【衝動性は発展する】

僕のADHDの衝動性はいまだに日々モリモリ、ムクムクと発動している。
衝動性が起きると、
「居ても立っても居られない」
状態になり、思いついたことをやらないと
「他に何も手につかない。」
ということになります。

僕の脳内スイッチが入ってしまうとどうしようもないのです。


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最近では、一人暮らしにはじまって(他にも理由があるが)、
金魚を突然飼いはじめたり、自分でも何をやっているんだと自覚はあるのですが、
それでも身体が止まらない。
思いついたらどうにも止めることが出来ないのです。
そして達成するまで、ひたすら集中し、やり遂げてしまいます。
恐ろしいものだ。

思いついてただやるだけなら、普通と変わらないだろうが、僕の場合やるとなったらとことん凝るのです。
たとえば、事務所で今年の夏に突然飼いはじめた金魚。
ある日仕事の準備をしていて、ふっと、
夏は暑いな⇒涼しくなりたいな⇒そうだ、水だ。⇒水と言えば金魚。となり、
頭は金魚でいっぱいに。

思いついて閃いてしまうと実行せずにいられない。
スイッチが入るともう手遅れなのです。
僕は仕事の準備などすっかり忘れて、金魚に没頭してしまいます。
まずは、水槽のことや、金魚のことを調べ上げ、どうやって飼ったらいいのかを徹底的に頭に入れます。
この調べている時間がまたたまらないのです。

頭の中には、既にヒラヒラと水槽を気持ちよさそうに泳いでいる金魚がこびりついちゃっているから、それを目にするまでは諦めません。
手に入れるにはどうしたらいいのか、どうしたらキープ出来るのか。
金魚を飼った事もない癖に気分はまるで金魚王なのです。
たかが金魚を飼うだけなのに全力で挑みます。

一通り調べ上げたら、すぐ行動。
量販店に行って金魚金魚金魚。
ありとあらゆるものをジロジロ見て吟味し、店員さんが居れば話を聞き、交渉できることは交渉して行けるところは行きます。
ネットで綺麗な金魚を見れば感嘆し、奥が深いな!と手を叩き感激します。
いちいちうるさい男かもしれません。

もちろん手に入れ、育成をはじめた
「金魚ちゃん」
は、すくすく成長し、今では水槽をグレードアップしました。
事務所で飼っているので仕事の前にマメに世話をし観察し、何かやれることはないか、他に工夫することはないかとあれこれ考えます。
水替えも自分で始めたことなので、苦労ではありません。

金魚スイッチが入らなければ、きっと水替えなんて、ドロドロしちゃって汚いとか、臭いとか大騒ぎしていたかもしれません。
しかし、スイッチが入れば、汚かろうがなんだろうがお構いなしなのです。
まったく気にせず
「金魚ちゃん」
のために水質をキープすることに専念します。
結構マメなんですね。

これが発展して行くと、熱帯魚海水魚に進んでいくのかもしれない。
もしそこまで行ったら、まだ僕には管理出来そうにないから、今は金魚で我慢します。
僕は、いつもそうなのですが、何でもスイッチが入ると周囲のことは目に入りません。
金魚のコーナーを穴が開くくらい眺めては妄想します。
怪しすぎる。

傍で見ていた母は何も言いませんでした。
いつもは口うるさいおばあちゃんも金魚のことは咎めませんでした。
きっと本当に僕が飼えるのか、様子を見ていたのだと思います。
すぐにガミガミ怒られるかなと思っていたのでちょっと拍子抜けしました。
まあ、叱られても絶対に止まりませんけれども。

苦労した甲斐あって、水槽は綺麗に保たれ、僕に良い効果を発揮しています。
仕事の最中にふっと金魚に目をやって、ヒラヒラスイスイの姿に癒されます。
これから冬に入るので、信州はきっと寒いだろうし、どうしようかなとあれこれ考えているところです。
金魚が凍ったら大変だから温めてあげなくては。

しかし、金魚も生き物です。
もしも死んでしまったらガッカリです。
僕は3匹飼いましたが実は1匹死んでしまいました。
弱り始めていたのでわかってはいましたが、事実として受け止めるまでにとても時間がかかりました。
どうしようどうしようと、ぎゃあぎゃあ騒いでいましたが認めることにしました。

いくら人間が手を尽くしても、どうにもならないこともある。
地球上で頭が良くて、パーフェクトみたいな人間でも、生き返らせることは出来ない。
これはとても大きな課題でした。
僕は、何故死なしてしまったのか、あれこれ分析し、固体の差でのストレスや、餌のやり方にも問題があったと学びました。

死んだ金魚は、ずっと生きています。
僕の中でまだヒラヒラとスイスイと泳いでいます。
大きな池の中ででっかくなっています。
僕が生きていることを止めない限り、僕の中でパクパクしていると思います。
そして、死なせてしまった事で、僕は勉強したので、次は失敗しないように向上したいと思いました。

金魚のことで、僕はまた死ぬということを事実だと認めることを経験しました。
そして、死ぬと言うことは当人にとっては動かなくなる、だけではなく、後にも生き続けること、後の人のためにも生き続けると言うことがわかりました。
これは大発見。なんて大げさに僕は思い金魚に感謝しました。

僕は、人も動物も、モノとも変わらないし、感情もよくわかりませんでした。
しかし、衝動性のおかげで経験を積むことが出来るのかもしれません。
そう考えると、僕にとって衝動性は悪いものでもありません。
生きるということ、死ぬということは、ただ停止したり、僕のものになるだけではないのです。

生きていることは、当人にとってただ生きている。
金魚も僕と出会って寿命を操作され減ったかもしれないけれども、僕は、金魚をそのまっとうすることの寿命よりも大きなものにしていけば、良いと思いました。
しかし、これは人には当てはめたら大変です。
いけないのだと考えました。
人は金魚と違う。

人と金魚はなぜ違うのか。
決定的な違いは僕にはわからない。
それは何故わからないのかも僕にはわからない。
ただ、学習で違うのだと知っている。
なんでも地球では人だけは特別扱いをされているようだから。
だから、人だけは別格に、生きているも死んでいるも、とっても重要にしなくてはいけない。

金魚を同じに人を考えたのなら、たとえば、僕の後の勉強のために、あなたは犠牲になってください、もしくは実験です、または、好奇心のために人間を使っても良いとなってしまう。
それはまずい。
何故まずいのか。
心があるからなのか。
感情があるからなのか。
親や子があるからなのか。
何故なのだろう。

感情があるから、なら、猫だってあるし、犬だってある。猿だって。
でも人間は別格。
誰が決めたのかは知らないけれども、人間を守るために、人間が考えたんだから、人間の都合の良いように解釈したに違いない。
人間が決めるのであれば、自分の都合の良いように植えつけるに決まっている。
DNAにかな。

だとしたらば、僕のDNAはどうなっているのかという疑問もあるが、とにもかくにも人間には植えつけられている。
それでも人間が人間を殺していい時もあるようだ。
犯罪者を裁くときや、戦争のときなどや敵対するとさっさと殺す。
DNAはきっと混乱するに違いない。
だから殺すことに拒否感が発生する。

要するに人間の生死は、自分の都合や集団の都合で何とでもなるということか。
それはまたおかしな理屈だ。
人間が人間を殺しちゃいけないのなら、それをベースにしなくっちゃいけないはずなのに、違う場合もあるだなんて、他の生物に大変に失礼な話だ。
身勝手すぎる。
一番頭が悪いのは人間かもしれない。

金魚を飼いはじめて、生物が僕にとっては身近になった。
その前にも猫をとても可愛がって育てて僕は心の安定を得た。
猫の場合は偶然だったが、金魚は衝動性からだった。
ああ、結構悪いこともない。
この衝動性は、様々なことを僕に考えさせてくれる。
そして次に、
「メダカ」
にスイッチが入る僕だった。

金魚よりも、小さいメダカに僕は超スイッチが入る。
そもそも、僕には目玉が開いていないと駄目なところがあって、
目を閉じていると「死んでいる」と勘違いをするので、その点魚は目玉が開いたままだ。
メダカは小さい。
動き方がツンツンとしている。
これに魅せられてメダカを飼うことにしたのだ。