部屋が散らかるから 
整理方法も工夫する
余計なものは持たずにシンプルに暮らそうとする
ADHDもそうだ
整理したいなら工夫をする
シンプルにするともっと楽になる


時間にルーズなのではない。
時間の感覚が違うだけだ。
落ち着きがないのではない。
自分の感覚を確かめているだけだ。
持ち物の管理が出来ないわけではない。
集中が途切れるだけだ。
理由がわかれば、改善は出来る。
それでもミスったら、また改善をする。
僕はADHDだからこそ改善が出来る。


自分を一番信じられない一瞬もある。
念には念を入れて荷物を準備したのに、肝心なものを忘れたときとか。
しかも、なぜ忘れたのかさえ思い出せない。
それに、手に何かを持っているといつの間にか失くす。
我ながら愕然として自分にイライラする。
僕はモノに執着してはいけないということなのだろうか。


数歩歩けば、脳からポロポロと何かがこぼれ落ちるような気さえする。
いつもいつも、何かを忘れているような気がする。
約束があったのかもしれないとか、期日が実は忘れていて今日だったりしないかとか。
スケジュールを見ても意味はない。
書くのを忘れている可能性だってある。
僕なんだからありうる。


メモをしても紛失する。
魔法のようにどこかに飛んで行ってしまう。
メモを書いたことさえ怪しくなってくる。
僕のことだ。
気のせいかもしれない。
それならばと、写真を撮る癖をつけた。
なんでも写真に撮れば僕の記憶の代わりになってくれる。
しかし肝心のスマホを失くした時はこの世の終わりかと思った。


なんでこうなるのだ。
と自分を恨みたくなる。
どこまで馬鹿でどこまで甘くてどこまで抜けているんだと怒りがこみ上げる。
自分に怒っても、何も解決はしないが怒らずにはいられない。
そして怒りの後に失望をする。
「僕はとっても残念だ。君には期待していたのに。同じ失敗を繰り返してばかりだ。」


ADHDじゃなければ、いったいどんな世界が見れたのだろう。
頭の中は静かで整理整頓され、時の流れとともに記憶が続いているのだろうか。
わずかな時間でもいいからそういう世界を体験してみたい。
どれだけ僕は自分にガッカリしなくて済むのだろう。
自分の時を認識しながら生きていけるのだろうか。


一歩一歩、自分の歴史を自分に刻むことはどれだけの充足感があるのだろうか。
僕の時間は飛び飛びで、まったく続いてはいない。
必ず抜け落ちてしまう。
今を生きていることには、間違いないのだが、時の使い方がおかしいのだろう。
タイムテーブル通りには絶対に合わせられない。
合わせる自信もない。


24時間で1日が終わるなど、どうやっても無理な話だ。
間違いなく間に合わない。
24時間ですべてを詰め込んだら僕は忙しくておかしくなってしまうだろう。
出来れば、少し時間が欲しい。
26時間は最低でも。
いや、それでも間に合わない。
ノンビリしているわけではないのに、時間の経つのが早すぎる。


社会に居るのだから、時間は合わせなくてはならない。
僕時間に合わせていたら、社会はまわらない。
僕の時間は一定さはなく、気まぐれであり不確定だ。
おまけに明日の予定なんてわからない。
明日になってみないとわかるわけがない。
しかし社会はわかっている。
明日を読んで生活の基にしているのだ。


社会では明日がわからないと不安になるのだという。
僕は逆に、明日がわかることが恐ろしい。
イメージさえ出来上がってこない。
今をやっつけてしまわないと、僕の明日は来ない。
太陽は昇るだろうが、僕にはそれが見えていないこともある。
あっという間に太陽は月に姿を変えていることもあるくらいだ。


僕の時間は飛び飛びだから、くっついていない。
だから、今日と明日もくっつかない。
くっついているのなら、明日の予定もきちんと決められるのだろうし、決めないと不安なのだろう。
くっついていない僕は、明日の予定を決めたとたんに不安になってしまう。
明日がイメージ出来ないから余計に不安になる。


もしも、明日の予定があったのなら、僕は今から明日をつなげるために必死になる。
明日のために、今から繋いでおくことをしないと、明日が確定しないからだ。
予定の時間まで寝ずに記憶が繋がるようにしておかないといけない。
そうやって頑張って起きているから、眠さで気絶して時間に遅れてしまう。


時計を見てガッカリする。
まただ。
まただ。
悪夢を見ているようだ。
昨日の時点に時が巻き戻ったりしないのだろうか。
何回遅刻して何回すっぽかしているんだろうか。
自分がガッカリ。
頭をポカスカやりたくなる。
予定があるのにのうのうと寝ているなどと、社会人としての意識が不足している。
無責任だ。


ぐわんぐわんと頭の中で自分を責め始めるが、責めてみても仕方がない。
何も始まらないし解決はしない。
気を取り直して謝罪を繰り返し、心がえぐられるようになり反省するのに、またすぐに繰り返す。
僕には反省がうまく作用していない。
それならそうだ、作用しないのかもしれない。
今のやり方では。


予定を守るとしたら、工夫が必要だろう。
反省を作用させるためには、同じことをしていても、なんら意味がない。
予定の前日はリラックスしておくとか、いっそのこと現地で待つとか、あれこれ試してみるとわかってくる。
僕に合ったやり方で予定に近づけばいいのだ。
自信を失くすことはないともわかった。


予定に合わせられないと、自信を失うことはおかしいことだ。
何故かといえば、僕は一生懸命努力をしている。
結果が遅刻だとしても、それはただの結果であって、まだ何か僕のやり方や工夫に欠点があるだけだからだ。何も僕が悪いのではない。
工程が悪いだけだ。
悪い部分を修正していけばいい。


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