おはようございます。
仕事と、紅葉を見に河口湖に来ました。
ホテルからの眺めです。とっても美しいです。
母が良くなるように富士山にお願いしました。
まだ返信出来なくてごめんなさい。
落ち着いたらします。

いつ母が危篤になるのか、わからない状況で僕は仕事で出張に行かねばならず
心配で仕方がありませんでした。
目の前にそびえ立つ富士山を見て

どうか、母にパワーを分けてほしい

と、祈るような気持ちで富士山を見つめました。

S__17842216

ランキング参加中です。

両方押してくださると、僕こっそり喜びます!




にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 発達障害へ


しかし、その祈りもむなしく、母は僕が出張から帰った翌々日、危篤状態となりました。
僕は、母が亡くなるその瞬間、兄妹を連れて急ぎましたが
間に合いませんでした。
最期に母を見ていたら、すがりついてしまったかもしれません。
何故、母を僕から奪うのか、兄妹から奪うのか。
悔しくて仕方がありませんでしたが、僕はそれを見せませんでした。

病院からの電話を受けた僕は、涙を流せずに、雨の中、
キラキラ光る電灯を、ずっと見て温かさを探していました。


いろいろあった人生だけど
笑って送り出そう
心を教えてくれた母に
感謝して僕は強く生きていこう
温かさはしっかりと受け継いでいくからね
きっと今頃鳥のように自由に
空を飛んで夜景を楽しんでいるかもしれないな


母が帰らぬ人となりました。
家のほうではバタバタしており、大変な騒ぎです。
母はやっと自由になれたように、穏やかな顔をしています。
僕は、これからは兄弟をまとめるために、しっかりしようと思っています。
今後の僕たちの生活のために、最近は整えるために走り回っていました。

僕の家は母子家庭なので、母が不在になることはとても考えられませんでしたが、
何とかしようと必死で考えました。
僕が今後はサイくんと妹の支援をすることに変わりはありませんが、
僕だけの力ではどうにもならないので、皆の協力をお願いしました。
僕も頭をフル回転させたのでうまくいくと思ってます。

こんばんは。
たくさんの方々のメッセージありがとうございます。
個々に返信出来なくて申し訳ないです。とにかく忙しかった。
自分の時間なんてほぼ無くて、家のこととか、家族のこととか、
仕事も休めないし、調整するのに時間を取られました。
複雑な事情もたくさんあって、頭を使いました。

母が亡くなったので、僕が頑張るしかないし、
兄貴はいまひとつ(父親が違うので)意見も合わずでやりにくかったです。
兄貴は悪い人ではないのですが、とっても頑固です。それと、僕のやり方が気に入らないのだと思います。それでも、家族だしうまくやらなくっちゃいけないから難しいです。

僕がこれからやらなくてはいけないことは、障害が重いサイくんを支えること、
妹が自立するまで面倒を見ること、です。
兄貴はもう自立しているので、問題はないです。
それに、僕の会社もちゃんとしなくっちゃいけない。
おばあちゃんのことも支えたい。
やることいっぱいです。
おまけに父親のこともある。

父に母が亡くなったことは、いろいろ終わってから伝えましたが、何とも言えない人です。
僕は呆れるしかありませんでした。
何故かといえば、父はまた仕事を辞めていました。
母に折角面倒見てもらったのに。なんだか、ガッカリします。
いつまでも、仕事が長続きせず、支離滅裂です。
話になりません。

こんな父に、後見人になってもらうわけにはいきませんから、
僕は、事前に僕達未成年組の後見人となれる人を事前に決めていました。
それで良かったと思っています。
僕はツイッターを始めたころから、母の余命が短いことを知っていたので、
ずっと自分たちを守ることを考えに考えて出した結論でした。

きっと、母も安心してくれていると思います。
19歳になる姿を見せれなかったのは、いやもっと言えば、
成人する姿を見せれなかったことは、残念ですが欲を言っても仕方がありません。
僕は今後は、サイくんと妹を守ることを優先に考えたいと思っていたので、
父を頼るより自分を強くしたいと考えました。

と、いうことで、まるでパパです。
これからの僕はパパみたいに、なろうと思ってます。
まだ、18歳ですが、考え方がとても大人になったと思います。
母のおかげでこんなに強くなれたんだなあと感謝しています。
母は、面白い人でしたから、お葬式も家族葬希望で、通夜には喜んでくれという遺言でした。

母が亡くなった時、僕はとにかく何とかしなくっちゃばかり考えていました。
サイくんは、もう動かない母を見て、様子が違うなと変な風に感じていました。
腕を何度も動かしたりして、反応が無いので
「動かねぇ。」
とポツリと言いました。
妹は涙を目に溜めてじっとしていました。
兄貴は号泣していました。

空が暗くて、夜景が綺麗な夜でした。
いよいよ母を送るときは、空も天も泣いているように、雨が降り出しました。
泣けない僕に代わって泣いてくれているのかなって感じました。
人が死んでも町とか信号も動いているし、時間も動くし、何も止まらなくて、
母だけが止まったんだと思いました。

僕にとっては、人の死は、動かなくなる、
もう智慧を授かれないということで、残念としか言い表せません。
声も聴けないのでそれもつまらないことです。温かさもありません。
しかし、それは僕の心の中にずっとあるし、継承しているので、
今後はそれを残された生きている人に発揮したいと思います。

亡き、と言わなくてはいけない母をかわいそうには思いませんが、
なんといったらいいのか、良い人であり、良い母親だったと思っています。
とてもユーモアがあり、愛らしい女性で、母性溢れていて、見習うところがたくさんありました。
そして僕と人とを結んでくれたことには、心から感謝しています。

ツイッターをはじめて、僕はとても変わったと思います。
最初のころなんて本当に酷かったと思います。今思い出すと笑ってしまうくらいですが。
いろいろな人がツイッターでも関わってくれたり声をかけてくれることは、大きな栄養になりました。
直接人と関わることが難しい僕なので、余計に助かりました。

ここがあるから、ここで僕が変われたからこそ、今踏ん張れたと思います。
じゃなきゃきっと酷い人になってたかもしれません。
人は一人じゃ生きれないんだって母を亡くして僕はとってもそれがよくわかりました。
この場を借りてフォロワーさんにお礼いたします。
いつも支えてくれてありがとうございます。

そして、家族ともこれからは、困ったらお願いするとか、僕も無理をしないで素直に接するツモリです。
僕が頑張るためには、誰かの協力が必要だってことも理解しました。
自分だけで何とかしようと意地を張っても、まだ僕には難しいです。
今後は、和というものを勉強しなくっちゃと思っています。

ずいぶんお休みしましたが、ツイッターも再開します。
今までは本当に、なかなかお返事も出来ませんでしたが、
これからは余裕があればまた、みなさんと話したいと思います。
そして障害のことも、今後も付き合っていかなくてはいけないので情報交換などしていきたいです。
よろしくお願いします。




ランキング参加中です。

両方押してくださると、僕こっそり喜びます!




にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 発達障害へ