発達障害なう

ツイッターで、投稿したものをコピーしてあります。

2016年11月

【ご注意】このブログ(ツイッター含む)の文章の内容は、僕が障害を乗り越える過程です。現在進行形ではありますので、人によっては不快に思ったり、障害当事者の方は、フラッシュバックを起こす危険性もあります。文章で生々しく当時のことを再現しておりますので、閲覧される場合はじゅうぶんご配慮の上、自己責任でお読みください。また、自傷などは、一切僕はしておりません。
また、このブログに書いてあることは、あくまで、一障害者の発言であり、専門家の意見ではありません。僕の発言だけを鵜呑みにすれば、危険をともなうことになりかねません。そして、僕の文章は、全てを網羅するものでもなんでもありません。そして、発言内容を他者に押し付けるつもりもございません。その点、ご留意の上、お読みくださると幸いです。
【自己紹介】ADHD アスペルガー症候群 強迫性障害 反社会性人格障害 10才で診断。双極性障害は19才で診断。 小1からの出来事をツイートしています。発達障害関連無言フォローします。愛の手帳4(療育手帳B2)障害者手帳1級取得。精神年齢11才。亡母がアスペルガー・ADHD、現在19才。フリープログラマー♂ 2015年6月9日スタート

子供からのお願い

去年のツイートです。
短文ばかりです。




もしも子供に期待するなら
わたしの子だからと
期待するのではなく
人としての可能性を信じて欲しい

障害があって今やれないことも
やれないからと諦めないで欲しい
可能性まで諦めるなら
人はなにも育たないから
親が諦めず働きかけ続けることで
子供が成長するんだと思う
2015.12.04

もしも子供に期待するなら
わたしの子だからと
期待するのではなく
人としての可能性を信じて欲しい

障害があって今やれないことも
やれないからと諦めないで欲しい
可能性まで諦めるなら
人はなにも育たないから
親が諦めず働きかけ続けることで
子供が成長するんだと思う
2015.12.04

人から
指示されたり
注意されたり
命令されたら
誰だって嫌な気分だ

子供だってそう
毎日家で叱られたら
疲れてしまう

ダメでしょ、ではなく
こうしようね
と言われたら
聞く気にもなる

否定しないで
肯定してほしいんだよ
穏やかにね

親は人前で子供のことを
褒めることが苦手なのですか
謙遜しているのか遠慮しているのか
わが子をけなす人がいるけれど
隣に子供がいるときは
やめてほしいのです
うちの子はオデブちゃんだから
頭がよくないから
わざわざ披露しないで欲しいのに
言われた子供は泣きそうだ

子供が不適切な行動を取った時
世間様に恥ずかしい
あなたのせいで親が
恥ずかしい目にあった
そんなおかしなプライドを持ち出して
怒鳴らないで
自分のプライドが傷ついたからと
子供を人前で傷つけてしまうことは
あってはならない
理由を探ることが先だよね

褒められることは大好き
さすがだね 天才だね 素敵だわ 可愛いね
子供はもっと褒められようと頑張ります
でも褒め方にもタブーはある
せっかく褒めたのにもっと頑張ってもらおうとして他人と比べてみたり
いつもこうならいいわと嫌味を言うのは
褒めたことが台無しですよ


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一番辛い時期

母について、去今からちょうど一年ほど前、クリスマス頃にツイートしたものです。
この頃は、まだ、母を亡くしてから日が浅かったので、心の整理も出来ていませんでした。
体調もメンタルも調子が悪く、兄や妹の世話をしながら、自分を整えていました。
仕事は、休業していました。

今思えば、一番辛い時期だったと思います。

【2015年12月18日 ツイート】

部屋の片付けをしていたら、母の遺品がほとんど無いことに気が付きました。
服も下着もバッグも時計も使っていたブラシも食器も全てありません。
あるのは使っていない昔の携帯と、アクセサリーボックスだけです。
遺書もありませんでした。
写真は、まとめて引き出しの中にしまわれていました。

完璧に私物が片付けられていることに、今更気が付きました。
いつもバッグが掛かっていたフックに何も無いことにも、今気付いて驚いています。
洗面所も、歯ブラシだってコップすらありません。
おばあちゃんに聞いたら、服は、廊下にまとめられて置かれていたそうです。
袋二つ分だけだったみたいです。

僕は、母を亡くしてからバタバタとしていて、ほぼ事務所暮らしでしたから、家に帰ることが少なかったので、家の変化に気が付きませんでした。
母は入院する時に、全て自分の私物を、処分してしまっていたようです。
僕たちが大変な思いをしないように、配慮してくれていたのかなと思います。

飛ぶ鳥後を濁さず、というように、綺麗に片付けて逝ったのでしょう。
僕は、49日を過ぎてから、後片付けをしようかなと考えていましたが、
どうやらその必要も無いようです。
調理用具や、皆が使うものだけが残っていますから、大切に使いたいと思いました。

【2015年12月24日 ツイート】

【母について】
自分の我儘を通して思い通りに楽しんできた
親に心配をかけたり不運もあったかもしれないけれど
わたしはすべてを含んでも人生を楽しんだ
重ねる時の数で重さを測らずに
重ねる楽しさで測りなさい
ママは楽しかったわ
子供たち
一緒に楽しんでくれてありがとう
感謝しているわ

クリスマス前夜ですね。
僕はずっと母について、うまく言えませんでしたが、やっと心の整理もついてきたと思います。
ツイッターをはじめる前から、僕は母を失うことについて逃げてきました。
どうでもいいやとか、無理するからだとか、可愛い子供を置いていなくなるとは、酷い親だとも思いました。

残された子供はどうなるんだと、産んでおいて無責任だと思ったこともありました。
しかし、それを誰かに言うわけにもいかず、一人悶々としていました。
母はいつも僕たちの傍にいたわけではありませんでした。
病弱であり、入退院を繰り返していたので、小さい頃は子供たちは皆遠慮ばかりしていました。

子供である僕たちからしたら、見慣れない母は「知らないおばさん」であったのです。
特に妹は、真面目にそう思っていたそうです。
中学生になる前に、「知らないおばさん」から、「実はお母さんでした」となったそうです。
ですから、妹が母とまともに過ごせた時期は、僅かに6年ほどでした。

僕は一番たくさん母と過ごせたと思います。
僕はとても問題児であり、母しか受け付けなかった時期があったからでしょう。
そんな具合で、僕以外の兄妹からしたら、彗星のように現れた母は非常にセンセーショナルに見えたようです。とにかく強烈なキャラクターでしたので、当然子供は最初戸惑いました。

特に中学生だった妹は大反発しました。
それはそうでしょう。
いきなり知らないおばさんに、お母さん顔されたら、頭にくるでしょう。
一通りの反抗をしていましたし、僕から見てもアラアラという感じでした。
僕はどうなるかなと傍観していましたが、あっという間に妹と母は仲良くなり結束したのでした。

僕が思うに、母は「真剣そのもの」であり、反発する娘に対して「目を離しません」でした。
とにかく何事も誤魔化すことはせずに、「ガチンコ勝負」だったのです。
そして、良いところをいち早く見抜いて、褒めたりもっと良くなる方法をアドバイスしていました。
人として信頼を得ていったのです。

僕はそれを目の前で見ていました。
親だからとか、自分の子供だからとか、そう意識を取っ払って、人として向き合っていました。
そしていつも、「あなたが大好きだ。」と、言い続けていました。
ずっとずっと何があっても言い続けたのです。
そして、外部から徹底的に守る姿と、厳しさも見せました。

そんな見本のような強い母でしたが、だからといって完璧ではありませんでした。
そんな聖人のような人が居るわけがありません。
数え切れないくらいの失敗もしていました。
しかし、とっても自分と人に、素直だったと思います。
また、人生を楽しんでいました。
なんでもかんでも楽しいと笑っていました。

そう思って、ため息をついていたら、母が一番先に言ったことを話したのです。
僕の肩をポンポン叩きながら。
手をギュッと握って、笑いながらです。
「人間の欲は限りないわねぇ。」
と言いまるで、同志にするように、グッと僕の肩に手を当て、
「でも愛すべき人は憎めないわねぇ。」
とニヤリとしました。

「先に行くわ。じゅうぶん楽しんだの。一緒に楽しんでくれてありがとう。自分の身体が限界になったから、さようならの時が近づいていますよ。」

僕は、それをどう処理していいのかわからずに、ふっとツイッターを始めてみたのでした。
母を失えば僕はどうなるのか、僕にもわからなかったのです。

僕は、涙を流すことも出来なかったから、苦しさも人に素直に言えませんでした。
まるで、感情が詰まっているみたいでした。
本当は、とても悩んでいました。
大好きな母を亡くすことを認めたくはなかったのです。
だから、平気な顔をして「母語録」を書いていました。
現実逃避したかったのかもしれない。

現実逃避をするうちに、僕は平気だよ、まったく平気である。
人の気持ちなんか持ち合わせていない。
母を失ってもなんてことはない。
ノーダメージだ。
そういう渇いた心の中に、少しずつじわじわと、育ってきたものを感じました。
自分を見つめることで、素直な僕が大きく育ったのだと思っています。

最近よく言われるんです。
僕が本当に変わったって。
僕は最初はそうは思いませんでしたが、だんだん自分でも自覚するようになりました。
最初の頃はトゲトゲしくて、人を馬鹿にしたり、蔑んだり生意気で、やりこめることしか頭にありませんでした。
それが、柔らかく和やかに穏やかになったのです。

ありえないことに、利己的だった僕が人を助けることまでするようになりました。
いったい僕はどうしちゃったのでしょうか。
人が変わったようだとも言われます。
何がそうさせたのか、僕にはまだわかりません。
育った部分は経験を経たこと、自分を認めたことのおかげだとは思いますが。
不思議です。

ただし、だからといって、僕の思考の仕方や回路が修正されたわけではありません。
自分でもどうしようもありません。
そこが障害を受けているのだから、治しようがないのです。
以前書いたことは、まだ僕の中にどうしても存在はするのです。
それでも、僕はそれを含んだまま学んだのだと思います。

亡き母も天に逝って、僕は明日19歳になります。
最後の18歳の今日に、ぶちまけようと思います。
夜中だっていうのに、馬鹿みたいだけど、しょうがない。
今日だけにするんだから。
僕の愚痴は今日だけなんだから。
今までうまく言えなかったけれども、母が居ないことはとてもストレスです。

家にいると、タイムマシーンがしょっちゅう僕の脳内に現れます。
家族皆で居た時の笑い声。
歓声。
失った時間ばかり戻ってきます。
打ち消そうと、そこに溺れないように必死で掃除をするけれども、拭っても拭っても湧いて出てくる。
戻してほしいと何百回も思いました。
辛くて辛くて身体が震えてきます。

この辛さを乗り切らなければ駄目なんだと、自分に言い聞かせながら、コツコツ家事をします。
兄や妹の方が強いです。
淡々と自分を生きています。
僕が一番堪えています。
見習って頑張ろうと思う、流されそうになるの繰り返しです。
自分の人生を楽しもうと踏ん張ろうとしています。
まさに崖っぷちです。

そんな風なので、休業をしたのです。
仕事は今はほとんど出来ない状態です。
でも僕はこんな自分も良いと思っています。
きっと以前ならここまで凹んだりしなかっただろうから。
ヘラヘラ笑っていたかもしれません。
ああ、成長する過程かも、これでいいんだ、って感覚です。
試練なのでしょうね。

最後の18歳に、僕はきっと今までたいして長くは生きていないけれども、一番人間くさくて、弱くなっているかもしれません。
辛いけれども、こういう思いを知ることが出来て良かったと思っています。
知ることで、もっと強くなれると信じています。
母のように、人生を楽しめる人になりたいのです。



辛い中でも、皆でクリスマスをしました。
母は、クリスマスをいつも楽しみにしていましたので、
必ずやってね、と遺言で言われていました。


今日は、家族みんなで集まってクリスマスにしました。
兄貴は、やったことないくせに張り切ってケーキを用意し、お皿やらテーブルセッティングまでしてくれました。
僕は、チキンをケンタッキーで予約してあったので、取りに行きました。
妹はサラダを用意して、サイくんはシャンメリーを開けました。

ケーキのロウソクに火を点けて、みんな何を言っていいかわからずに、黙ってしまいました。
亡き母がイタズラしに行くからねと言ってましたが、もちろん何も起こらず、火はゆらゆらと揺れました。
サイくんに火を吹き消してもらい、ケーキを切り分けて食べました。
皆でクリスマスに集まるのは最後です。

それぞれ、ここから新しいそれぞれの道に歩いていきます。
母は、きっとそう踏ん切りを付けさせたくて、亡くなってすぐのクリスマスを皆で集まらせるために、パーティをしなさいと言い残したかもしれません。
家族で顔を合わせ、心新たに、生きるためにチキンを頬張りました。
美味しかったです。



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感覚過敏の料理提供について

僕が発達障害(アスペルガー症候群・感覚過敏)の兄に料理を提供する際に気を付けていることです。
人それぞれ、好き嫌いは違うと思いますが、兄は物凄い偏食で、いちいち煩いのです。
また、給食などは、小学生4年の2学期から、まったく食べれなくなりました。
人の刺激だったり、臭いが混ざることに耐えられなかったようです。

僕も同じでしたので、この時母は、
「二人とも、あんな美味しそうな給食に、いったい何が混ざっているというの!?」
と驚いたようです。
兄と僕が、給食を食べれなくなったのは、夏休みに教室の床にワックスを掛けたせいなのです。
その臭いが床に染み込んでいたため、給食の臭いと混ざり、気持ちが悪くなっていたのです。

そして、僕の個人的な考えとしたら、感覚過敏の人はあらゆるところで、感じるレベルが大きいのです。

普通は、ちょっとザラザラだとしたら、感覚過敏だと、全体が砂のように感じます。
ネチョネチョは、ベタベタ。

いろいろな特性にもよりますが、もし、子供さんへの食べ物の提供で、行き詰っていたら読んでみてください。
それと、食べないからといって、無理強いはせず、食べたいものだけ与えてほしいなと思うのです。
子供さんの好きなものを出して、与えれば良いだけです。

【全体】

温度に注意する。
熱いとビックリしてしまう。
食事を提供されると、すぐに食べたい(待てない)ために、適温にしてから出すこと。
ご飯(白米)の品種が違うと、食べなくなることがあるので、なるべく同じものにする。
また、炊き方にも注意する。

おかずを混ぜてしまうと食べなくなるので注意。
お皿に、付け合わせと肉料理など、一緒に置かないこと。

三角食べ(おかずを平均して食べること)が出来ないが、それについては注意しない。
口の中でいろいろな味が混ざるのが、とても嫌なので仕方がないのです。

サクサク音とか感触(きゅうりとか)、シャキシャキ音とか感触(生野菜など)が嫌な子もいる。

パサパサしたもの(水分の少ないもの)は嫌。(食パン・クラッカー・パイ)

蒸気が上がるものなどは、極端に味が混ざるので嫌。(冷ましてから提供する。)

最初の形から、形が壊れるもの、切り分けなくてはいけないもの(形が変わるのが嫌ホールケーキなど)は、嫌がるので、事前に切り分けておく。(原型を見せない。)

ピザなどは、丸ごとじゃないと嫌がる。
(半分だけとかは、怒り出して食べなくなる。汚されるのが嫌らしいのと、ピザとは丸だと思っているので、認識と違うためだと思う。)

食事中に刺激しない。(テレビなども絶対につけない。)
話しかけないこと。
食べることに集中しているので、ストレスになるようです。

兄妹の刺激が強い時は、別室で食べさせる、または、時間をずらすなど工夫をする。
僕は、兄が食べているときは、さりげなく別室に移動するようにしています。

ランチョンマットかトレーを使うこと。
自分の食べ物がどこまでなのかを把握したいのと、取られる心配がない。(不安がない)

食器については、扱いやすいもので、食べやすいものにすること。
箸だけでなく、場合によっては、スプーンを用意しておいてくれると助かります。

スプーンやフォークなどは、柄の細いものは扱いにくい。(モノの工夫・手先が不器用な子には特に)
指先の力の入れ加減がわからないので、ぎゅうぎゅう持ってしまうこともあり、食べている途中で手が痛くなってしまい、食べることを中断してしまいます。
そうなると、もう食べなくなるので、箸の代わりになるものは、なるべく提供しておいて欲しい。

兄の場合は、苦手なものを取り出す小皿を準備しておきます。
それは、「食べられないもの入れ」として、使用します。

兄は、コンビニ弁当や、おにぎり、カップ麺も好きです。
いつも同じ味なため、安心して食べられるようです。
手作りにするにしても、なるべく一定の味付けと見た目でないと、食が進みません。
特に、不安定だと感じたら、一定のものを出すようにしています。
手抜きというより、その方が、兄にとっては有難いからです。

【お肉】

食べやすいように一口大に切る。
厚さがあるものは、噛みきれずいつまでもモグモグしてしまい、喉に詰まらすので小さめにする。

薄い肉は、ばら肉はOKだが、脂身がないものは細かくする。
肉は口に対して横に大きいと、どうやって食べたらいいのかわからないので、細長くする。

(口の大きさがわからない、口の容量の限界がわからないため、たくさん食べてしまう。)

調子の悪い時は、ひき肉を使用する。
例 餃子、ハンバーグ、ミートボール、ピーマンの肉詰め、ロールキャベツなど


【野菜】

キャベツなどの芯は食べれない。(噛みきれない)
他にも硬いものは、食べれないものが多い。

見た目と感触が想像と違うと吐き出してしまうことがある。
同じく味もそう。

嫌だと言った野菜については、次回どこまで入れていいのか聞いてみる。
ダシを取るために必要な場合は、それも説明をする。
案外、提供するときに入ったままでもOKになることがある。
(自分で取り出すようになる)
例 カレーに玉ねぎを入れると、甘味が出るよ。→じゃあ自分で出すから入れていいよ。

ドレッシングなど、先にかけておくと駄目。(混ざって気持ちが悪くなる。)
豆腐も、醤油をかけておかない。(変色するため。)

口の中での感触がネバネバしていると食べれないことがある。
例 オクラ ナス 玉ねぎ シイタケ トマト 白菜

【魚】

必ず切り身にして提供する。
骨から取り分けることが出来ない。
また小骨を出せない。

焦がさないこと。(焦げると見た目から食べなくなる。)

【果物】

りんごは一口大に切る。(うまく齧れないため)
すいかは、楊枝ですべての種を取らないと気が済まないため、一口大にカットしてから提供する。
バナナは、いじっているだけでうまく食べれない。
皮をむけるものは、剥いて提供する。
そのままでOKなのは、みかんとアメリカンチェリーくらいかな。


他にもあると思いますが、とりあえず今思いついたことを書いておきました。
感覚過敏でもある兄には、無理なく食べれるようにこれからも工夫をしていくつもりです。


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双極性障害について

僕は双極性障害を抱えています。
他の障害と同時に、この双極性障害とも付き合っていかなくてはならず、通院しております。

以下に、双極性障害について書きましたが、僕が得た知識と解釈と僕自身の体感ですので、その点ご留意をお願いいたします。

【双極性障害とは】

双極性障害とは、気分の波が、本人の意思に関係なく、極端にアップダウンしてしまう脳の病気です。

気分が高揚する躁状態と、気分が落ち込む鬱状態、何も症状のない寛解期
この3つを繰り返す疾患なのです。

僕は双極性障害Ⅰ型と診断されており、躁状態と鬱状態を繰り返しています。
Ⅰ型は、躁状態になるもの。Ⅱ型は、軽躁状態で留まるもの。
と簡単ですが、解釈しています。

周期については、人それぞれです。
一年で何回も繰り返す人や、年に一度、または何年かに一度の人もいます。

【ラピッドサイクラー】

僕は、繰り返しの周期が早いので、「ラピッドサイクラー」と診断されております。
気分の強いアップダウンを、早い周期で繰り返し、本当に辛くそれだけで疲労してしまいます。
周期は、現在約一か月です。

僕の場合は、現在、躁状態が二週間、鬱状態が一週間、寛解期が一週間の波で来ています。

特に、四季の切り替わり、温度の違い、環境の変化、または、他のストレスなどでも影響されてしまいます。
スイッチが入ると、突然気分が上がり下がり始める、そんな感じでしょうか。
とにかく刺激がよくないようです。

【症状】

躁状態の時にイライラすることが多かったり、気が大きくなって出来ない仕事まで請け負ってしまったり、突然後先のことも考えずに旅に出かけてしまったり、日常生活に支障をきたすことが多く、本当に困っていました。
我慢すれば良いとかそういうレベルではなく、自分でも止められないほど高揚してしまいます。
衝動が激しいので、家族やパートナーにも迷惑をかけてしまいます。

何故、双極性障害なんてものを、抱えてしまったのだろう。
昔の自分が抱えていたのかどうかは、わかりません。
いつもいつも、しんどかったし、今のように社会に出ていなかったので、そこまで行動範囲も広くなかったのです。
車を運転するようになると、どんどん行動範囲が広がり、どこまでも行ってしまうようになりました。
帰りの事は考えないので、お金の続く限りヘトヘトになるまで遊んできてしまいます。
その時の僕はとても楽しくて、楽しくて仕方がないのです。
また、人から注意されたりすると、突然攻撃しはじめてしまいます。
そのせいで、妹に嫌われてしまうという事態もありました。

気儘な旅から帰宅すると、ガッツンと鬱状態に入ります。

その時のツイートが↓です。


2016年10月14日
昨夜仕事が終わって、さあご飯を食べようとしても、喉が詰まった感覚がして食べれない。
何か詰まったのかな?と水を流し込むが、水だけは流れて行く。
喉がずっと圧迫されているような感じが消えない。結局、ろくに食べれずに横になった。
そのまま14時間爆睡したようだ。今日は食べれている。

精神的なストレスのせいかな?と思い、とにかく寝た。
今日は、起きてからボンヤリして、思考はまとまらずまたナーバス気味になる。
それはたとえば、世界中に謝りたい気分なのだ。
何故そう思うのか理由はわからない。
自己否定をしているのかもしれない。
頭の中が混乱していたので、甘いものを食べた。

あまりにも混乱してしまうと、自分の困り感をうまく説明出来ない。
「あー、いやー…。」
と何をどう話したら伝わるのかわからないのだ。
さらに話そうとすると、今度は言葉が出てこなくなる。
唾を飲み込み、一点を見つめて停止するだけだ。
自分のことを説明するのは、非常に難しいことなのだ。

どこがが痛いわけでもないし、痒いわけでもない。
腫れてもいないし、切れてもいない。
ただ、自分に違和感を感じ、それをどう説明するのか考えたくても、
脳は働かず、胸に石が詰まったように重くなり沈んでゆく。
僕は沈黙する。
目だけが前を向いて、空間を睨む。
息だけはしている。ため息のような息だ。

目の前のグラスをいじり、浮かぶ氷を揺らす。
黒いアイスコーヒーは、表情を変えない。
揺らしたせいでストローが浮かんでしまい、落ちそうになる。
絶妙なバランスを保ちながら、ストローは飛び出している。
それは今にもテーブルに落ちそうだ。
まるで僕みたいだ。
揺れると心は浮かび役に立たない。

ツイートここまで


現在、投薬を受けています。
躁状態を抑える薬と抗うつ剤(弱いもの)と、双極性障害の根幹に効く薬の三種です。
とにかく、社会生活をまともに出来るように、自分をコントロールしていきたいと思っています。

今は、鬱状態になると、ほとんど仕事が出来なくなります。
自営業なので、躁状態もしくは、波が上がり気味の時に、一気に仕事をしておいて、鬱状態に備える感じです。
そうはいっても、仕事は安定してやっていた方が良いに決まっています。

最近は、その状況も良くないのではないかと言うことで、支援してくださる方々に障害年金の申請をしたらどうかと言われておりますが、まだ仕事が出来るうちは、とりあえず様子を見ているところです。
薬でなんとか安定してくれれば・・・それにこしたことはないのですが。

【対策】

僕自身、双極性障害とうまく付き合うための対策です。

◎躁状態時

お金を使ってしまうので、クレジットカードは持たない。(持ったことがありません。)
どうしても持たなくてはいけない場合は、デビットカードを使用する。
お金の管理は家族、またはパートナーにお願いする。
周囲に理解を求めて、躁状態時には、煽らないようにしてもらう。
また、一緒になって騒がないようにしてもらう。
スケジュールの把握をしてもらう。

◎鬱状態時

あまりにも動けないときは、通院をさせる。
発作的な自傷に気を付けてもらうように、事前に周囲にお願いをしておく。
無理せず身体を休ませる。

僕は、自分が今どこの状態にあるのか、極力冷静に見れるように、自分の波の状況をチェックしています。
ノートにつけて、通院の時には、担当医に見てもらっております。
また、自分でも波の把握が出来るため、参考になります。
双極性障害については、現在進行形で、まだうまくコントロール出来ていないので、今後もツイートしたり、ブログに書いていきたいと思っています。



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微笑みの仲間

【ツイッター 10月13日】

町の風が冷たく吹いて
家々に灯りがついても
帰る場所は自分の心だけ
風に吹かれて
涙はポロポロと落ちる
傷をつけたものは
その傷の倍苦しむのか
僕の席は失われて
不要になった
壊れた椅子は
裸の王様の椅子だ
それでも僕には僕の愛がある
それだけは無くならない
また愛せばいいさ


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いつまでもいじけて家族のことばかりに、囚われていてもよくないので、
自分に集中することにした。
むしろ、放っておいてもらえるチャンスだと思う。
これからも、仕事して、しっかりと足を前に出そうと思う。
もともと一人で居ることが好きだったんだから、
元通りに時間を楽しめるようになっただけだ。

昨日ぐっすり寝て起きたら、心が軽くなっていた。
僕にエールを送ってくれるたくさんの人、周囲の支援してくれる人、
そのいただいた栄養がきっと僕の目を覚まさせてくれたんだと思う。
家族とのことは、良い勉強になったと思う。
人は自分の思い通りに行かないということ。
相手にも心があること。

僕が家族に暴言を吐いたことは事実だし、
これはずっと抱えながら反省していかなくてはならないと思う。
無理に修復しようとは思わず、ただその反省を活かしていく
姿を見せれば良いのだとわかった。
母を亡くしたことで、僕は兄妹に勝手に世話を焼き、突っ張っていたのだ。
お願いされたわけでもなかった。

本当は皆で助け合えば良かったのだ。
母を亡くして辛いのは、皆一緒だ。
それを、何とか母がいない穴を埋めようと必死になりすぎてしまった。
いつの間にか勘違いをしてしまった。
そんなことを母は望んでいなかったはずだ。
僕は平気なふりをして、感情を押し殺してしまった。
心配されることが嫌だった。

妹は、僕を心配してくれたのに、僕はそれが嫌で暴言を吐いてしまった。
最低なことをしてしまった。
自分勝手だった。
妹のLINEのアイコンが昨日ふと変わった。
自然の中、樹々の前で微笑む妹とサイくんの顔だった。
二人とも爽やかな笑顔で僕を見ていた。
仲の良い兄妹は、僕を見ている。
そう思った。

僕はその笑顔を愛しているのだと、やっと気が付いた。
何よりもすべてのことから守るために、自分を殺していたのだった。
しかし、それはやり方を間違えていた。
本当に愛するのなら、自分らしく愛せばよいのだ。
そして、助けてほしいときは、お願いすればよかった。
家族だからこそ、頼るものなのだ。

自分一人だけで生きていこうだなんて、
ネットに繋がっていないパソコンのようだ。
孤独で誰にも知恵を借りれずに、黙々と頑張らなくてはいけない。
刺激もないだろう。それでは、成長せずにいつかは頓挫してしまう。
ネットワークに頼り、助かったのならば、
素直にありがとうを言い、自分も人を助けるのだ。

人に頼ることは、自分から逃げることでも情けないことでもない。
相手に迷惑をかけているわけでもないのだ。
孤独に一人で頑張ってきて倒れてしまったら、
ゆっくり休み自分の力を回復してから、
次は周囲の人の手を取り求めればよいのだ。
それは勇気のいることだが、自分を強くするためには必要なことだ。

孤独な人が強いわけではない。
本当の強さは、周囲の人を頼る強さを得ている人だ。
その強さの中には、相手への感謝の心や、
助けてくれる人の良いところを発見でき、発揮できたり、
引き出したり出来ることも含まれている。
自分だけではなく、たくさんの人の力を喜びとともに得ることが出来るのだ。

助け合いとは、なんて素晴らしいことなのだろう。
そして、何故気が付かなかったのだろう。
自分の感情を殺し、立つことばかりに必死になっていたせいで、
いつの間にか疲れてしまい、孤独に追いやってしまっていた。
僕は強い人になりたい。
それならば、家族や周囲の人と助け合って生きていこうと思う。

LINEのアイコンでは、樹々に囲まれた妹と兄の顔が、
変わらず爽やかに微笑んでいる。
支えあうことの大切さ、幸せと喜びを、
その目は教えてくれているようだ。自然にいこう。
そう語りかけてくる。人は一人では学べないし成長出来ない。
僕もいつか、その樹々の中で微笑む仲間になれると信じている。



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19才♂AD⚡️HD/アスペルガー/強迫性障害/反社会性人格障害/双極性障害ラピッドサイクラー/ストラテラ/バルブロ酸/リチウム錠/愛の手帳4(療育手帳B2)/障害者手帳1級取得。双子の兄サイもアスペ/反社会性。彼女(アスペルガーADHD)と婚約中。自営業。趣味は考えること。猫3匹飼ってます。自然・メダカ大好き。
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