僕の「夜の住人」のイメージは黒いマントを羽織って、
手持ちのランプをつけて、月の灯りを頼りに、夜の街を歩いたり。
家の中は、柔らかな灯りだけをともして、
大好きなコーヒーと一緒にカタカタと仕事をして。
たまに背伸びして自分を思ったりね。

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※このツイートの投稿でイラストを描いていただきました。
もち@ADHD @mochi_adhd  さん
感謝します!


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【昼夜逆転について】
僕はいまでも、普通の生活リズムで過ごせない。
「睡眠リズム障害」と診断されているのだが、
毎日いつ起きるのか寝るのか本人もわからない。
だから明日の約束なんて不可能に近い。
身体のリズムが24時間でまわっていないのだそうで、
少しずつズレていく。
しかもランダムだ。

昼夜逆転しているのだから、当然学校には登校できない。
僕は中学時代~高校まで、登校は15時半以降でないと厳しかった。
朝っぱらから登校したら間違いなく身体が不調になり、
胃を壊し鼻血を大量に出してダウンしてしまっていた。
その後2週間は不調が続いてしまう。ロクなことがなかった。

周囲の人達は、僕が起きれないことを知っており、
特に無理はさせられなかった。
軽い安定剤が出たときもあったが、僕は飲まない。
母は、僕のその様子を特に咎めることはなかった。
いつもとんでもない時間に
「おはよう」な僕に対して「起きたこと」
自体を喜んでくれた。
僕はそれがとても助かった。

僕が、自分を分析すれば、あの頃いや今でもそうだが、
昼夜逆転には非常に大きな意味を持っていると思う。
通常、人間は朝起きて夜寝ているものだが、
それはあくまでも身体(肉体)の都合である。
しかし心を病んでいるのだからそれは後回しでも良いのではないかと思う。
心を安定させたいのだから。

僕は、精神的に不安定であり、心が未発達だ。だからこそ、
昼間の喧騒は、不安定さを助長してしまう。
昼間は、人が大勢活動しており活発だ。
嫌でもザワザワしており、いろいろな人の念まで
飛んで歩いているのではないかというくらい騒々しい。
まるで携帯電話の電波が大量に飛び交っているようだ。

そして、空が明るいうちは、僕の自己嫌悪が増してしまう。
自信満々の人々が自分を主張し大いに活躍している時間帯に、
自己否定満々&身勝手な僕が同じように息が出来るわけがない。
無理に起きていたら、世の中と僕を比べて更に
「いけない自分」「出来ない自分」
を盛大に追い詰めることになる。

昼間に起きていると、ポツンと孤独の中で「僕は社会世の中から、
全否定されており、受け入れられない存在である。」
と感じてしまい嫌になってしまう。
おまけに何もする気が起こらない
「無力感」
満載の僕は、この世の中には不要なんじゃないかと思ってしまう。
希望の光がどんどん吸われてしまう。

周囲が
「そんなことはない」
と何百回言ったところでまったくの無意味であり、
心にも届かない。
僕には太陽の明るさは刺激が強すぎて、落ち着くことも出来ない。
どこに隠れたってお日様は責めるように僕をあぶり出そうとする。
カーテンなんかなんの意味もない。
部屋を真っ暗にしたってダメだった。

ある日、僕は「闇属性」なんだと思うようになる。
だから太陽に弱いんだ。
太陽を浴びたら一瞬でケロイド状態になってしまい、
悲鳴をあげながら溶けて行くんだろう。
まるで神の光りを浴びた悪魔のように、あっという間に消滅させられてしまう。
そんなことになったら大変だ。
隠れなくてはならない。

また日中の子供の声や近所の人の声も、
耳を覆いたくなるような勢いだ。
元気な人々の声は僕に矢のように突き刺さり、
グサグサと心に穴をあける。落ち着かなくなり、
家の中でも居場所をなくしてしまう。
音はどこまでも追いかけてくるし生活音は僕を苦しめる。
お前は駄目なヤツだと聞こえるのだ。

僕はこんなに気配を殺し、自分を殺して生きているのがやっとだというのに、
昼間の人々といったら太陽の下で平気な顔をして深呼吸をしている。
あれがまともな地球人なのだ。
しかし僕は違うのではないか、地底人なんじゃないかとモグラにでもなりたくなってしまう。
暗闇はないか探しまくるのだ。

もはや昼間に住む人々は、僕とは違う生物である。
と勝手に認定するよりなかった。
そして昼間の人々には、目に付かないように感じないように、
僕は昼間をやり過ごすしかなかった。
心がこれ以上ぶっ壊れたら僕は制御不能になってしまう。
結果昼間は寝ているのである。
見なかったことにするのだ。

心を守るためには、夜の静けさが必要なのだ。
夜は、昼間の人々は寝ており、僕は天下を取った気分になれる。
少なくとも、僕と同じような人々は目が覚めているだろうが、
それは少数なんだから煩くは感じない。
自己否定を増加させないように、僕は夜に活動し、
勉強もしたり、ご飯も食べるのだ。

人間にだけ夜があるわけじゃない。
植物にだって、動物にだって、夜は訪れる。
腹を減らして狩りをするもの、身体を休めるもの、様々だ。
活動は昼と決めてかからなくても良いんだ。
僕にとっての太陽は、月でちょうどよかった。
太陽の光りを柔らかく間接的に照らしてくれると感じた。
星もそうだ。

感覚が鋭い僕だから、心にとって夜でちょうど良いと感じた。
間接照明のように、穏やかな光は僕を癒してくれる。
太陽は僕を焦がしてしまう。
月や星は僕を癒してくれた。
雨も汚れた街を洗ってくれるようだったし、風は僕を奮い立たせてくれるように思えた。
素直に自然を受け止められたのだ。

人は身体が疲れると、夜に休む。
それは自然の摂理であり、地球のリズムだ。
僕は心が疲れているのだから、心が昼間に疲れたら、昼間はお休み。
夜に起きていればいい。それは、いけないことだと思えば苦しくなる。
今の僕にはその夜の静けさが必要なのだからそれでいいと割り切ってしまった。

そしていっそのこと夜に活動出来る仕事をしようと考え付き今に至る。
僕の心は、太陽の光りではきつすぎるのはずっと変わらないだろう。
それなら、夜のハンターになればいいだけだ。
猫だって夜に大運動会をしている。僕も夜に元気になればいいのだから。
猫と一緒に過ごしていて僕はそう思った。

しかし、夜に癒されて、昼に戻る人だっていっぱいいる。
夜を有効に使えばいいだけなのだ。
一時期夜の住人になったとしても、まったく問題はない。
大歓迎する。もし昼夜逆転したとしたら、それは心が修正中なのだから。
時間はかかっても、壊れるよりはいい。
無理に戻せば悪化するだけだ。

心が疲れてしまった人、太陽がきつい人、自分を見直したい人、
いろいろな疎外感を感じて、停止してしまい傷を受けた心には、
夜は心の保養にちょうどいい。
ゆっくりと温泉に入るように、ゆっくりと休めるように、
自分を見つめなおすには、充電するには、
夜はきっと療養をさせてくれると思う。

家族が昼夜逆転しているのなら、
それはその人が心と立ち向かっているということなのだから。
猫の習性のように、認めてあげればいいだけなんだと思う。
僕もそう。
家族は誰も僕の習性を叱らなかった。
それがいつまで続くかなんて本人にもわからない。
いつかふっと太陽属性になるかもしれない。

今の僕は、夜の静けさを利用して、自分を生きている。
コンビニの灯りしか僕にはずっと無くたって問題はない。
Yahoo!のニュースが止まってあまり更新されないと安心する。
動いていない社会の中で僕は動く。
生きていることを実感出来れば、それだけで満足なのだ。
これからもずっと。




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