僕は何かに没頭すると、時間も忘れて作業してしまいます。
それは、片付けも同じこと。
やるとなったら徹底的にやってしまいます。

それは、躁状態と、過集中が原因だと思うのですが、
思いついてしまうと、本人には止められません。

【2016年7月6日 ツイート】

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またか、と思われるでしょうが、また整理整頓に没頭していました。
今度は、実家の「押入れ」と「モノの居場所を決める」です。
見事に7袋もゴミが出ました。
押入れにはぎゅうぎゅうにモノが詰まっていましたので、いつかやらなくっちゃなと思っていたのです。

まずは、押入れ棚を2×2と、収納ケース10個ほど購入。
そこに、妹が衣替えして置いていった服と自分の冬服を納めました。
それだけでもだいぶすっきりしましたが、まだまだ雪崩が起きそうです。

そこで、モノの居場所を徹底的に決めてラベリングし、不要なものは捨てました。
また、動線も考えて配置したので取り出しやすくなりました。

問題は細かいものです。
今までは、文房具などの日用品があちこちに溢れており、
おまけに使ったら適当に引き出しに入れるので、
いざ使おうと思っても探し出せずにいました。

そこで、僕が探し出しやすいように、根本的に改革しようと、
押入れの半分を小物の指定席にして、カテゴリー分けしたのです。

一般的なカテゴリー分けは、文房具・工具などと大雑把になると思いますが、
僕はあまりにもぎゅうぎゅうに詰めてしまうと探し出せないのです。

探し出せずに、あちこちひっくり返して、また部屋が散らかってしまいます。
そして、探し出せなかったものが無いと思いまた新しく買ってきてしまいます。

今回、あれこれ集めてみると、ボールペンだけで100本近くあることが判明しました。
他にも定規10本、クリップ6箱、ホチキス5本などなど。

いったん無い、という経験をしてしまうと、それが恐怖となり、
買い物のたびに買ってきてしまうのです。

部屋のあちこちに点在させるからこうなるのです。

僕はカテゴリー分けをするにあたり、一般的なやり方ではなく、
自分の認識を重視してやろうと思いました。

鉛筆=文房具、消しごむ=文房具、とやってしまうと、
文房具だらけになってしまい、また探し出せなくなってしまいます。

そこで、そのモノの持つ「目的」でカテゴリー分けすることにしました。

たとえば、鉛筆なら「書く」、消しゴムなら「消す」、クリップは「まとめる」、
ホチキスも「まとめる」になります。また、画鋲は「とめる」、
定規は書くときに使うので、「書く」に分類されます。
セロハンテープは「はる」、ノリも「はる」です。

モノの目的で分類したほうが僕は探しやすいのです。

いつも何かを使いたいとき、何か書くものないかな~?と言います。
それから、ボールペンにしようかな、それとも鉛筆かなと、適したモノを探すのです。

だったら、「書く」という引き出しを作ってしまえば、
そこを見ながら考えればいいやと思いついたのです。

カテゴリーを決めて、モノを納めていくと、このやり方が僕に向いていると痛感しました。
何故ならば、使ったものを戻す時も、どこに戻せばいいのかわかりやすいからです。

ボールペンはどこの引き出しだったのか、数あるラベルを眺めなくても、
ただ、書くという引き出しに入れればいいだけなのです。
これなら、片付けも容易になります。

また、「書く」引き出しがいっぱいになると、書くものはたくさんあるのだと
不安にならずに済みます。
余計な買い物をしなくて済むようになります。

モノの目的でカテゴリー分けをするということは、僕にとって整理する上で、
重要なことだったようです。さっと出せて、さっと仕舞える工夫なのです。

もし、引き出しのゴチャゴチャしたラベルに「セロハンテープ」とだけ書いてあれば、
僕は探し出せずに見逃すかもしれません。

せっかくいくつもセロハンテープがあっても、使わなくては意味がありません。
色分けやモノリスト作りよりも、目的でまとめたほうが一瞬で、
感覚的に見つけられるのです。

僕は最近非常に調子が悪く、家事をしたくても買い物などの
外出が難しい状態です。
このような状態ですから、人の手を借りなくては生活が成り立ちません。

誰かに手伝ってもらうのなら、わかりやすい収納にしようと思ったのです。
日用品で何が不足しているのか、一目でわからなくては伝えられません。

僕は去年から、仕事も買い物も家事も、全部こなそうとしましたが、
結果的に心を壊してしまいました。

人を頼るということは、悪いことではないということも、
自分らしく自分の出来ることをやればいいということも、
病院に行くこともおろそかにしていました。

自分のしんどさを認めなかったのです。

僕なら大丈夫と周囲に言い、誤魔化してきました。
自分に言い聞かせるように、人のため、家族のため、
自分のことは忘れてやろうとしました。

身体がもたずに高熱を出したり、パニックを起こしても止まりませんでした。
とうとう頭がまとまらずにパニックは酷くなり、歩くこともままならなくなりました。

ふと、あ、しんどい、楽になりたい。と思ったときに、
自分が抱えられる重さを超えていること、そして自分を追い詰めた自分のことを、
認めようと思ったのです。腹は立ちました。

家事と仕事を両立出来ない自分、誰かのためにばかりに生きようとした自分に頭に来ました。
何をやっていたんだろうと。

ちょうど一年前の僕とは、かけ離れた自分にゾッとしたのです。
そうだ僕の夢はなんだっけか。

僕の良いところはなんだっけか。
楽しいことはなんだっただろう。

何故それを忘れるように押し込めなくてはいけないのだろう。
それを誰が望むんだろう。

違うんだ、と自覚し、僕は病院に行くことを決めました。

今の自分にぴったりの生き方をしよう。
誰かのためじゃなく、自分のために生きよう。

そうすれば、誰かを助けられる日もくるはずだから。
慌てないで行こう。

もし、誰かを失望させたとしても、それが僕なのだから認めて割り切ろう。
そして、生活の支援を受け入れよう。
僕には支援が必要なんだから。

簡単なことだった。散々、自分を認めなくちゃと言っていたクセに、
言っていた本人が無理というものに、ハマってしまった。

出来ないことを認めない人になっていた。なんてことだろう。
頑張ろうとする気持ちは悪くはないが、我を張ってはいけない。

助けてということは、悪くはない。恥でもないのだ。

楽になりたい。そう思った日から、本当に楽になりつつある。
これからは、生活の支援を受けれるように、家の中も整えた。

病院も行っているし、薬も飲んでいる。
家事は無理をせずに、適当に済ませている。

福祉関係にも連絡をした。
知人にも正直に打ち明けたし家族にもだ。
これからは、無理をしない。

僕は障害を持っているから、出来ないことがあるが、
それを認めるのが嫌だったのだ。

しかし認めて、僕は僕の良いところを発揮していくようにしよう。
モノの整理をしながら、なにも一般的でなくても、
僕なりのカテゴリー分けでいいじゃないかと思った。

モノを使うのは誰?僕だ。生きるのは誰?僕だ。 



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