発達障害なう

ツイッターで、投稿したものをコピーしてあります。

2016年01月

【ご注意】このブログ(ツイッター含む)の文章の内容は、僕が障害を乗り越える過程です。現在進行形ではありますので、人によっては不快に思ったり、障害当事者の方は、フラッシュバックを起こす危険性もあります。文章で生々しく当時のことを再現しておりますので、閲覧される場合はじゅうぶんご配慮の上、自己責任でお読みください。また、自傷などは、一切僕はしておりません。
また、このブログに書いてあることは、あくまで、一障害者の発言であり、専門家の意見ではありません。僕の発言だけを鵜呑みにすれば、危険をともなうことになりかねません。そして、僕の文章は、全てを網羅するものでもなんでもありません。そして、発言内容を他者に押し付けるつもりもございません。その点、ご留意の上、お読みくださると幸いです。
【自己紹介】ADHD アスペルガー症候群 強迫性障害 反社会性人格障害 10才で診断。双極性障害は19才で診断。 小1からの出来事をツイートしています。発達障害関連無言フォローします。愛の手帳4(療育手帳B2)障害者手帳1級取得。精神年齢14才。亡母がアスペルガー・ADHD、現在21才。フリープログラマー♂ 2015年6月9日スタート

味噌汁

ツイッターでは、うまく言えませんでしたが
僕は、母を失った直後から、なんとかしっかりしなくては、と超踏ん張っていました。

母に先々のことを任されていたわけではありませんが、
今までの母から受けた愛情を今度は家族に返そうと思っていました。
それで、最近は、家事に専念しているというわけです。


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それに、僕は案外おせっかいなのです。
世話焼きであり、人にあれこれしてあげることが、どうやら好きなようです。
自分では、そんな一面があるだなんて、気が付いていませんでしたが
身近な人に、僕の行動を見て
「マメねぇ。」
とか
「世話好きねぇ。」
と、言われたことで自覚してきました。

要は、僕は家族へ何かしてあげることは、好きでやっている、ということなのです。
そして、なんとか家族を喜ばせるためなら、苦労はいとわないのです。

温かい料理を手作りすることも、レシピを見たり、youtubeを見たりして習ったり、
小さいころから、大好きな「3分クッキング」を見て、手順を丸暗記していましたから
始めて見ると、なんとか食べれるくらいの食事は出せるようになりました。

しかし、その料理も家事も、自分でやるようになるまで、葛藤や反発はありました。
僕はまだ心のバランスがとれていなかったのです。

まず、温かいものに拒否感がありました。
満腹になるということに、おかしな気持ちもありました。

それが、喪失感だったのかなと思います。
僕は、母が居なくなったこと、亡くなったことでの、生活の不便さに
頭に来ていました。
置き去りにされてしまったような、無いものねだりをするような
求めても仕方のないことに、気が付くまでは
グダグダと、やさぐれていたような感じです。

しかし、目の前には、サイくんといいう、双子の兄がおり
そんな僕の心など関係ないように、容赦なく要求を繰り返してきました。
兄は、不服なことがあると、人の気持ちや感情など無視して、
そのままストレートに文句を言ってきます。
それが、彼の重い障害のせいであるとは、わかっていても
僕は何度も頭に来ました。
しかし、ぐっと堪えて過ごしてきました。

兄にとって、僕は「母の代わりに面倒をみてくれる人。」
であり、また
「唯一、信頼出来る人。」
であったので、むしろ僕にしか言えなかったのでしょう。

そんな兄になんとか美味しい温かな味噌汁を飲ませてやりたくて
僕は、ようやく重い腰を上げて、キッチンに立つことにしたのです。

自分のことよりも、人のために。
僕は、そう思えるように、また行動できるように
いつの間にか母から、学んでいたのだと思います。

数日間かけて
食材の調達も、買い物も上手に出来るように工夫をし、
先端恐怖症と戦って、野菜を切ったり、
味噌汁の味見を何度もして、亡き母が作ってくれた味噌汁に近づけようと
思考錯誤をしました。

そして、ようやく出来上がった味噌汁を兄に
「さあ、召し上がれ。」
と、出したとき
兄の目はぱっと輝いたのです。

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僕はその目をみて、本当に良かったと嬉しくなりました。
「うまいうまい。」
と何度もおかわりする兄もきっと、温かさに飢えていたのだなと思いました。

それまでは、母と言う持ち主が不在となって冷え切っていたキッチンの鍋やフライパンも
食器棚におさめられたお椀やお皿も、今度は僕が温かさで満たしていきたいと思います。

僕は知ったのです。
自分のために何かを得るよりも
人のために苦労し行動し何かを得たほうが
自分のためにもなるということ
そしてそれが幸せなのだということをです。

これからも、温かさを料理と言うカタチで僕は幸せを提供していけたら
自分も幸せになれると確信しています。

そして、自分が、僕が辛いときも、この味噌汁は僕を温めてくれるでしょう。
もっと様々な料理が作れるようになりたいなと、思います。
すべては、誰かの笑顔が見たいから。
そして、それは自分に返ってくる。

それだけで、僕は生きていけるような気がしているのです。
毎日飲める味噌汁は、母の味がしていますから。



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心が荒んでくる

朝 いつもの朝は
お腹が空いたら
スクランブルエッグを
当たり前に食べていた
今は卵も無いし料理もしていない
食べたいなと口に出しても
朝の音楽は流れて来ない

キッチンが冷たく見える
冷蔵庫は空っぽ
猫の餌が転がるだけ
主人が居なくなるとモノや空間は
死んでしまうんだね
大きな鍋も大きなフライパンも
まるでガラクタみたい

母が居ないことに違和感を感じながら、キッチンが嫌で仕方がなかったころです。
料理しようという気力もわかずに、ただ日々仕事と家事に追われていました。
そして、そろそろいっぱいいっぱいになっているんだろうな、と
感じ始めていました。
なんとか調整し、家の中を立て直さなくてはいけないとフル回転でした。


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僕たちはそれなりにスタートしはじめた。
Amazonでお米や生活消耗品を注文して、毎日のおかずはコンビニで調達する。
スーパーに行くのは難しいから、ネットで即席品を買い漁る。
料理は忙しくて何も出来ない。
ダイニングテーブルにおかずの入った袋を置いておくとサイくんは勝手に食べてくれる。

洗濯掃除は、週3回人の手を借りているが、サイくんがまだ慣れないようでイライラしている。
お皿やコップを洗ってもらっても気に入らず、ブツブツ文句を言ってしまう。
洗剤が残っているような気がするのか、鼻をくっつけてクンクンしている。
僕の分は洗わないでと無理を言っている。

ちゃんと洗えてないんだよと、僕にキーキー言うが、とりあえず無視している。
少しはサイくんにも我慢してもらわなければ。
これから、彼の強いこだわりとどうやって付き合っていくか頭が痛い。
食事は、即席品やコンビニ産なら文句を言わないので助かる。
ただ、味噌汁飲みたいと言われて困ってしまった。

お湯を注げば完成する味噌汁じゃ嫌だと言うし。
鍋に入ったヤツがいいと駄々をこねる。
今は無理なので、諦めてもらうしかない。
冷蔵庫には、何も無いから音ばかりうるさい。
冷凍食品も増やしたいなと思うがネットスーパーでまだ買えてない。
やることがたくさんだがノートに書いてひとつずつやっている。

今、再度、フォロワーさんからのお悔やみのお言葉を読み返しました。
ほんとうにありがとうございます。
亡き母もたくさんの方に慕われて喜んでいると思います。
僕は大丈夫です。
障害があるから出来ないこともあるけれど、この先は可能にしていきたいと思っています。
また母語録思い出したら書きたいな。

最近は、自分が空腹なのか、満腹なのかよくわからなくて、食事をしそびれたり、食事をしすぎてダウンしたりを繰り返しています。
以前は、母が食事を作ってくれていたので、時間も空腹感も管理されていたということなのかもしれません。
自宅には猫に餌をやるためと寝るためにしか帰りません。

自宅のキッチンには相変わらず猫の餌しか転がっておらず、誰も作りません。
もう作る人が居ないので、フライパンや鍋も捨ててしまえばいいかなと思っています。
様々な支援の手は入りますが、まだ自宅の中に来てもらうほど僕達は心が許せないようです。
僕よりもサイくんの方が難しいかもしれない。

昨日は、いつもコンビニのレトルトや冷凍食品や弁当ばかりだから、
少しでも手作りのものをと、勇気を出してスーパーに行ってみました。
おかずを電子レンジでチンするだけなら出来るので、お惣菜コーナーに行きました。
そこには、たくさんの種類のお惣菜が並んでいました。
コロッケや唐揚げ、サラダ。

唐揚げを見て手に取りますが、どうしても母の作ってくれた唐揚げと比べてしまい、
買うことをやめてしまいます。
見た目は似ているのですが、少しだけ色が違うと感じます。
こんな時に、もしかしたら失った悲しみが来るのだろうとふと思いました。
僕には、不都合だなとか、違和感を感じます。

お惣菜コーナーを一通りみても、どこにも母が作った料理に似ているものがありませんでした。
買えないのは残念です。
どこかで見つけられるかもしれないので、たびたびお惣菜コーナーには行ってみようと思います。
母を亡くして以来サイくんとは、仲良くやっています。
彼は変わらず半袖半ズボンですが。

時間は、何か変化があったとしても、流れていくし、
僕もその流れには乗っているんだから、当たり前だけど、
仕事はどんどん山積みになっています。
僕がお腹が空いたのか、空いていないのか、栄養はどうなっているのか自覚出来ずに、
何を食べていいのかわからなくなりました。
食欲が無いのだと思います。

僕は、母を失うということについて、上手に悲しむことが出来ませんから、
そのために心が違和感や変化を吐ききれずに、慢性的な詰まりを起こしているのだと思います。
人は泣いたり、涙を流したり、誰かと一緒に悲しむことで、心を修正していくのかな、と思いました。
だから感情があるんだなって。

サイくんも、僕とは違うところで、違和感を感じているようです。
冬が来ることや、外の温度が変わってきていることも認めようとしないし、
雨が降っているのに、窓を全開にして風を感じてみたりしています。
夏じゃないのに、水を浴びたりしています。
身体は震えているのに、寒くないと言うのだから。

彼の笑顔は、苦しそうです。
笑顔なのかな?笑顔もよくはわかっていないようです。
ただ、僕の顔をじっと見て、歪んだように震えながら笑っています。
僕は仕事が忙しいので、彼とはあまり顔を合わせませんが、
合わせるときには、お互い握手やハグで
生きている確認のように、ポンポンと叩き合います。

僕は、これからどうやって、この環境の変化に対する違和感を解消していくのか、
考えなくてはなりません。
今は、仕事に没頭していますが、それでも生活も大切なんだと思います。
食欲が上手にコントロール出来ないので、吐き気が多くて気分が悪く困ってしまいます。
何をするにも身体が資本なのだからね。

僕は自分を楽しみたいのに、今はなんだか変な感じ、で困ってしまいます。
時間が経てば、違和感も解消されていくのかな。
エネルギーが足りていないから、もっとエネルギーが欲しいな。
それが食べ物では、埋まらないような変な感じです。
不足しているものを補えるように、なりたいなと思っています。

人間って面白いというか、身体と心がうまく調和して両方安定しないと、力が出ないんですね。
バランスはとても大切です。
そうじゃないと健康とは言えないし、幸せを感じられないような気がします。
パワーも出てこなくて歪んでしまうような。
そうなるとまっすぐ前も向けなくなってしまう。

僕の現在は、頭の中も整理できなくて、こだわりも酷くなってしまうし、
おかしなことばかりしてみたり、多動も衝動性も酷くなってしまっているし。
誰でもすぐにわかるような違いにだって気が付かないほど、
目も脳にちゃんと情報を伝えられていないような気がします。
自分でも驚きました。

次に向かうために、今まで教わったことを基に、心身の調子を整えたい。
何かに頼るんじゃなくって、自分で抜け出したいと思っています。
さっき、ゴミを袋に突っ込んで、ゴミ出しをしてきました。
今までは誰かがやってくれたことも、自分でやりながら、労働で生きていることを感じたいです。




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サイくんの面倒を開始する

母を亡くし、僕は双子の兄のサイくんの面倒をみるようになりました。
サイくんは、外に出ることが出来ずに、部屋にひきこもっています。
障害が重く、いつも不安定なのです。

しかし、まるっきり外に出れないわけではなく、20分以内くらいなら、
外出も可能です。
しかし、付きっ切りでいてやらねばなりません。
また、日常の世話もしてやらないと、一人では出来ません。
人への不信感が強いので、家族以外の人とは、会おうとしません。


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もう11月も中盤。
長野はものすごく寒い。
朝方には、6度なんてときもある。
もちろん、僕はそれに気が付いて、現在は長袖であるが、
困ったことに双子のサイくんは、まだ気温の変化を認めようとはしない。
安定の半袖半ズボンだ。
いくら家から出ないとはいえ寒そうだ。
風邪をひかれたら困る。

サイくんは、大の病院嫌いだし、もし熱を出したとしても、
医者には診せないだろう。
それどころか、受診拒否するから厄介だ。
僕としては、早めに冬を迎えるべく(とっくに冬な気がするが)暖かい恰好をしてほしい。
しかし、何度言ってもサイくんは、
「まだ冬なんかじゃない。」
と認めてくれない。

それはそうだ、冬じゃないかもしれない。
秋かもしれない。
それでも、寒いんだから、気温次第で衣服をプラスすることが必要だと言っても理解してはくれない。
サイくんは「変化」が嫌なんだろう。
そして、もうひとつ譲れないのが、パソコンだ。
パソコンにとって暑さは天敵だから寒くて良いと思っている。

「お前はパソコンじゃないんだから。
生身の身体なんだぞ。冷やすと良くはないんだ。」
そうサイくんに言うと、へえ、と言ったまま
「寒くない。」
と言う。
しかし、それは嘘だ。
サイくんが話しているとき、寒くて口が回っていないんだから。
「お前、寒いんだろう、な?」
と言うと
「あれ。」
と考えている。

お、これはいよいよ、寒さを認める気になったか、と期待したが、
結局いまだに、サイくんは常夏仕様の恰好である。
半袖だっていうだけじゃない。
Tシャツ1枚。
そういう僕も寒さに気が付くのが遅くて、周囲の人に
「そろそろ長袖ですよ。」
と指摘されている。
どうやら身体が気が付きにくいようだ。

身体が冷えていることも、お腹が空いていることも、
疲れていることも、眠いことも、気が付きにくい。
そんなんだから、僕とサイくんはお互いに、お腹の空き具合を確認しあう良いバロメーターになっている。
時間はよくわからないので、何となく空いているかもしれない時間に声を掛け合うようにするのだ。

「おい。」「なんだ?」「なんか食べるか?」「
なんで?」「お腹が空いているのではないか?違うか?」「そうかな?どうかな?お前は?」
と、こんな具合に、ある意味腹の探り合いしているようだ。
本当に腹が減ったのかはわからないが、とりあえず何か食っておく。
そんな食事になっている。

食事は決まった時間に取らないし、そもそも時間も量も覚えていない。
これが睡眠も同じだ。
時間どおりに動くことも出来ないし合わせることも出来ない。
何故かって目の前でやっていることが最優先になってしまって夢中だからだ。
機械のようにメーターが身体にあればいいのに。
ギリギリまで動いていたい。

人間の身体はそういうところ不便だなあ、なんてサイくんと話す。
寝ないで40時間超えてしまうことは、やっぱり身体にはよくないはずだ。
なんとか上手に時間を見ながら動けるようにしていくのが健康には良いのだろう。
わかっているけれども、二人ともコントロール出来ない。
今後の課題である。 





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母との別れ

おはようございます。
仕事と、紅葉を見に河口湖に来ました。
ホテルからの眺めです。とっても美しいです。
母が良くなるように富士山にお願いしました。
まだ返信出来なくてごめんなさい。
落ち着いたらします。

いつ母が危篤になるのか、わからない状況で僕は仕事で出張に行かねばならず
心配で仕方がありませんでした。
目の前にそびえ立つ富士山を見て

どうか、母にパワーを分けてほしい

と、祈るような気持ちで富士山を見つめました。

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しかし、その祈りもむなしく、母は僕が出張から帰った翌々日、危篤状態となりました。
僕は、母が亡くなるその瞬間、兄妹を連れて急ぎましたが
間に合いませんでした。
最期に母を見ていたら、すがりついてしまったかもしれません。
何故、母を僕から奪うのか、兄妹から奪うのか。
悔しくて仕方がありませんでしたが、僕はそれを見せませんでした。

病院からの電話を受けた僕は、涙を流せずに、雨の中、
キラキラ光る電灯を、ずっと見て温かさを探していました。


いろいろあった人生だけど
笑って送り出そう
心を教えてくれた母に
感謝して僕は強く生きていこう
温かさはしっかりと受け継いでいくからね
きっと今頃鳥のように自由に
空を飛んで夜景を楽しんでいるかもしれないな


母が帰らぬ人となりました。
家のほうではバタバタしており、大変な騒ぎです。
母はやっと自由になれたように、穏やかな顔をしています。
僕は、これからは兄弟をまとめるために、しっかりしようと思っています。
今後の僕たちの生活のために、最近は整えるために走り回っていました。

僕の家は母子家庭なので、母が不在になることはとても考えられませんでしたが、
何とかしようと必死で考えました。
僕が今後はサイくんと妹の支援をすることに変わりはありませんが、
僕だけの力ではどうにもならないので、皆の協力をお願いしました。
僕も頭をフル回転させたのでうまくいくと思ってます。

こんばんは。
たくさんの方々のメッセージありがとうございます。
個々に返信出来なくて申し訳ないです。とにかく忙しかった。
自分の時間なんてほぼ無くて、家のこととか、家族のこととか、
仕事も休めないし、調整するのに時間を取られました。
複雑な事情もたくさんあって、頭を使いました。

母が亡くなったので、僕が頑張るしかないし、
兄貴はいまひとつ(父親が違うので)意見も合わずでやりにくかったです。
兄貴は悪い人ではないのですが、とっても頑固です。それと、僕のやり方が気に入らないのだと思います。それでも、家族だしうまくやらなくっちゃいけないから難しいです。

僕がこれからやらなくてはいけないことは、障害が重いサイくんを支えること、
妹が自立するまで面倒を見ること、です。
兄貴はもう自立しているので、問題はないです。
それに、僕の会社もちゃんとしなくっちゃいけない。
おばあちゃんのことも支えたい。
やることいっぱいです。
おまけに父親のこともある。

父に母が亡くなったことは、いろいろ終わってから伝えましたが、何とも言えない人です。
僕は呆れるしかありませんでした。
何故かといえば、父はまた仕事を辞めていました。
母に折角面倒見てもらったのに。なんだか、ガッカリします。
いつまでも、仕事が長続きせず、支離滅裂です。
話になりません。

こんな父に、後見人になってもらうわけにはいきませんから、
僕は、事前に僕達未成年組の後見人となれる人を事前に決めていました。
それで良かったと思っています。
僕はツイッターを始めたころから、母の余命が短いことを知っていたので、
ずっと自分たちを守ることを考えに考えて出した結論でした。

きっと、母も安心してくれていると思います。
19歳になる姿を見せれなかったのは、いやもっと言えば、
成人する姿を見せれなかったことは、残念ですが欲を言っても仕方がありません。
僕は今後は、サイくんと妹を守ることを優先に考えたいと思っていたので、
父を頼るより自分を強くしたいと考えました。

と、いうことで、まるでパパです。
これからの僕はパパみたいに、なろうと思ってます。
まだ、18歳ですが、考え方がとても大人になったと思います。
母のおかげでこんなに強くなれたんだなあと感謝しています。
母は、面白い人でしたから、お葬式も家族葬希望で、通夜には喜んでくれという遺言でした。

母が亡くなった時、僕はとにかく何とかしなくっちゃばかり考えていました。
サイくんは、もう動かない母を見て、様子が違うなと変な風に感じていました。
腕を何度も動かしたりして、反応が無いので
「動かねぇ。」
とポツリと言いました。
妹は涙を目に溜めてじっとしていました。
兄貴は号泣していました。

空が暗くて、夜景が綺麗な夜でした。
いよいよ母を送るときは、空も天も泣いているように、雨が降り出しました。
泣けない僕に代わって泣いてくれているのかなって感じました。
人が死んでも町とか信号も動いているし、時間も動くし、何も止まらなくて、
母だけが止まったんだと思いました。

僕にとっては、人の死は、動かなくなる、
もう智慧を授かれないということで、残念としか言い表せません。
声も聴けないのでそれもつまらないことです。温かさもありません。
しかし、それは僕の心の中にずっとあるし、継承しているので、
今後はそれを残された生きている人に発揮したいと思います。

亡き、と言わなくてはいけない母をかわいそうには思いませんが、
なんといったらいいのか、良い人であり、良い母親だったと思っています。
とてもユーモアがあり、愛らしい女性で、母性溢れていて、見習うところがたくさんありました。
そして僕と人とを結んでくれたことには、心から感謝しています。

ツイッターをはじめて、僕はとても変わったと思います。
最初のころなんて本当に酷かったと思います。今思い出すと笑ってしまうくらいですが。
いろいろな人がツイッターでも関わってくれたり声をかけてくれることは、大きな栄養になりました。
直接人と関わることが難しい僕なので、余計に助かりました。

ここがあるから、ここで僕が変われたからこそ、今踏ん張れたと思います。
じゃなきゃきっと酷い人になってたかもしれません。
人は一人じゃ生きれないんだって母を亡くして僕はとってもそれがよくわかりました。
この場を借りてフォロワーさんにお礼いたします。
いつも支えてくれてありがとうございます。

そして、家族ともこれからは、困ったらお願いするとか、僕も無理をしないで素直に接するツモリです。
僕が頑張るためには、誰かの協力が必要だってことも理解しました。
自分だけで何とかしようと意地を張っても、まだ僕には難しいです。
今後は、和というものを勉強しなくっちゃと思っています。

ずいぶんお休みしましたが、ツイッターも再開します。
今までは本当に、なかなかお返事も出来ませんでしたが、
これからは余裕があればまた、みなさんと話したいと思います。
そして障害のことも、今後も付き合っていかなくてはいけないので情報交換などしていきたいです。
よろしくお願いします。




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母の病気

母は11月に病気のため亡くなりました。
まだ40代でした。
僕は、先々、母を失うのではないかと言う不安を小さいころからずっと抱えてきました。
人に対して不信感を持ち、攻撃的で母子分離不安だった僕を、温かく包んでくれた母を失うことは、想像つかない苦痛でした。

このツイートは、母が亡くなる数日前に、潰れそうな心で書いたものです。


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おはようございます。
母の具合が悪いのでツイッターが出来ずにいます。
今日、入院先に皆で見舞いに行ってきます。
返信が出来ずにごめんなさい。
僕が小さい頃から母は肝臓病のため、入退院を繰り返していました。
母は医者に
「子供が高校生になる姿を見れないかもしれない。」
と言われていました。

母が肝臓病になったのは、理不尽なことが原因です。
もう何年も苦しんでいるのに救済されることはありませんでした。
本人も発症したときには、非常に悔しがっており、僕たち子供のために何とか長く生きようと、闘病していました。僕も何故母がこのような目に合わなくてはいけないのか理解できません。

母は、僕たち双子や、妹を産んだ後、C型肝炎を発症しました。
すぐに重症化してしまい、僕たちは何度も医者に
「今夜が山です。」
と言われました。
母はずっと病院に入院していましたから、僕はよくお見舞いに行きました。
当時は、病気のせいで差別なども受けたりとずいぶん辛い思いをしたと聞きました。

母は家にたった一日しか帰宅出来ず、ずっと病院で過ごすよりありませんでした。
体力が無いために、子供を抱っこもすることが出来ません。
たまに病院で、母の顔を見ると不思議な感じがしたのを覚えています。
僕たちの顔を見るのが楽しみだったと言っていました。
しかし、甘えることは出来ませんでした。

そんな状態から、母はどうしても生きると気力で闘病してくれたと思います。
子供のためには、少しでも長く生きたいと、辛い治療も耐えてくれました。
そのおかげで、僕たちは母と過ごすことが出来、療育も受けることが出来ました。
しかし、母は、いつも体力が無く辛そうにしていました。

何とか治ればいいと思いましたが、次の治療は、肝臓移植しか無いが移植したとしてもあまり良い結果は望めないと言われて、それが正しいのかどうなのか、僕には判断も出来ませんでした。
少し体力が戻った頃、離婚をしたので母は一人で働かなくてはなりませんでした。
今でもその頃の父が僕は許せません。

今日、母の顔を見てきます。
僕は母をこのような目に合わせたものを絶対に許せません。
しかし、母は
「なんとも思っていない。」
と言っています。
前を向かなくては、身体に良くないといつも明るいのです。
母との残された時間を少しでも、僕は過ごして、ひとつでも多くの母を知りたいと思っています。




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