ツイッターでは、うまく言えませんでしたが
僕は、母を失った直後から、なんとかしっかりしなくては、と超踏ん張っていました。
母に先々のことを任されていたわけではありませんが、
今までの母から受けた愛情を今度は家族に返そうと思っていました。
それで、最近は、家事に専念しているというわけです。
ランキング参加中です。
両方押してくださると、僕こっそり喜びます!
それに、僕は案外おせっかいなのです。
世話焼きであり、人にあれこれしてあげることが、どうやら好きなようです。
自分では、そんな一面があるだなんて、気が付いていませんでしたが
身近な人に、僕の行動を見て
「マメねぇ。」
とか
「世話好きねぇ。」
と、言われたことで自覚してきました。
要は、僕は家族へ何かしてあげることは、好きでやっている、ということなのです。
そして、なんとか家族を喜ばせるためなら、苦労はいとわないのです。
温かい料理を手作りすることも、レシピを見たり、youtubeを見たりして習ったり、
小さいころから、大好きな「3分クッキング」を見て、手順を丸暗記していましたから
始めて見ると、なんとか食べれるくらいの食事は出せるようになりました。
しかし、その料理も家事も、自分でやるようになるまで、葛藤や反発はありました。
僕はまだ心のバランスがとれていなかったのです。
まず、温かいものに拒否感がありました。
満腹になるということに、おかしな気持ちもありました。
それが、喪失感だったのかなと思います。
僕は、母が居なくなったこと、亡くなったことでの、生活の不便さに
頭に来ていました。
置き去りにされてしまったような、無いものねだりをするような
求めても仕方のないことに、気が付くまでは
グダグダと、やさぐれていたような感じです。
しかし、目の前には、サイくんといいう、双子の兄がおり
そんな僕の心など関係ないように、容赦なく要求を繰り返してきました。
兄は、不服なことがあると、人の気持ちや感情など無視して、
そのままストレートに文句を言ってきます。
それが、彼の重い障害のせいであるとは、わかっていても
僕は何度も頭に来ました。
しかし、ぐっと堪えて過ごしてきました。
兄にとって、僕は「母の代わりに面倒をみてくれる人。」
であり、また
「唯一、信頼出来る人。」
であったので、むしろ僕にしか言えなかったのでしょう。
そんな兄になんとか美味しい温かな味噌汁を飲ませてやりたくて
僕は、ようやく重い腰を上げて、キッチンに立つことにしたのです。
自分のことよりも、人のために。
僕は、そう思えるように、また行動できるように
いつの間にか母から、学んでいたのだと思います。
数日間かけて
食材の調達も、買い物も上手に出来るように工夫をし、
先端恐怖症と戦って、野菜を切ったり、
味噌汁の味見を何度もして、亡き母が作ってくれた味噌汁に近づけようと
思考錯誤をしました。
そして、ようやく出来上がった味噌汁を兄に
「さあ、召し上がれ。」
と、出したとき
兄の目はぱっと輝いたのです。
僕はその目をみて、本当に良かったと嬉しくなりました。
「うまいうまい。」
と何度もおかわりする兄もきっと、温かさに飢えていたのだなと思いました。
それまでは、母と言う持ち主が不在となって冷え切っていたキッチンの鍋やフライパンも
食器棚におさめられたお椀やお皿も、今度は僕が温かさで満たしていきたいと思います。
僕は知ったのです。
自分のために何かを得るよりも
人のために苦労し行動し何かを得たほうが
自分のためにもなるということ
そしてそれが幸せなのだということをです。
これからも、温かさを料理と言うカタチで僕は幸せを提供していけたら
自分も幸せになれると確信しています。
そして、自分が、僕が辛いときも、この味噌汁は僕を温めてくれるでしょう。
もっと様々な料理が作れるようになりたいなと、思います。
すべては、誰かの笑顔が見たいから。
そして、それは自分に返ってくる。
それだけで、僕は生きていけるような気がしているのです。
毎日飲める味噌汁は、母の味がしていますから。
ランキング参加中です。
両方押してくださると、僕こっそり喜びます!
僕は、母を失った直後から、なんとかしっかりしなくては、と超踏ん張っていました。
母に先々のことを任されていたわけではありませんが、
今までの母から受けた愛情を今度は家族に返そうと思っていました。
それで、最近は、家事に専念しているというわけです。
ランキング参加中です。
両方押してくださると、僕こっそり喜びます!
それに、僕は案外おせっかいなのです。
世話焼きであり、人にあれこれしてあげることが、どうやら好きなようです。
自分では、そんな一面があるだなんて、気が付いていませんでしたが
身近な人に、僕の行動を見て
「マメねぇ。」
とか
「世話好きねぇ。」
と、言われたことで自覚してきました。
要は、僕は家族へ何かしてあげることは、好きでやっている、ということなのです。
そして、なんとか家族を喜ばせるためなら、苦労はいとわないのです。
温かい料理を手作りすることも、レシピを見たり、youtubeを見たりして習ったり、
小さいころから、大好きな「3分クッキング」を見て、手順を丸暗記していましたから
始めて見ると、なんとか食べれるくらいの食事は出せるようになりました。
しかし、その料理も家事も、自分でやるようになるまで、葛藤や反発はありました。
僕はまだ心のバランスがとれていなかったのです。
まず、温かいものに拒否感がありました。
満腹になるということに、おかしな気持ちもありました。
それが、喪失感だったのかなと思います。
僕は、母が居なくなったこと、亡くなったことでの、生活の不便さに
頭に来ていました。
置き去りにされてしまったような、無いものねだりをするような
求めても仕方のないことに、気が付くまでは
グダグダと、やさぐれていたような感じです。
しかし、目の前には、サイくんといいう、双子の兄がおり
そんな僕の心など関係ないように、容赦なく要求を繰り返してきました。
兄は、不服なことがあると、人の気持ちや感情など無視して、
そのままストレートに文句を言ってきます。
それが、彼の重い障害のせいであるとは、わかっていても
僕は何度も頭に来ました。
しかし、ぐっと堪えて過ごしてきました。
兄にとって、僕は「母の代わりに面倒をみてくれる人。」
であり、また
「唯一、信頼出来る人。」
であったので、むしろ僕にしか言えなかったのでしょう。
そんな兄になんとか美味しい温かな味噌汁を飲ませてやりたくて
僕は、ようやく重い腰を上げて、キッチンに立つことにしたのです。
自分のことよりも、人のために。
僕は、そう思えるように、また行動できるように
いつの間にか母から、学んでいたのだと思います。
数日間かけて
食材の調達も、買い物も上手に出来るように工夫をし、
先端恐怖症と戦って、野菜を切ったり、
味噌汁の味見を何度もして、亡き母が作ってくれた味噌汁に近づけようと
思考錯誤をしました。
そして、ようやく出来上がった味噌汁を兄に
「さあ、召し上がれ。」
と、出したとき
兄の目はぱっと輝いたのです。
僕はその目をみて、本当に良かったと嬉しくなりました。
「うまいうまい。」
と何度もおかわりする兄もきっと、温かさに飢えていたのだなと思いました。
それまでは、母と言う持ち主が不在となって冷え切っていたキッチンの鍋やフライパンも
食器棚におさめられたお椀やお皿も、今度は僕が温かさで満たしていきたいと思います。
僕は知ったのです。
自分のために何かを得るよりも
人のために苦労し行動し何かを得たほうが
自分のためにもなるということ
そしてそれが幸せなのだということをです。
これからも、温かさを料理と言うカタチで僕は幸せを提供していけたら
自分も幸せになれると確信しています。
そして、自分が、僕が辛いときも、この味噌汁は僕を温めてくれるでしょう。
もっと様々な料理が作れるようになりたいなと、思います。
すべては、誰かの笑顔が見たいから。
そして、それは自分に返ってくる。
それだけで、僕は生きていけるような気がしているのです。
毎日飲める味噌汁は、母の味がしていますから。
ランキング参加中です。
両方押してくださると、僕こっそり喜びます!