発達障害なう

ツイッターで、投稿したものをコピーしてあります。

2015年10月

【ご注意】このブログ(ツイッター含む)の文章の内容は、僕が障害を乗り越える過程です。現在進行形ではありますので、人によっては不快に思ったり、障害当事者の方は、フラッシュバックを起こす危険性もあります。文章で生々しく当時のことを再現しておりますので、閲覧される場合はじゅうぶんご配慮の上、自己責任でお読みください。また、自傷などは、一切僕はしておりません。
また、このブログに書いてあることは、あくまで、一障害者の発言であり、専門家の意見ではありません。僕の発言だけを鵜呑みにすれば、危険をともなうことになりかねません。そして、僕の文章は、全てを網羅するものでもなんでもありません。そして、発言内容を他者に押し付けるつもりもございません。その点、ご留意の上、お読みくださると幸いです。
【自己紹介】ADHD アスペルガー症候群 強迫性障害 反社会性人格障害 10才で診断。双極性障害は19才で診断。 小1からの出来事をツイートしています。発達障害関連無言フォローします。愛の手帳4(療育手帳B2)障害者手帳1級取得。精神年齢14才。亡母がアスペルガー・ADHD、現在21才。フリープログラマー♂ 2015年6月9日スタート

衝動性は発展する

【衝動性は発展する】

僕のADHDの衝動性はいまだに日々モリモリ、ムクムクと発動している。
衝動性が起きると、
「居ても立っても居られない」
状態になり、思いついたことをやらないと
「他に何も手につかない。」
ということになります。

僕の脳内スイッチが入ってしまうとどうしようもないのです。


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最近では、一人暮らしにはじまって(他にも理由があるが)、
金魚を突然飼いはじめたり、自分でも何をやっているんだと自覚はあるのですが、
それでも身体が止まらない。
思いついたらどうにも止めることが出来ないのです。
そして達成するまで、ひたすら集中し、やり遂げてしまいます。
恐ろしいものだ。

思いついてただやるだけなら、普通と変わらないだろうが、僕の場合やるとなったらとことん凝るのです。
たとえば、事務所で今年の夏に突然飼いはじめた金魚。
ある日仕事の準備をしていて、ふっと、
夏は暑いな⇒涼しくなりたいな⇒そうだ、水だ。⇒水と言えば金魚。となり、
頭は金魚でいっぱいに。

思いついて閃いてしまうと実行せずにいられない。
スイッチが入るともう手遅れなのです。
僕は仕事の準備などすっかり忘れて、金魚に没頭してしまいます。
まずは、水槽のことや、金魚のことを調べ上げ、どうやって飼ったらいいのかを徹底的に頭に入れます。
この調べている時間がまたたまらないのです。

頭の中には、既にヒラヒラと水槽を気持ちよさそうに泳いでいる金魚がこびりついちゃっているから、それを目にするまでは諦めません。
手に入れるにはどうしたらいいのか、どうしたらキープ出来るのか。
金魚を飼った事もない癖に気分はまるで金魚王なのです。
たかが金魚を飼うだけなのに全力で挑みます。

一通り調べ上げたら、すぐ行動。
量販店に行って金魚金魚金魚。
ありとあらゆるものをジロジロ見て吟味し、店員さんが居れば話を聞き、交渉できることは交渉して行けるところは行きます。
ネットで綺麗な金魚を見れば感嘆し、奥が深いな!と手を叩き感激します。
いちいちうるさい男かもしれません。

もちろん手に入れ、育成をはじめた
「金魚ちゃん」
は、すくすく成長し、今では水槽をグレードアップしました。
事務所で飼っているので仕事の前にマメに世話をし観察し、何かやれることはないか、他に工夫することはないかとあれこれ考えます。
水替えも自分で始めたことなので、苦労ではありません。

金魚スイッチが入らなければ、きっと水替えなんて、ドロドロしちゃって汚いとか、臭いとか大騒ぎしていたかもしれません。
しかし、スイッチが入れば、汚かろうがなんだろうがお構いなしなのです。
まったく気にせず
「金魚ちゃん」
のために水質をキープすることに専念します。
結構マメなんですね。

これが発展して行くと、熱帯魚海水魚に進んでいくのかもしれない。
もしそこまで行ったら、まだ僕には管理出来そうにないから、今は金魚で我慢します。
僕は、いつもそうなのですが、何でもスイッチが入ると周囲のことは目に入りません。
金魚のコーナーを穴が開くくらい眺めては妄想します。
怪しすぎる。

傍で見ていた母は何も言いませんでした。
いつもは口うるさいおばあちゃんも金魚のことは咎めませんでした。
きっと本当に僕が飼えるのか、様子を見ていたのだと思います。
すぐにガミガミ怒られるかなと思っていたのでちょっと拍子抜けしました。
まあ、叱られても絶対に止まりませんけれども。

苦労した甲斐あって、水槽は綺麗に保たれ、僕に良い効果を発揮しています。
仕事の最中にふっと金魚に目をやって、ヒラヒラスイスイの姿に癒されます。
これから冬に入るので、信州はきっと寒いだろうし、どうしようかなとあれこれ考えているところです。
金魚が凍ったら大変だから温めてあげなくては。

しかし、金魚も生き物です。
もしも死んでしまったらガッカリです。
僕は3匹飼いましたが実は1匹死んでしまいました。
弱り始めていたのでわかってはいましたが、事実として受け止めるまでにとても時間がかかりました。
どうしようどうしようと、ぎゃあぎゃあ騒いでいましたが認めることにしました。

いくら人間が手を尽くしても、どうにもならないこともある。
地球上で頭が良くて、パーフェクトみたいな人間でも、生き返らせることは出来ない。
これはとても大きな課題でした。
僕は、何故死なしてしまったのか、あれこれ分析し、固体の差でのストレスや、餌のやり方にも問題があったと学びました。

死んだ金魚は、ずっと生きています。
僕の中でまだヒラヒラとスイスイと泳いでいます。
大きな池の中ででっかくなっています。
僕が生きていることを止めない限り、僕の中でパクパクしていると思います。
そして、死なせてしまった事で、僕は勉強したので、次は失敗しないように向上したいと思いました。

金魚のことで、僕はまた死ぬということを事実だと認めることを経験しました。
そして、死ぬと言うことは当人にとっては動かなくなる、だけではなく、後にも生き続けること、後の人のためにも生き続けると言うことがわかりました。
これは大発見。なんて大げさに僕は思い金魚に感謝しました。

僕は、人も動物も、モノとも変わらないし、感情もよくわかりませんでした。
しかし、衝動性のおかげで経験を積むことが出来るのかもしれません。
そう考えると、僕にとって衝動性は悪いものでもありません。
生きるということ、死ぬということは、ただ停止したり、僕のものになるだけではないのです。

生きていることは、当人にとってただ生きている。
金魚も僕と出会って寿命を操作され減ったかもしれないけれども、僕は、金魚をそのまっとうすることの寿命よりも大きなものにしていけば、良いと思いました。
しかし、これは人には当てはめたら大変です。
いけないのだと考えました。
人は金魚と違う。

人と金魚はなぜ違うのか。
決定的な違いは僕にはわからない。
それは何故わからないのかも僕にはわからない。
ただ、学習で違うのだと知っている。
なんでも地球では人だけは特別扱いをされているようだから。
だから、人だけは別格に、生きているも死んでいるも、とっても重要にしなくてはいけない。

金魚を同じに人を考えたのなら、たとえば、僕の後の勉強のために、あなたは犠牲になってください、もしくは実験です、または、好奇心のために人間を使っても良いとなってしまう。
それはまずい。
何故まずいのか。
心があるからなのか。
感情があるからなのか。
親や子があるからなのか。
何故なのだろう。

感情があるから、なら、猫だってあるし、犬だってある。猿だって。
でも人間は別格。
誰が決めたのかは知らないけれども、人間を守るために、人間が考えたんだから、人間の都合の良いように解釈したに違いない。
人間が決めるのであれば、自分の都合の良いように植えつけるに決まっている。
DNAにかな。

だとしたらば、僕のDNAはどうなっているのかという疑問もあるが、とにもかくにも人間には植えつけられている。
それでも人間が人間を殺していい時もあるようだ。
犯罪者を裁くときや、戦争のときなどや敵対するとさっさと殺す。
DNAはきっと混乱するに違いない。
だから殺すことに拒否感が発生する。

要するに人間の生死は、自分の都合や集団の都合で何とでもなるということか。
それはまたおかしな理屈だ。
人間が人間を殺しちゃいけないのなら、それをベースにしなくっちゃいけないはずなのに、違う場合もあるだなんて、他の生物に大変に失礼な話だ。
身勝手すぎる。
一番頭が悪いのは人間かもしれない。

金魚を飼いはじめて、生物が僕にとっては身近になった。
その前にも猫をとても可愛がって育てて僕は心の安定を得た。
猫の場合は偶然だったが、金魚は衝動性からだった。
ああ、結構悪いこともない。
この衝動性は、様々なことを僕に考えさせてくれる。
そして次に、
「メダカ」
にスイッチが入る僕だった。

金魚よりも、小さいメダカに僕は超スイッチが入る。
そもそも、僕には目玉が開いていないと駄目なところがあって、
目を閉じていると「死んでいる」と勘違いをするので、その点魚は目玉が開いたままだ。
メダカは小さい。
動き方がツンツンとしている。
これに魅せられてメダカを飼うことにしたのだ。

手に入らないとこの世の終わり

同じ発達障害でも、特性の出方が違う。
兄はアスペルガーが強くて、サイコパスそのままで野性的だ。
僕は、ADHDが強くてサイコパスだが、療育が効いている。
僕は兄を理解出来るから苦しい。
人を寄せ付けない兄なのに僕は寄り添う。
なにが違うのだろう。
兄はもう変わらないのか。
壁が高くて近い。

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【手に入らないとこの世の終わり】

兄弟で障害を持っていると、不都合なことがある。
片方が不安定になっていると、見事に引っ張られてしまうからだ。
家の中では、あっちもピリピリ、こっちもピリピリと火花が散っているようだ。
兄のサイは今とても機嫌が悪い。
目当ての本が手に入らないからだ。

amazonで見ると再入荷予定でまだ先の日時を示している。
だから予約をしておいてやると言っても納得をしない。
どうしても手に入れないと気が済まないのだろう。
思いついたらおしまいだ。
まあいいや、と気持ちを切り替えるのが遅い。
僕もそういうことがあるけれども、サイは本当に酷くてしつこい。

「どこかの本屋にあるかもしれない。」
という思いに囚われてしまう。
僕はあるわけがないだろうと思うのだが、そんなことを言ったところで通じない。
自分の目で確認しないと理解出来ない。
仕方が無いので二人で近所の本屋に探しに行ってみた。
中古の本屋と新品の本屋さんだ。
二つ見れば気が済むだろう。

二人で行動すると非常に目立つ。
僕はキョロキョロと挙動不審だし、サイも忍者のように歩き方がおかしいからだ。
周囲を異常に気にして歩く二人は、迷子にならないように離れ離れにならないようにくっついて歩く。
僕が先頭でサイは僕の後ろにピッタリくっついて歩く。
たまにくっ付きすぎて足を踏まれる。

足を踏まれるだけならいいが、僕が止まるとサイはブレーキが間に合わずに僕にぶつかる。
二人とも人に合わせて歩くことが出来ないから、しょっちゅう身体がぶつかる。
背格好が同じで、二人とも無駄に背が高くてヒョロッとしているせいか、腕も長いので手もぶつかる。
ぶつかるとお互いに驚いてしまう。

まるで絡まりながら歩いているようだ。
そしてお互いに相手の視界を邪魔するポジションを取ってしまう。
うざったくて仕方がない。
特にサイは自分の本を探してもらっているのにも関わらず本屋に入ったとたんにピリピリしだす。
そのピリピリが僕にも伝染して焦り出す。
二人でピリピリしながら本を探す。

作家名やタイトルを何度も口にしながら本を眺めるが目に入ってこない。
サイは
「これは無い雰囲気だ。帰ろう時間の無駄だ。」
と言い始める。
雰囲気であるかないのかわかるのか知らないが、せっかく来たのに探さないで帰るなんてそっちのほうが時間の無駄だと思う。
欲しいなら真剣に探せと言いたくなる。

本屋に入って数分でもうこの有様だ。
二人はピリピリしていて、サイに至ってはもし誰かに身体が当たったらパニックにでもなりそうな勢いだ。
下手に店内を歩かない方がいい。
そう思い僕は本屋の中に設置してある在庫を確認できる機械を探し、サイを納得させようとした。
機械の言うことなら信じるだろう。

しかし、これが大失敗。
サイが
「僕がやる僕がやる。」
としゃしゃり出てきて、あれこれ打ち始めるがうまくいかない。
おまけに「あいうえお」のリストの順番がPCのキーボードと配列が違うので、
文字を探すのに手間取りイライラが最高潮になってしまう。
「使えねー!」
とプリプリ怒り出す。

僕の頭の中は、今すぐ帰りたい。
という思いでいっぱいだ。
サイと一緒に外で行動するのは難しいことなのだ。
余程の猛獣使いでないとおとなしくさせられないだろう。
何度打ち込んでもうまくいかず、せっかく打ち込んでも「全削除」を押してしまい水の泡となり、それでも自分でやらないと気が済まない。

ようやく打ち込んだけれども、在庫はありません、と表示が出てサイはイライラしはじめる。
「けっ、こんな店じゃ売ってねえわ!」
と言い出したので
「そうだね、帰ろう。」
と促しさっさと外に出た。
サイも僕にくっついて外に出る。
サイはいつもこうだ。
自分のものを探してもらっているのに不機嫌になる。

ようし、気が済んだかな?と思えばそうでもない。
結局、古本屋にも行ったがサイは自分じゃ探さない。
僕が一生懸命タイトルをぶつぶつ言いながら本を見ているのに、視線に割り込んできて関係ない話をしはじめる。
僕が本に目をやっていると
「おい無視するな。」
と因縁をつけはじめる。
こいつは何なんだ。

僕は、何とかこらえようこらえよう我慢するんだ、サイの行動は障害の特性なんだからと自分に言い聞かす。
それをあざ笑うかのようにサイは
「なあなあ。」
と本とは違う話を延々としはじめる。
相槌を打たないと怒るし、本が無きゃまた怒るんだろう。
我慢の限界の限界で僕は本屋でおかしくなりそうだった。

脳内では、サイをぶん殴っている。
本当に出来たらどんなにいいだろう。
サイは構わずキーキー言いはじめ、
「せっかく探しに来たのに、時間の無駄だった。僕の時間を返してくれ。」
と文句を言い目がつりあがる。
胸がグツグツと渦巻いて、血が噴き出しそうだ。
ごくんとつばを飲み込んで必死で耐えた。

腕と脚がジリジリとしはじめて、全速力で今すぐダッシュしたくなる。
サイなんて置いて行ってしまえ。
今すぐにこいつから離れないと死にそうだ。
顔を何度も手で拭い僕は耐える。
置き去りにしたら大変なのもわかっている、僕は我慢するしかない。
何の苦行だろう。
いったい何のための苦行なのだろう。

人から離れたい。
なんでもいから一人になりたい。
何も音がしない、何も動かない、何もない世界に一人で居たい。
僕はサイだけじゃない、もう一人の兄や妹と長く居てもこうなってしまう。
刺激が苦手だ。
人間が苦手だ。
穏やかになれる人なんて僕には居ない。
脚がムズムズする。
腕もムズムズする。

本を手に出来なかったサイはこの世の終わりのような顔をしながら、もう一軒見に行ったがやはり本は無く、超不機嫌になって帰宅した。
「お前のために連れて行ったのに、そんな態度はないだろう。」
そう心の中で僕はつぶやいた。
人の善意など、サイには届かない。
それも知っているから僕は言わない。

帰宅後から丸一日たってもサイは不機嫌なまま。
ご飯も食べずに本に執着をしている。
腹が減っているだろうに、と僕はかわいそうに思ってしまうところも呆れるくらいに人がいい。
おまけにマックを買ってきてやるところも馬鹿丸出しだ。
人がいい。
人が良すぎる、放っておけばいいのに放っておけない。

僕は人には親切にしてやるのに、自分のケアは出来ない。
だから今も脚がムズムズしてしんどい。
冷たいところを探して脚を当てたり、叩いたりしてなんとかしのぐ。
寝れなくなって気持ちが悪い。
家族から離れたい時には自分の部屋に帰る。
僅かな時間でも良いからホッとしたい。
それが今の生活なのだ。



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ADHDの苦悩

部屋が散らかるから 
整理方法も工夫する
余計なものは持たずにシンプルに暮らそうとする
ADHDもそうだ
整理したいなら工夫をする
シンプルにするともっと楽になる


時間にルーズなのではない。
時間の感覚が違うだけだ。
落ち着きがないのではない。
自分の感覚を確かめているだけだ。
持ち物の管理が出来ないわけではない。
集中が途切れるだけだ。
理由がわかれば、改善は出来る。
それでもミスったら、また改善をする。
僕はADHDだからこそ改善が出来る。


自分を一番信じられない一瞬もある。
念には念を入れて荷物を準備したのに、肝心なものを忘れたときとか。
しかも、なぜ忘れたのかさえ思い出せない。
それに、手に何かを持っているといつの間にか失くす。
我ながら愕然として自分にイライラする。
僕はモノに執着してはいけないということなのだろうか。


数歩歩けば、脳からポロポロと何かがこぼれ落ちるような気さえする。
いつもいつも、何かを忘れているような気がする。
約束があったのかもしれないとか、期日が実は忘れていて今日だったりしないかとか。
スケジュールを見ても意味はない。
書くのを忘れている可能性だってある。
僕なんだからありうる。


メモをしても紛失する。
魔法のようにどこかに飛んで行ってしまう。
メモを書いたことさえ怪しくなってくる。
僕のことだ。
気のせいかもしれない。
それならばと、写真を撮る癖をつけた。
なんでも写真に撮れば僕の記憶の代わりになってくれる。
しかし肝心のスマホを失くした時はこの世の終わりかと思った。


なんでこうなるのだ。
と自分を恨みたくなる。
どこまで馬鹿でどこまで甘くてどこまで抜けているんだと怒りがこみ上げる。
自分に怒っても、何も解決はしないが怒らずにはいられない。
そして怒りの後に失望をする。
「僕はとっても残念だ。君には期待していたのに。同じ失敗を繰り返してばかりだ。」


ADHDじゃなければ、いったいどんな世界が見れたのだろう。
頭の中は静かで整理整頓され、時の流れとともに記憶が続いているのだろうか。
わずかな時間でもいいからそういう世界を体験してみたい。
どれだけ僕は自分にガッカリしなくて済むのだろう。
自分の時を認識しながら生きていけるのだろうか。


一歩一歩、自分の歴史を自分に刻むことはどれだけの充足感があるのだろうか。
僕の時間は飛び飛びで、まったく続いてはいない。
必ず抜け落ちてしまう。
今を生きていることには、間違いないのだが、時の使い方がおかしいのだろう。
タイムテーブル通りには絶対に合わせられない。
合わせる自信もない。


24時間で1日が終わるなど、どうやっても無理な話だ。
間違いなく間に合わない。
24時間ですべてを詰め込んだら僕は忙しくておかしくなってしまうだろう。
出来れば、少し時間が欲しい。
26時間は最低でも。
いや、それでも間に合わない。
ノンビリしているわけではないのに、時間の経つのが早すぎる。


社会に居るのだから、時間は合わせなくてはならない。
僕時間に合わせていたら、社会はまわらない。
僕の時間は一定さはなく、気まぐれであり不確定だ。
おまけに明日の予定なんてわからない。
明日になってみないとわかるわけがない。
しかし社会はわかっている。
明日を読んで生活の基にしているのだ。


社会では明日がわからないと不安になるのだという。
僕は逆に、明日がわかることが恐ろしい。
イメージさえ出来上がってこない。
今をやっつけてしまわないと、僕の明日は来ない。
太陽は昇るだろうが、僕にはそれが見えていないこともある。
あっという間に太陽は月に姿を変えていることもあるくらいだ。


僕の時間は飛び飛びだから、くっついていない。
だから、今日と明日もくっつかない。
くっついているのなら、明日の予定もきちんと決められるのだろうし、決めないと不安なのだろう。
くっついていない僕は、明日の予定を決めたとたんに不安になってしまう。
明日がイメージ出来ないから余計に不安になる。


もしも、明日の予定があったのなら、僕は今から明日をつなげるために必死になる。
明日のために、今から繋いでおくことをしないと、明日が確定しないからだ。
予定の時間まで寝ずに記憶が繋がるようにしておかないといけない。
そうやって頑張って起きているから、眠さで気絶して時間に遅れてしまう。


時計を見てガッカリする。
まただ。
まただ。
悪夢を見ているようだ。
昨日の時点に時が巻き戻ったりしないのだろうか。
何回遅刻して何回すっぽかしているんだろうか。
自分がガッカリ。
頭をポカスカやりたくなる。
予定があるのにのうのうと寝ているなどと、社会人としての意識が不足している。
無責任だ。


ぐわんぐわんと頭の中で自分を責め始めるが、責めてみても仕方がない。
何も始まらないし解決はしない。
気を取り直して謝罪を繰り返し、心がえぐられるようになり反省するのに、またすぐに繰り返す。
僕には反省がうまく作用していない。
それならそうだ、作用しないのかもしれない。
今のやり方では。


予定を守るとしたら、工夫が必要だろう。
反省を作用させるためには、同じことをしていても、なんら意味がない。
予定の前日はリラックスしておくとか、いっそのこと現地で待つとか、あれこれ試してみるとわかってくる。
僕に合ったやり方で予定に近づけばいいのだ。
自信を失くすことはないともわかった。


予定に合わせられないと、自信を失うことはおかしいことだ。
何故かといえば、僕は一生懸命努力をしている。
結果が遅刻だとしても、それはただの結果であって、まだ何か僕のやり方や工夫に欠点があるだけだからだ。何も僕が悪いのではない。
工程が悪いだけだ。
悪い部分を修正していけばいい。


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ADHDの僕はいつも困っている。

どんなに不遇でも
どんなに障害があっても
勉強をしていればいい
成長を止めてしまえば
生きている心地がしない
その時その時だけを
掴み続けていれば
生きている心地がするから

毎日同じことの繰り返し
朝から夜まで同じこと
心臓も同じことを繰り返して
同じように生きるだけ刺激を求めても
刺激はすぐに感じなくなる生きることに
意味を探してばかりじゃ
すぐに飽きてしまう
意味が無いから生きている
意味が無くても生きて行ける


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【ADHDの僕はいつも困っている。】

子供のころはあまり注意されないことも、
大人になって社会人になると、
致命的なミスを引き起こすことさえある。
最近は、仕事をするようになったので余計に困り度が大きくなってきたと思う。
いったいADHDの人がどういう感覚なのかわからない人もいるだろう。

一言で言えばいつも脳内が忙しい。
ザワザワしていて落ち着けない。
まるで雑音がずっと流れているような感じだ。
だから思考しようとしても、考えが飛び飛びになってしまいまとまりがなくなってしまう。
散らかったままの部屋のように、僕の脳はいつもいろいろなもので溢れてしまう。
だから集中しにくい。

脳内の散らかった部屋をなんとかして片づけたいと願うけれども、次から次へとモノは飛び込んできてしまい、ちっとも整理出来ない。
それじゃあ、端から整理しようとするが、次のモノがすぐに飛び込んできて意識が移動させられてしまう。
これはわざとやっているのではなく、スイッチが切り替わる感じだ。

切り替わったスイッチは一方方向にしか動かず、ただ進め進めとなってしまい、戻ることが出来ない。
最初に取り掛かったモノはすっかり忘れてしまうので、もはや取り掛かったことさえ意識にない。
後で思い出すこともあるが、思い出したところでまた何かのスイッチが入るので移動せざる負えなくなる。

スイッチさえはいらなければいいのに、ADHDのスイッチはとても強力だ。
本人の意思とは関係なしに意志を無視して無情にもスイッチは稼働してしまう。
予防の対策としてあれこれやっても、スイッチはカチッと入り動きだしどうにもならない。
流れに逆らうことが出来ずに無意識に脳は次に歩き出す。

結果的に脳は散らかり、あちこちのことに手を付けたまま中途半端になってしまう。
子供のころはこれでもなんとかなっていた。
しかし仕事をするとなると、このスイッチの存在が厄介になってくる。
人間関係では、気持ちの切り替わりの早い人になるのだろうが、作業となると別だ。
達成するまで苦労する。

一つの作業をやろうとしても、なぜか他のアイデアを思いつく。
脳が散らかってしまい境界線が曖昧なのか、別々に同時に考えているような気がする。
いったい僕の脳はどうなっているのかと自分でも悲しくなるくらい、次のターゲットを脳が思いつくとスイッチは切り替わる。
PC画面が切り替わるように。

常に脳内でいくつものプログラムが動いているような感じで、勝手にこれがランダムで切り替わる。
切り替わればそれに取り掛かるしか無く、また興味も注目もそれにしか動かない。
優先順位などつけられるわけがない。
どのプログラムも重要なことにしか感じないからだ。
順番も順位も無い世界なのだ。

そんな脳の動きだから、僕はいつも困ってしまう。
自分の脳の動きに世の中が合わせてくれるわけがないからだ。
僕はいつも流れてしまい、世の中は順番や順位が決まっていて固定化されそれを要求してくる。
折り合いがつくわけがない。
たまに一致することもあるだろうが、一致しなければおしまいだからだ。

動き回っていちいちパチパチ切り替わるプログラムは消耗が激しい。
だからたいした時間じゃなくても疲れてしまう。
脳がフル稼働なのだから仕方がないだろう。
それを責められても人間の限界なのだからどうしようもない。
責めるのならば、脳内の厄介なスイッチに言って欲しい。
決して僕が悪いのではない。

こんなスイッチがあったのでは、現代の人間の脳は、処理しきれず処理落ちしてしまう。
パチパチばかりしているのだから重くなってきてフリーズしてしまう。
どんどんヒートアップして熱を持ってしまう。
そうなってくると熱くて焦ってくる。
脳が散らかりすぎて目が回りそうだ。
止めるには休むしかない。

社会に出ると一定の順番や順位を要求され、また一定の動きを求められるが、こんな風だから守りたくても守れない。次から次へと切り替わる脳のせいで、一定なことが出来ない。
どうしても守るのなら、スイッチが入らないように無理矢理仕向けるしかない。
その方法を考えた方が、何よりも有効で早い。

もしも作業に集中させたいのなら、刺激を減らすことが一番だろう。
余計な刺激が脳に入ってこないように、デスクを囲いで仕切るとか、スペースは少人数とか工夫はあると思う。そして、ひとつの時間にひとつのことしか進行させないことだ。
あれもこれもと同時進行を要求すると脳が加速してしまう。

それでは、散らかり具合が酷い僕がどうやって仕事をしているのかを話そう。
僕の仕事は集中力が求められる。
脳にいちいちスイッチが入っていたのでは、作業が進まない。
そこに多動も入ってくるのだから想像しただけで恐ろしいが、多動の抑え方はまた次に書くことにする。
ひとつの方法として僕流なのだ。

僕は集中するために、脳のスイッチを強制的に入れっぱなしにしている。
なんだ、止めるのではないのかと思うだろうが、止めることはとても困難だ。
だから、入れっぱなしにあえてしておいてから仕事に取り掛かる。
なぜかと言えば、入れっぱなしなのでもう次にスイッチが二重では入らないからだ。

既に何を言っているのかさっぱりわかりにくいだろう。
脳の限界を利用して、二次的なスイッチを入れないようにしているのだ。
もちろん、スイッチが入りっぱなしなのだからクルクルと意識が動くと思うだろうが、既にスイッチが入って一定の刺激を受けているので、集中が途切れるスイッチは作動しない。

要は、仕事の作業に集中するために、脳に無理矢理刺激をかけてスイッチを入れておいてから集中をするのだ。
脳の切り替えスイッチはひとつしかないのだから、稼働しておけばいいのではないかという僕の勝手な理屈からだ。
もちろん、無理矢理なので集中出来る時間は限られているが濃い集中を得られる。

僕がいつも困ってしまうこと「脳を集中させる」これを達成し克服し乗り越えるためには、今のところこれしか方法がなかった。
もしかしたらもっと良い方法があるかもしれないが、今は断然これが効いている。
それでは、実際には何をしているのかを書いておこう。
言っておくが僕のADHDケースである。

まずは、仕事の前に脳に刺激を与えるために、動画を観はじめる。
その動画とは、大好きな自動車事故やクラッシュの動画だ。
これをずっと表示させておく。
延々と流しておくのだ。
クラッシュの動画は常に緊張の連続であり、冷や冷やする。
そして終りが決まってクラッシュだ。
だから安定するし飽きない。

まったく事故の動画だなんて不謹慎だと言う人もいるかもしれない。
しかし、僕には効くのだから仕方がない。
常にクラッシュだから、常に脳が注目し、また、次への興味でスイッチも動画によって切り替わる。
このおかげで僕が他の画面で作業に集中が出来るのだ。
壊れるという刺激が良いのかもしれない。

ありえない速度で突っ込む車。
ありえない方向から現れる車で、僕の脳は次から次へと刺激を受ける。
普通の人ならビックリしてしまって、逆効果で作業が止まるだろう。
しかし、僕には逆に働いてしまう。
どんどん集中が出来ると言うわけだ。
いったい脳がどうなっているのか、疑いたくなるだろう。

僕は複合的に障害を持っている。
ADHDでアスペルガーでサイコパスだ。
だからこそ、効くのかもしれないから、実際にはクラッシュ動画だなんて、もちろんお勧めはしない。
しかし、他にも同じ理屈で効き目があることがあると思う。
要するに「ながら作業」のススメかもしれない。
音楽でも良いだろう。

音楽は、僕にはあまり効かない。
目からの刺激のほうが僕には強いからだろう。
だからぱっぱと切り替わるものが無いと、片方で集中が出来ないのだ。
今日は長々と集中についてツイートしたが、だいぶ変わっているかもしれない。
しかし、ADHDの人の脳はこうなっているのだ。
だから責めないでほしい。

ADHDの自分にも止められない脳内スイッチは、本人を責めても何も解決はしない。
そして、もし集中出来ないことを責めてしまったら、わけもわからずに自信を失ってしまうだろう。
それこそが大変まずいのだ。
責めても治りはしない。
時間の無駄だし、お互い疲れるのだから、解決方法を探ってあげよう。

そしてADHDを抱える本人も、まずは悲しんでいても仕方がない。
こういう脳なのだからと割り切ってしまうと楽だ。
僕もそうだ。
困っている。
困るが困ってばかりじゃ仕方がない。
失敗はいくつもあるが、失敗があるから成功もある。
怖がることはひとつもない。
特性さえ把握すれば必ず何かを達成できる。

誰かにお願いすることも、一人で解決することも大差ない。
恥ずかしいことなどまったく無い。
自分を知ることは良いことだ。
方法なんてなんでもいいから自分の環境にあった自分の方法を編み出すことだ。
法に触れない範囲なら試してみるといいだろう。
案外面白いことがピッタリ効いたりするかもしれない。

困っている僕は、困っていることが僕らしいのだから。
困っているADHDは、困っているからADHDだ。
困るからこそ、工夫が生まれる。
ADHDは、人類の工夫の宝庫だから、有難い存在になるに違いない。
と、僕は困りながら前向きに毎日困りながら工夫をして生きている。




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サイの取扱説明書

アスペルガーと反社会性人格障害の特性がとても強く出ている兄との接し方を書いています。


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【サイ】

アスペルガーの特性が極端に出ている双子の兄は「サイ」。
サイコパスだからわかりやすくこう呼ぼう。
偽名だがこれからこう呼ぼうと思う。
いつもは、お互いを「お前」と呼んでいる。
名前では呼び合わない。
しかし、これはあまり良くはない。
だから僕は極力名前で呼ぶように意識して変え始めた。

彼と一緒にいると、周囲の空気が変わる。
ピーンとギリギリまで張りつめたギターの弦のように少しでも触れたら切れてしまいそうだ。
サイはいつもそんな雰囲気で緊張をしている。
家の中から滅多に出ないのだが、ありとあらゆるものに、喧嘩を売っているようだった。
世界はどんな色をしているのだろう。

僕も以前はそうだった。
自分が統制取れずに、人に噛みついてばかりいた。
サイの状況がわかるからこそ、僕は一緒に緊張してしまう。
連動しているのだ。
しかし、ここでまた以前の僕に戻るのかと言えば、それはないと思う。
恐らくないだろう。
ただし、自信はない。
僕が警戒するほど、彼の影響力は大きい。

まだ、離れて暮らしていたサイが兄であるという実感が僕にはない。
もちろん、彼もそうだろう。
これからいつか兄弟らしく居られる時が来るのかもしれないが、今はまだ兄とは呼べずにいる。
それはお互いにそうだろう。
アスペルガーの特性が大爆発している彼は、人との関わりが極端に偏っている。

僕と目を合わすことも出来ずに、僕が少しでも笑ったり表情を変えると、すぐに緊張し警戒しはじめる。
余程話が面白くてツボに入らないと和むことが出来ない。
和んだとしても何かの拍子にすぐに警戒をしはじめる。
心の波がとても荒い。
ギザギザでトンがっている。
丸いところがない。
おまけに厚みが無い。

話すことも自分のことばかりだ。
他者に興味があるとしたら、自分が頭にきたことだろう。
他者がたとえ寸前まで仲間だったり友達のようだったとしても、サイにとっては瞬時に敵に変わってしまう。
信頼関係が非常に希薄なのだ。
利害にしか興味はなく延々とやったやられたの話をする。
勝ち負けにこだわる。

僕の昔の姿に瓜二つの状態を、僕は彼を通して見ることになった。
「世界に面白いことなど何一つなくて、つまらないことばかりで、ただ寝ているだけ。」
と言いイライラをぶつけてくる。
前向きな意見を言えば、ことごとく否定してくる。
「早くこの世界を終わらせたい。」
と諦めたような目で言う。

他者のことは、唾を吐き捨てるようにしか考えていなくて、相手の都合など考えられない。
常に時間ばかり気にしてせっかちに行動しようとする。
時間の無駄が嫌いで、無理難題を言う。
僕はそんなサイに関わっていると、自分のパワーが吸い取られる気分になる。
心と身体がグツグツ煮えたぎってくる。

今、僕がサイのことに腹を立ててしまったら、全てが無になってしまうだろう。
それでも、腹が立たないわけがない。
僕は、歯を食いしばって我慢している。
何とか自分を保とうとしている。
まるで苦行のようだ。
そんな苦労なんか気が付かないのか、畳み掛けるように念仏のようにストレスを掛けてくる。

頭を掻き毟ってしまいそうになる。
全身が熱っぽくなってくる。
汗をかいてめまいもしてくる。
それでも、僕はこの目の前の彼を見つめ続ける。
僕はどうしたら良いのだろうか。
何をしたら、彼は少しでも自分の人生を生きることが出来るのだろうか。
他者を導くことなど、僕にはハードルが高すぎる。

彼には、つとめて柔らかな態度で接し、穏やかな対応をする。
口調も早口にならずにゆっくりとでなくてはならない。
身体の動きもそうだ。
なるべく急がず激しい動きは抑えること。
鷹揚に構えること。
目はあまり凝視しないこと。
そして決して否定しないこと。
感情を出さずにまた悟られないようにすること。

僕に母がしてくれたようにすればいいだけだ。
しかし、これはとても難しいことばかりだ。
僕は怒りを出しやすい。
そして衝動的であり落ち着きが無い。
心の動揺を読まれてしまったら、動きを読まれてしまったら、あっという間にサイに気が付かれ、警戒され攻撃されてしまう。
無心になることを要求される。

同居をはじめてから、僕はサイと接するときは僕を演じようと決めていた。
僕を丸出しにしてしまったら、あっという間に魂を抜かれて牛耳られてしまう。
彼とうまくやるには、僕は対等な立場でなくてはいけない。
サイコパスの手口を知っている僕は、それならばと、同じ手口をカードとして出すしかない。

僕は彼に支配されてはいけない。
もちろん家族全員だ。
なんでもかんでも彼の思い通りにはしない。
規則やルールを明確にして、それに従ってもらう。
従わないのならいったん物理的に離れて一人にする。
いつまでも傍に居ないように心掛ける。
そして、頃合いを見て彼の出来ないことは協力をしてやる。

手助けは淡々とやる。
恩着せがましくしない。
テキパキとこなさなくてはいけない。
ダラダラとしていれば、必ず隙を突いてくるから駄目だ。
僕は、徹底して母のやり方をそのままやった。
感情は見せずに毅然としていることだ。
そして、彼が出来そうなことは、提案をしてみる。
嫌がればすっと引き下がる。

彼自身の意思に任せて、無理強いはしない。
ただし、後日興味を示したり、やってみようかなとなれば、やり方のみ教えてやる。
うまく出来なくても何も言わない。
うまく出来れば、目視だけしてアイコンタクトする。
僕は母親ではないから、上手には褒めれない。
今は彼の行動の事実を認識だけするのみだ。

僕がどんなに自分を抑えて対応していても、サイはグズグズとしてくる。
お構いなしに感情的にぶつかってくる。
そうなったら、僕は悟られないように大きく息を吸い感情を引っ込める。
まるで、母がやったように自分を出さない。
僕は僕の役割だけを演じることに徹する。
これはとても難易度が高い。

一昔前の僕だったらきっともうとっくにサイをブッ飛ばしていただろう。
何度も何度も拳が出そうになった。
もし目の前に武器があったら、大変なことになっていただろう。
そのたびに、僕は彼のことを樹と思い、僕のやることは、太陽だと思うようにした。
彼の意識は樹であり、僕の意識は森だ。

今までのことを考えれば、僕は周囲の人に感謝しなくてはならない。
僕が今手に職を付けれるようになったのも、すべて自分の力だけでは無いからだ。
僕はおかげで自立出来たのだから、今度はサイに恩恵を返そうと常に心に刻み込んだ。
家族だからではなく、兄だからではなく、一人の人間に返そうと思った。

僕がもっと強さを身に付けるには、障害と闘って乗り越え安定させていくためには、きっと彼との関係で得たことが大きな勉強になるに違いないと確信していた。
この問題から逃げてしまえば、楽かもしれないが、僕や僕の家族は永遠に何も得られないかもしれない。
それに僕を見つめるいい機会だろう。

人間は仕事さえしていればいいってもんじゃない。
それだけでは何かが足りないような気がしていた。
僕は愛とか、感情はうまく表現が出来ない。
そもそも、なぜこういう障害を持っているのか、障害を持っていたら何が出来るのか、人とはどう繋がればいいのか、自分はどう生きればいいのかを考えたかった。

サイと同居をはじめてから、僕は不安定になりまくった。
ストレスで不眠になり、食欲も無くなった。
パニックも多発し、怪我もしてしまった。
居場所が無くて泣きたくなった。
それでも、僕には考えることが出来る。
解決方法を考えることが出来る。
そして楽しむことも出来る。
だからこそ、持ち直した。

こだわりが酷く潔癖で、人を信じなくて精神的に不安定。
反抗心ばかりで、今にも切れそうな彼を見ていると、幼い頃の僕が暴れているようだ。
僕が僕を導くように感じたり、頭が混乱して暴走したり、まだ僕にはうまくはやれないが、未発達の彼よりは僕は大人だ。
まるで子育てのようにやってみようと思う。

僕は、耐えられるかわからない。
今日もしんどかった。
心がグサグサとえぐられる感じがした。
怒りもこみ上げたけどなんとか自分を保った。
この積み重ねをしていこう。
今日ふとサイが言った。
「なあ、僕プログラムの勉強をしてみようかな。でも意味ないかな?それと本も読みたいな。暇なんだよ。」

ああ、いいね。
そう僕は言って提案をした。
「本を探しに行こう。」
彼は10才から勉強をしていないので、漢字は調べながら読むのだと言う。
素晴らしいことだ。
彼の中でなにかが変わってきているのか、なにかが動いているのかわからないが、一ミリでもいいから前進して生きていることを感じてほしい。




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