば、容姿であったり、貧困であったりというものです。
年令を重ねるごとに、解消が難しくなるので、厄介だとのことでした。

この二つとも、先に述べた【心の余裕】で補えるようになると良いですね。

社会性に乏しい僕には、わからないことでした。
教えて下さったtinker_imwydex!! さん、感謝いたします。



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