【いじめられていると言えない】

久しぶりにブログの更新をします。
ツイートはしているのですが、ブログにまとめるのが遅くなってしまいました。


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学校でいじめられている被害者だなんて、
被害者である子供は親や大人になかなか言い出せないものだ。
僕もそうだった。
理由は様々だ。
まず学校の先生が信用できない。
訴えたところで本当に助けてくれるかどうかが不安である。
切実な問題なのだから軽くは口に出来ない。

そもそも、いじめられているのかどうか、最初はわからない、
いや、認めたくない自分だっているのだ。
クラスメート全員に無視されたとしても、
もしかしたら勘違いかもしれないと思うのだ。
まずは様子を見てみようと思うのだ。
そして、もしもいじめられていることが事実なら、更に言い出しにくくなる。

いじめられている自分はみじめである。
そんな姿を誰が堂々と言えるだろうか。
どんなに明るい子供でも、暗くなってしまう。
自分への自信も無くしてしまうし、
もしかしたら何か自分が悪いのではないかとさえ思ってしまうだろう。
だからなるべく隠したい。
自分を極力守りたいし家族だって守りたいのだ。

子供なのに、家族に迷惑をかけたくないなんて思うこと自体
驚くかもしれませんが、ところが子供はしっかりと考えているのです。
自分のせいで家庭が暗くなることは避けたいし、親の期待に背きたくはない。
食卓で暗い顔も出来ない。
極力笑って僕は学校は楽しくて仕方ないと演出せねばならない。

朝、母親に玄関先で送り出されれば、
僕はランドセルを背負って明るく
「行ってきます。」
と言い出かけねばならない。
何一つ母に見抜かれてはいけないからだ。
たとえ、学校に行きたくなくて足が重くても、通学路を歩くしかない。
道草も食いたくなるが、いつまでもブラブラしているわけに行かない。

校門が見えてくれば、覚悟を決めるしかない。
吸い込まれるようにトボトボと歩き、玄関に入れば憂鬱のはじまりだ。
靴を履こうと屈めば、ランドセルがカタカタと言う。
母が用意してくれた筆箱が鳴る。
僕は見えない期待に応えるためにこの後何時間も辛抱し、
耐え続けなくてはならない。
歯を食いしばる。

僕がもし、嫌になってこの場を逃走してしまえば、
せいぜい弱虫と言われ、いじめはさらに悪化するだけだ。
いっそのこと、何もなかったことにしたいくらいだ。
自分の名前を答案用紙に書きながら、この名前を捨てたくなる。
僕は僕でない、違う僕になりたくなる。
「探さないでください。」
という心境だ。

涙のひとつも出ない。
きっと涙も凍ってしまうのだろう。
教室は冷凍庫のように冷たく、クラスメートは能面のような顔にしか見えない。
母は、僕に友達のことを聞くが、適当に返事をして嘘をつくしかなくなる。
まさか、友達がいないとは言えない。
無意識に親を悲しませてはいけないと思うからだ。

僕は、クラスメートに対してうまく付き合えなかった。
それはその当時まったく自覚が出来なかった。
今でさえまだ自分と闘っているというのに、小学生で自覚できるわけがなかった。
そこまで心が育っていないからだ。
それを自分で認めることも出来ずに
わけがわからないのだから、混乱するしかなかった。

自分でもいったい何が起きているのか。
自分は排除されようとしているのかは、薄々は感じていても、それを公には出来ないのだ。
子供にだって、どうしても守りたいものがあるからだ。
うまくやれない自分のせいで大切な家族をがっかりさせたくはない。
飼っている犬にくらいは言えるかもしれないが。

僕に対して同情的なクラスメートだっている。
しかし僕は巻き込みたくはない。
自分のせいでその善い人が攻撃対象になってしまって苦しめたくもないからだ。
僕の味方になってはいけない。
離れるようにそっと言うしかない。
関係ないだろうと突っぱねるしかない。
僕はなんともない大丈夫と言うしか無い。

面白がる者もいる。
遠巻きに眺めているのだ。
クスクスと笑っているもの、はやし立てるもの。
僕から見たらそのクラスメートは加害者と同じだ。
見て見ぬふりをする者もいる。
その者からして見たら僕のことはもう居なくなったも同然の扱いなのだろう。
だから僕も同じだ。
教室で何も感じなくなってくる。

家族の知らないうちに、心はどんどん傷が深くなり、心は無機質になっていく。
家では普通にしていても、休日は笑っていても、
月曜日になれば現実に引き戻され笑顔はなくなる。
そのうちに塞ぎ込んでしまい、隠しようが無くなってくる。
先生に言ったとしても、解決は難しいと思い込んでしまう。

なぜ思い込むのかと言われても、どうしようもない。
子供なりの判断だからだ。それに最善を尽くすもくそもない。
そうして生まれてくるものがある。
怒りと恨みだ。
芽生えてしまうのだ。
二度と許せない。
僕を排除しようとしたクラスメートは
全員居なくなってしまえば良いと思うし和解なんてありえない。

和解なんてありえないのだから、もはや先生に言いつけることもなくなる。
僕が許さないのだから話し合っても無駄なのだ。
僕は他者を信用しないのだから余計にそうなってしまう。
大人に言えばよかったと軽々しく提案しないでもらいたい。
言えるものならとっくにこうなる前に言っている。
そうだろう?

いじめの陰湿さは年とともに増していく。
子供は残酷なことを平気でやるのだ。
僕はそのいじめについて子供の社会だけではなく
大人の社会にも蔓延していると思っている。
人はいじめるのが大好きなのだろうか?
身勝手な支配ゲームをやって優越感に浸りたいようだ。
他者を犠牲にしてまで何が面白いのだ。

大人の社会にもあるのだから、いつまでたってもいじめは無くならない。
根本的な解決を被害者の自発的な訴えにしか求めていないからだ。
「いじめられたら言いなさい。」
なんてまだ馬鹿なことを言っている。
だから弱者であるいじめ被害者の声はかき消されていく。
あきらめるしかなくなってしまうのだ。

そして何も罪もない子供が命を絶ってしまうのだ。
あきらめるしかないからだ。
自分に生まれてごめんなさい。
申し訳ない。
そして家族に謝罪し、恨みと怒りとともに、自分をあきらめるしかなくなる。
生きることに追い詰められてしまうのだ。
いじめは自発的ばかりに頼っては絶対に止めることは出来ない。

いじめが蔓延しているような、陰湿な世の中の何が公平で民主的なのだ。
綺麗でもなければ美しくも無く、共感もなく共有もない。
共存どころか、食うか食われるかの世界である。
肉食動物が共食いでもしているのだろうか?
それを何故子供に押し付けたまま放置しておくのだ。
学校は何を教育しているのだ。

いじめ被害者・経験者として、声を大にして言う。
実際に子供は、
「いじめられているとは言えない」
のだ。
まずはそこからいじめ問題を考えてほしい。
被害者ばかりを見ることも問題だ。
被害者には落ち度はない。
見つめるべきは加害者なのだから。
加害者を出すようなシステムが狂っているのだから。


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