母について、去今からちょうど一年ほど前、クリスマス頃にツイートしたものです。
この頃は、まだ、母を亡くしてから日が浅かったので、心の整理も出来ていませんでした。
体調もメンタルも調子が悪く、兄や妹の世話をしながら、自分を整えていました。
仕事は、休業していました。

今思えば、一番辛い時期だったと思います。

【2015年12月18日 ツイート】

部屋の片付けをしていたら、母の遺品がほとんど無いことに気が付きました。
服も下着もバッグも時計も使っていたブラシも食器も全てありません。
あるのは使っていない昔の携帯と、アクセサリーボックスだけです。
遺書もありませんでした。
写真は、まとめて引き出しの中にしまわれていました。

完璧に私物が片付けられていることに、今更気が付きました。
いつもバッグが掛かっていたフックに何も無いことにも、今気付いて驚いています。
洗面所も、歯ブラシだってコップすらありません。
おばあちゃんに聞いたら、服は、廊下にまとめられて置かれていたそうです。
袋二つ分だけだったみたいです。

僕は、母を亡くしてからバタバタとしていて、ほぼ事務所暮らしでしたから、家に帰ることが少なかったので、家の変化に気が付きませんでした。
母は入院する時に、全て自分の私物を、処分してしまっていたようです。
僕たちが大変な思いをしないように、配慮してくれていたのかなと思います。

飛ぶ鳥後を濁さず、というように、綺麗に片付けて逝ったのでしょう。
僕は、49日を過ぎてから、後片付けをしようかなと考えていましたが、
どうやらその必要も無いようです。
調理用具や、皆が使うものだけが残っていますから、大切に使いたいと思いました。

【2015年12月24日 ツイート】

【母について】
自分の我儘を通して思い通りに楽しんできた
親に心配をかけたり不運もあったかもしれないけれど
わたしはすべてを含んでも人生を楽しんだ
重ねる時の数で重さを測らずに
重ねる楽しさで測りなさい
ママは楽しかったわ
子供たち
一緒に楽しんでくれてありがとう
感謝しているわ

クリスマス前夜ですね。
僕はずっと母について、うまく言えませんでしたが、やっと心の整理もついてきたと思います。
ツイッターをはじめる前から、僕は母を失うことについて逃げてきました。
どうでもいいやとか、無理するからだとか、可愛い子供を置いていなくなるとは、酷い親だとも思いました。

残された子供はどうなるんだと、産んでおいて無責任だと思ったこともありました。
しかし、それを誰かに言うわけにもいかず、一人悶々としていました。
母はいつも僕たちの傍にいたわけではありませんでした。
病弱であり、入退院を繰り返していたので、小さい頃は子供たちは皆遠慮ばかりしていました。

子供である僕たちからしたら、見慣れない母は「知らないおばさん」であったのです。
特に妹は、真面目にそう思っていたそうです。
中学生になる前に、「知らないおばさん」から、「実はお母さんでした」となったそうです。
ですから、妹が母とまともに過ごせた時期は、僅かに6年ほどでした。

僕は一番たくさん母と過ごせたと思います。
僕はとても問題児であり、母しか受け付けなかった時期があったからでしょう。
そんな具合で、僕以外の兄妹からしたら、彗星のように現れた母は非常にセンセーショナルに見えたようです。とにかく強烈なキャラクターでしたので、当然子供は最初戸惑いました。

特に中学生だった妹は大反発しました。
それはそうでしょう。
いきなり知らないおばさんに、お母さん顔されたら、頭にくるでしょう。
一通りの反抗をしていましたし、僕から見てもアラアラという感じでした。
僕はどうなるかなと傍観していましたが、あっという間に妹と母は仲良くなり結束したのでした。

僕が思うに、母は「真剣そのもの」であり、反発する娘に対して「目を離しません」でした。
とにかく何事も誤魔化すことはせずに、「ガチンコ勝負」だったのです。
そして、良いところをいち早く見抜いて、褒めたりもっと良くなる方法をアドバイスしていました。
人として信頼を得ていったのです。

僕はそれを目の前で見ていました。
親だからとか、自分の子供だからとか、そう意識を取っ払って、人として向き合っていました。
そしていつも、「あなたが大好きだ。」と、言い続けていました。
ずっとずっと何があっても言い続けたのです。
そして、外部から徹底的に守る姿と、厳しさも見せました。

そんな見本のような強い母でしたが、だからといって完璧ではありませんでした。
そんな聖人のような人が居るわけがありません。
数え切れないくらいの失敗もしていました。
しかし、とっても自分と人に、素直だったと思います。
また、人生を楽しんでいました。
なんでもかんでも楽しいと笑っていました。

そう思って、ため息をついていたら、母が一番先に言ったことを話したのです。
僕の肩をポンポン叩きながら。
手をギュッと握って、笑いながらです。
「人間の欲は限りないわねぇ。」
と言いまるで、同志にするように、グッと僕の肩に手を当て、
「でも愛すべき人は憎めないわねぇ。」
とニヤリとしました。

「先に行くわ。じゅうぶん楽しんだの。一緒に楽しんでくれてありがとう。自分の身体が限界になったから、さようならの時が近づいていますよ。」

僕は、それをどう処理していいのかわからずに、ふっとツイッターを始めてみたのでした。
母を失えば僕はどうなるのか、僕にもわからなかったのです。

僕は、涙を流すことも出来なかったから、苦しさも人に素直に言えませんでした。
まるで、感情が詰まっているみたいでした。
本当は、とても悩んでいました。
大好きな母を亡くすことを認めたくはなかったのです。
だから、平気な顔をして「母語録」を書いていました。
現実逃避したかったのかもしれない。

現実逃避をするうちに、僕は平気だよ、まったく平気である。
人の気持ちなんか持ち合わせていない。
母を失ってもなんてことはない。
ノーダメージだ。
そういう渇いた心の中に、少しずつじわじわと、育ってきたものを感じました。
自分を見つめることで、素直な僕が大きく育ったのだと思っています。

最近よく言われるんです。
僕が本当に変わったって。
僕は最初はそうは思いませんでしたが、だんだん自分でも自覚するようになりました。
最初の頃はトゲトゲしくて、人を馬鹿にしたり、蔑んだり生意気で、やりこめることしか頭にありませんでした。
それが、柔らかく和やかに穏やかになったのです。

ありえないことに、利己的だった僕が人を助けることまでするようになりました。
いったい僕はどうしちゃったのでしょうか。
人が変わったようだとも言われます。
何がそうさせたのか、僕にはまだわかりません。
育った部分は経験を経たこと、自分を認めたことのおかげだとは思いますが。
不思議です。

ただし、だからといって、僕の思考の仕方や回路が修正されたわけではありません。
自分でもどうしようもありません。
そこが障害を受けているのだから、治しようがないのです。
以前書いたことは、まだ僕の中にどうしても存在はするのです。
それでも、僕はそれを含んだまま学んだのだと思います。

亡き母も天に逝って、僕は明日19歳になります。
最後の18歳の今日に、ぶちまけようと思います。
夜中だっていうのに、馬鹿みたいだけど、しょうがない。
今日だけにするんだから。
僕の愚痴は今日だけなんだから。
今までうまく言えなかったけれども、母が居ないことはとてもストレスです。

家にいると、タイムマシーンがしょっちゅう僕の脳内に現れます。
家族皆で居た時の笑い声。
歓声。
失った時間ばかり戻ってきます。
打ち消そうと、そこに溺れないように必死で掃除をするけれども、拭っても拭っても湧いて出てくる。
戻してほしいと何百回も思いました。
辛くて辛くて身体が震えてきます。

この辛さを乗り切らなければ駄目なんだと、自分に言い聞かせながら、コツコツ家事をします。
兄や妹の方が強いです。
淡々と自分を生きています。
僕が一番堪えています。
見習って頑張ろうと思う、流されそうになるの繰り返しです。
自分の人生を楽しもうと踏ん張ろうとしています。
まさに崖っぷちです。

そんな風なので、休業をしたのです。
仕事は今はほとんど出来ない状態です。
でも僕はこんな自分も良いと思っています。
きっと以前ならここまで凹んだりしなかっただろうから。
ヘラヘラ笑っていたかもしれません。
ああ、成長する過程かも、これでいいんだ、って感覚です。
試練なのでしょうね。

最後の18歳に、僕はきっと今までたいして長くは生きていないけれども、一番人間くさくて、弱くなっているかもしれません。
辛いけれども、こういう思いを知ることが出来て良かったと思っています。
知ることで、もっと強くなれると信じています。
母のように、人生を楽しめる人になりたいのです。



辛い中でも、皆でクリスマスをしました。
母は、クリスマスをいつも楽しみにしていましたので、
必ずやってね、と遺言で言われていました。


今日は、家族みんなで集まってクリスマスにしました。
兄貴は、やったことないくせに張り切ってケーキを用意し、お皿やらテーブルセッティングまでしてくれました。
僕は、チキンをケンタッキーで予約してあったので、取りに行きました。
妹はサラダを用意して、サイくんはシャンメリーを開けました。

ケーキのロウソクに火を点けて、みんな何を言っていいかわからずに、黙ってしまいました。
亡き母がイタズラしに行くからねと言ってましたが、もちろん何も起こらず、火はゆらゆらと揺れました。
サイくんに火を吹き消してもらい、ケーキを切り分けて食べました。
皆でクリスマスに集まるのは最後です。

それぞれ、ここから新しいそれぞれの道に歩いていきます。
母は、きっとそう踏ん切りを付けさせたくて、亡くなってすぐのクリスマスを皆で集まらせるために、パーティをしなさいと言い残したかもしれません。
家族で顔を合わせ、心新たに、生きるためにチキンを頬張りました。
美味しかったです。



ランキング参加中です。

両方押してくださると、僕こっそり喜びます!




にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 発達障害へ