【2016.5.16】 ツイート

家に帰り、
ランドセルを放り投げ
学校疲れたな
とほっとする
しかし宿題がある
学校はまだ解放してはくれない
鉛のように疲れても
カラカラに喉が渇いても
学校で勉強して来たのに
まだ勉強しなさいと追いかけてくる
だから
僕は宿題プリントを破って
川に流してたのさ

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川にプリントを流していたことは、後々母にバレてしまいます。
母は
「あはは、いやだわ、宿題プリントを川に流しても川は宿題いたしませんよ。
川は、宿題、勉強を必要としないからです。
あなたは必要とされている勉強を、他に押し付けてはいけませんよ。
やれなくても押し付ける方が罪ですわ。」

僕は、小学校4年で授業について行けずに、特別支援学級に在籍することになりましたが、まったく勉強がわからないわけではありませんでした。
ただ、理解が遅かっただけです。
また、非常に反抗的でしたので、授業をまともに受けられませんでした。
そのため、僕には心の発達の時間が先に必要だったのです。

母は、僕の学校での様子を聞き、勉強よりも、分別をつけることを先に教えようとしていました。
そして根気よく、何故学校があるのか、勉強をするのか、先生とは何か、クラスやクラスメイト友人とは、と様々な話をして僕が理解した上で、向上心を持つように、また分別をつけた行動を促しました。

僕は狡かったので、面倒な勉強はやりませんでした。
すると母は何も言いませんでしたが、
「勉強は、必要なものですが、あなたがあえてやらないことを選択するなら、それはまだあなたには早いということでしょう。それならば、先々そのぶん自分で勉強するということですから、わたしは楽しみですわ。」

僕はフンと言い、じっくり勉強について考えることになりました。
母は相変わらず、温かな食事と笑顔で接してくれ、ランドセルの中で眠っているプリントのことには触れませんでした。
僕は、面倒くさい勉強を、本当にやらなくても良いかと、漫画を読みながら考えました。

当事、読んでいたバガボンドの主人公武蔵は、常に向上心を忘れません。
僕は、自分を向上させるには、どうしたら良いのか考えるようになりました。
が、うまい答えも見つからず、学校も嫌いになり通わなくなりました。
一日中、ぼうっとしたり、母にくっついて歩いてました。
母子分離不安が酷くなったのです。

母は、僕を常に受けいれてくれ、嫌な顔ひとつしませんでした。
ただ、逃避して甘えていたんだと思いますが、心を発達させるには、必要な時間だったのです。
毎日毎日、僕は、勉強もせず、ボンヤリ過ごしました。
そして、小6になってから、まるで充電が終わったように、母にお願いしました。

「プリントを作って欲しいんだけど。」
僕は母に言いました。
既に僕は、まるっきり授業にはついていけませんでしたし、ロクに字も書けませんでしたから、一からの勉強になるのです。
母は、「わかりました」と言って、それから毎日、国語と算数のプリントを、中学を卒業するまで作ってくれたのです。

母のお手製のプリントは、大切な宿題となりました。
体調が悪いとやれないときもありましたが、マイペースで進めてきました。
僕は興味のあることはトコトンやりたい、極めたいところがありましたが、それには、勉強をしておくことが必要なんだと納得し、理解出来たからこそ、取り組めたのです。

勉強は、目的がはっきりしないとやる気も起こりません。
人は、意味のないことは、すぐに飽きてしまいます。
僕が宿題を川に流していた頃は、その目的や意図がわからなかったからなのです。
宿題なんてただの嫌がらせだとさえ、思ったほどですから。
それを自分で気が付くことが、非常に大切なんだと思います。

母は僕が宿題をやらないことを、勉強をしない駄目な子だとは思いませんでした。
ただ、勉強が必要なところまでは安定せず、心が整っていないだけなのだと言ったのです。
ですから、基本的な心を育ててくれたのでしょう。
毎日のプリント作りは、本当に大変だったと思います。
母も一緒に勉強しなおしていました。

「勉強は、明日生きていく自分のためにやるものです。
自分が強くなるために、試練を与えるのです。
試練は自分を大きくし、生きていく力を大きくします。
試練ばかりは、自分だけではありません。
うまく簡単にはいかないのが人です。
転んでも良いのです。
転べば先の自分は、広がるのですから。」

母は、僕がこの先社会に出た時に、発達障害を抱えながらも
たくさん転ぶことがあるだろうと、わかっていたのでしょう。

それならばと、僕に必要な転ぶことを恐れない心を作り、分別をつけたのだと思います。
そして、僕が興味のあることに集中出来るように、試練の意味も教えてくれたのだと思いました。

今では、川に流してしまったプリントを、もったいなかったなと思います。
しかし後悔はしていません。
プリントを流さなければ、勉強の意味を理解する機会を、得ることが出来なかったのですから。

また、心の安定や発達は、勉強よりも大切なことなのだということも、母から教わることが出来たのです。




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