2014年。
18才の頃の僕はいつも不安を抱えていた。
その不安はたくさんあり抱えきれなくなっていた。

自分が発達障害であり、そのため自分自身がコントロール出来ないこと。
人とのコミュニケーションが取れないこと。
養護学校(特別支援学校)の高等部を結局3年間通えなかったが形だけ3月に卒業していよいよ外との繋がりが無くなったこと。

妹を高校卒業させてやらなくてはなからないこと。
そして大きな問題。
最愛の母の病状が思わしくないこと。
双子の兄、サイくんが精神的に不安定で引きこもっていること。
兄も僕と同じく発達障害であり、いや僕よりも自分をコントロール出来ないでいた。

そんな時に、何か手掛かりはないものかと始めたのがツイッターであった。
18才の梅雨の時期、ツイッターをはじめてすぐに、僕は相手の言っていることが理解できずに悩み始めた。
何について質問されているのかわからなかったり、その言葉の中に悪意があるのかわからなかったのだ。
下手すると全てを悪いものと捉えてしまい、すぐに噛みついてしまっていた。
フォロワーさんは、少しずつ増え始めいつも声をかけてくれる人が出来始めた。
その中で、僕はなんとなく「この人なら話を聞いてくれるんじゃないか?」という人に初めてこちらからDMをしてみた。
その内容は、この人は何を言っているのか教えてほしい、というような内容だったと思う。
僕はその当時、DMでサイコパスについて批判されることも多く、なんとなく悲観的だったと思う。

もちろん、その時点でその人が男性か女性かいくつのひとなのかなんてわかる由もない。
その人は丁寧に親身になって教えてくれた。
その人はスイと言う。
僕はスイに教えられて安心した。
ありがとうを言ってDMから離れたが、もっと話したかったなと思った。

翌日も僕のツイッターは荒れていた。
僕は当時どんなに忙しくても全員にコメントを返していたし、じっくり考えていたのでいちいち時間がかかってしまっていた。
ツイートも、僕が言いたかった部分にどんどん迫り、楽しくて仕方がなかった。
スイにそれを言いたくて、我慢はしていたんだけれども、またDMしてしまう。
すると頑なな僕が不思議に馴染んだ様子で話せて、気分が良かった。
それからは、毎日DMで話すようになった。
そして毎日DMで話せないとつまらなくなるし、字数制限かかった時にLINEを教えた。
そうこうしているうちに、スイと電話で話したくなる。

ちなみに僕は案外フランクな性格だ。
ツイッターの中でも電話でなら話したことがある人も多い。
きっと暗い人なのだろうと思った人は驚くだろう。
早口でトーンの高い声の男なのだ。(話し方が若いとは言われる)

いつも僕を助けてくれるスイとならきっと楽しく話せるのだろう。
電話をしてみると思った通りテンポ良く話が進み楽しい相手だった。
それからはいつも電話で話をするようになった。

季節は夏になっていた。
それにしても電話では、不思議なことがあった。
スイは僕がどこに住んでいるのか、どんな人なのか聞きもしなかったのだ。
僕の方がいちいち興味を持ってあれこれ聞いていたというのに。
ある日あんまりなので、聞いてみたら
「あ!」
と、スイは言った。どうやらすっかり忘れていたようだった。
そういえばいつも自分のことばかり話すスイ。
おかしいな、この人も何かあるのかなと今までの話を思い出してそう思った。
異常にそそっかしいこと、落ち着きがないこと、思い込みが激しいことなど。

面白いことに、僕が出来ないことをスイは得意としていて、スイが出来ないことを僕は得意としていた。
年令は初めから知っていた。
27才年上なことも、離婚はしているが子供がいることも知っていた。
年上なことは大歓迎だ。
同じくらいの年の人とはなかなか今までもうまくやれなかったので、かなり年上の方が素直になれた。

しかし、子供となると、僕にはどうしたら良いのかわからない。
僕は諦めるよりないのかなとも思ったが、何か策はないかなとも思った。
すっかりスイとの将来を(勝手に)考えるようになってしまっていた。

そこで考えたのが、子供と仲良くなること。
スイの良き旦那さんになること。

電話をしながら子供のことをアドバイスしたりした。
子育ては女性一人では大変なこともある。
そんな時には僕は一緒に良い方法を考えて、まるで自分のことのように考えた。

そして母が48才で急逝。
ショックのあまりツイッターも少し休んでしまった。
この時もスイにかなり支えてもらった。
もちろん、ツイッターのフォロワーさんには、物凄く支えてもらった。
僕は皆さんがいなかったらこれを乗り越えていたのかもわからない。
本当に感謝しています。

そして冬になろうとしている12月。
スイに花束を贈りメッセージカードにとても今では赤面で言えないような文句を吐くのであった。
そのカード、まだスイは大切に残している。
捨ててくれないかな・・・。

2015年。
年が明け、物事は急展開する。
子供は元旦那さんのところに引き取りたいという裁判が起こされそうになった。

僕は子供を引き取っても良いと考えていたので行方を見守ることにした。
そして2月こっそりスイの住む高知県の四万十市に会いに行った。
本当に衝動的に行ってしまった。
やはり子供には会えなかったが、スイの家も見れたし一緒に四万十川も見れたので感激した。
そして何よりも、スイに会えたことは嬉しいの一言であった。

初めて会った待ち合わせ場所にスイは5つも6つも荷物の袋を持って来た。
僕はその姿を見て面食らった。
転がるようにして大きな荷物を持つ人・・・。
変な人だな、とそう思った。
中身は僕への手作りのプレゼントばかり。
それと、これはもう僕今でも忘れられない。
お弁当・・・。
母が亡くなったばかりだったので、これにはノックダウン。
泣きそうになりながらお弁当を食べました。
そして、僕は絶対にスイを大切にしようと心に誓ったかもしれない瞬間でした。

そしてそれから丸々半年くらいたって、子供の親権について裁判などでガタガタし結局スイは負けてしまいました。
この裁判の間に僕は実際に子供達と関わり子育てを経験するのです。
子供って可愛いですね。 
貴重な経験をさせてもらいました。
これについては、また後程書きたいと思います。

2016年
母の一周忌を終わらせてから12月の僕の誕生日に、僕はスイと結婚しました。
出会ってから2年でした。

結婚してから、スイはADHD/アスペルガーだとわかります。
まあ、そんなことは僕には関係ないんですけどもね。
要は、お互いがお互いを思いあっていられる関係だからうまくやれるんだと思っています。



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