2016年7月8日

鬱状態なのか、停止状態なのか。
「何もやる気にならなくて、引きこもって外に出なくなって、
人とも話したくなくなって、些細なことで頭にきて、
頭の中がボンヤリする感じで身体が鉛のように重たい。」
これが繰り返して押し寄せるが、死にたいとか自分はダメだとは思わなかった。

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暗い穴にずっと入っていたいような。誰にも見られたくないような。
そもそも、存在さえ知られたくなくなる。
知られたくないだけで、死にたいわけではない。
家の中に居ても、何かに襲われやしないかと好戦的になったり。
ビクビクするのではなく、ヤラレル前にヤッテしまえ、みたいな発想になる。

人との関係もすべてが面倒くさくなり、あれこれ考えることもしたくなくなる。
僕のことを忘れてくれないかな。
記憶から消してくれないかなと思ったりする。
猫をなでながら、猫はいいなあと本気で思ったりする。
なぜ人間は、社会というものの存在が大きいのかを嘆いたりもする。
鳥も羨ましくなる。

大空を飛びたいな。
と空を眺めて、風を感じて、鳥が見ているであろう景色をボンヤリと想像したりする。
さぞかし気持ちいいのだろう、僕も飛べたら良かったのに、と残念がる。
田んぼの稲を見て時間の経過を感じたりする。
カモがガアガア鳴くのを、真似したりする。
仲間に入れてくれないかなと思う。

しかし、僕の姿はカモよりも大きく飛べないのだ。
ガアガア言えたとしても、僕は田んぼにポツリ、飛び立つカモに置いていかれる。
真っ白なサギも、仲間とともに行動しているというのに。
何故仲間といたがるんだろうとぼけっと考える。
鳥は鳥なりに大変なのだろう。
天敵からも身を守らなくてはならない。

同じ種同志、助け合って身を守っているのだろう。
だったら僕は人だから、人と仲間にならなくては自分を守れないのか。
田んぼには様々な生き物がいる。
水が張られている時はとくにキラキラして綺麗だ。
辿っていくと山があり、山も緑でいっぱいになっている。
山ですら仲間と一緒に山脈を作っている。

グルリと山は僕を囲って、360度どこを見ても山だから、
その山の間の凹んだところに立っている気分だ。
この立っているところ、平らな土地に田んぼを作り、人は生きてきたんだ。
そうだけども、僕は人と仲間になるのが困難なのです。
そうなったら、自然の摂理ではじかれてしまうのだろうか。

そういうことばかりじゃないはずだ。
仲間がもしいないとしても、はじかれたとしても、
自然を知っていれば、生きていけると思った。
仲間を作らないといけないわけじゃなくて、
仲間がいなくても生きていけるようになればいいのだろう。
しかし強がりを言っても僕に仙人のような暮らしは出来ないだろう。

高い山にも人が電気を通し、田んぼには電線がうつっている。
僕の立っている道路の下には水道も通っている。
人はどこにでも、影響をしようとしている。
そうなれば仲間が作ったこの社会で、適応していくことの方が楽に決まっている。
何度も堂々巡りで田んぼを見ながら考える。
自分からは逃れられない。

人に生まれたのだから、仲間は人となり、僕は人の社会で生きていくことになる。
自分から逃げれないのだから、受け入れるしかない。
嫌だとか面倒だとか、よくわからないとか言っていないで、
同じ姿の人が仲間なのだから。
どんよりとした脳だと、こういうことをずっと考えている。
グルグルと考える。

そうして、今回は田んぼを見ながら思いついた。
同じ姿をした人が仲間というところを訂正する気になったのだ。
姿だけで判断せずに、肝心なのは感覚だ。
姿だけで仲間になろうとしても、それは僕には無理がある。
だって似たような姿でも種が違うことだってあるのだ。
その種が感覚なのだろう。

あ、そっか。と合点がいき、感覚が同じ人と仲間になればいいんだね。
と、白く美しいサギを見て頷く。
サギは白いけれども、同じ白い白鳥とは一緒に社会を作ってはいない。
種は感覚と思えば、僕にも理解出来る。
自分と同じ感覚を持った人と社会を作ればいいんだな。
ふうむふうむ、と空を見た。

大きく言うとそれ国じゃないのか?感覚が近い仲間って。
たとえば日本人。感覚が近いから仲間になるわけだしね。
あれおかしいなと思った。
僕は日本人で日本にいるのに、感覚がうまく合わない。
要するに日本人らしくないのかもしれない。
人の社会ではなく、日本の社会に適応出来ないのかもしれない。

なんてこった。
僕はどうやら海を越えて、
どこか自分と同じ感覚の社会を探す必要があるのではないかしら。
ただそれはずいぶんくたびれそうだから却下しよう。
今でさえ疲れているって言うのに。
だから、日本社会の中で探して、集まりに参加するより無い。
集まればきっと僕も身を守ることが出来るはずだ。

あのサギのように、僕も感覚が同じ人に寄り添っていけば、うまく生きれるはず。
それには、自分自身が感覚をしっかりと持たなければ、
仲間に寄り添いたくてもわけがわからなくなる。
何かに影響された感覚では、結果的にまた無理をすることになってしまうだろう。
自分を持つということは、大切なことだ。

山と田んぼとサギとカモは、大切なことを教えてくれた。
自分をちゃんと持つこと。
これが生きるには一番なんだということ。
自分を見失っていたのでは、何も判断出来ない。
ただ社会に愚痴る前に、自分を知らなくてはいけない。
そして、自分にとっての仲間をこれからは探していけばいいと思った。




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