発達障害なう

ツイッターで、投稿したものをコピーしてあります。

アスペルガー症候群/ADHD

【ご注意】このブログ(ツイッター含む)の文章の内容は、僕が障害を乗り越える過程です。現在進行形ではありますので、人によっては不快に思ったり、障害当事者の方は、フラッシュバックを起こす危険性もあります。文章で生々しく当時のことを再現しておりますので、閲覧される場合はじゅうぶんご配慮の上、自己責任でお読みください。また、自傷などは、一切僕はしておりません。
また、このブログに書いてあることは、あくまで、一障害者の発言であり、専門家の意見ではありません。僕の発言だけを鵜呑みにすれば、危険をともなうことになりかねません。そして、僕の文章は、全てを網羅するものでもなんでもありません。そして、発言内容を他者に押し付けるつもりもございません。その点、ご留意の上、お読みくださると幸いです。
【自己紹介】ADHD アスペルガー症候群 強迫性障害 反社会性人格障害 10才で診断。双極性障害は19才で診断。 小1からの出来事をツイートしています。発達障害関連無言フォローします。愛の手帳4(療育手帳B2)障害者手帳1級取得。精神年齢14才。亡母がアスペルガー・ADHD、現在21才。フリープログラマー♂ 2015年6月9日スタート

衝動性は発展する

【衝動性は発展する】

僕のADHDの衝動性はいまだに日々モリモリ、ムクムクと発動している。
衝動性が起きると、
「居ても立っても居られない」
状態になり、思いついたことをやらないと
「他に何も手につかない。」
ということになります。

僕の脳内スイッチが入ってしまうとどうしようもないのです。


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最近では、一人暮らしにはじまって(他にも理由があるが)、
金魚を突然飼いはじめたり、自分でも何をやっているんだと自覚はあるのですが、
それでも身体が止まらない。
思いついたらどうにも止めることが出来ないのです。
そして達成するまで、ひたすら集中し、やり遂げてしまいます。
恐ろしいものだ。

思いついてただやるだけなら、普通と変わらないだろうが、僕の場合やるとなったらとことん凝るのです。
たとえば、事務所で今年の夏に突然飼いはじめた金魚。
ある日仕事の準備をしていて、ふっと、
夏は暑いな⇒涼しくなりたいな⇒そうだ、水だ。⇒水と言えば金魚。となり、
頭は金魚でいっぱいに。

思いついて閃いてしまうと実行せずにいられない。
スイッチが入るともう手遅れなのです。
僕は仕事の準備などすっかり忘れて、金魚に没頭してしまいます。
まずは、水槽のことや、金魚のことを調べ上げ、どうやって飼ったらいいのかを徹底的に頭に入れます。
この調べている時間がまたたまらないのです。

頭の中には、既にヒラヒラと水槽を気持ちよさそうに泳いでいる金魚がこびりついちゃっているから、それを目にするまでは諦めません。
手に入れるにはどうしたらいいのか、どうしたらキープ出来るのか。
金魚を飼った事もない癖に気分はまるで金魚王なのです。
たかが金魚を飼うだけなのに全力で挑みます。

一通り調べ上げたら、すぐ行動。
量販店に行って金魚金魚金魚。
ありとあらゆるものをジロジロ見て吟味し、店員さんが居れば話を聞き、交渉できることは交渉して行けるところは行きます。
ネットで綺麗な金魚を見れば感嘆し、奥が深いな!と手を叩き感激します。
いちいちうるさい男かもしれません。

もちろん手に入れ、育成をはじめた
「金魚ちゃん」
は、すくすく成長し、今では水槽をグレードアップしました。
事務所で飼っているので仕事の前にマメに世話をし観察し、何かやれることはないか、他に工夫することはないかとあれこれ考えます。
水替えも自分で始めたことなので、苦労ではありません。

金魚スイッチが入らなければ、きっと水替えなんて、ドロドロしちゃって汚いとか、臭いとか大騒ぎしていたかもしれません。
しかし、スイッチが入れば、汚かろうがなんだろうがお構いなしなのです。
まったく気にせず
「金魚ちゃん」
のために水質をキープすることに専念します。
結構マメなんですね。

これが発展して行くと、熱帯魚海水魚に進んでいくのかもしれない。
もしそこまで行ったら、まだ僕には管理出来そうにないから、今は金魚で我慢します。
僕は、いつもそうなのですが、何でもスイッチが入ると周囲のことは目に入りません。
金魚のコーナーを穴が開くくらい眺めては妄想します。
怪しすぎる。

傍で見ていた母は何も言いませんでした。
いつもは口うるさいおばあちゃんも金魚のことは咎めませんでした。
きっと本当に僕が飼えるのか、様子を見ていたのだと思います。
すぐにガミガミ怒られるかなと思っていたのでちょっと拍子抜けしました。
まあ、叱られても絶対に止まりませんけれども。

苦労した甲斐あって、水槽は綺麗に保たれ、僕に良い効果を発揮しています。
仕事の最中にふっと金魚に目をやって、ヒラヒラスイスイの姿に癒されます。
これから冬に入るので、信州はきっと寒いだろうし、どうしようかなとあれこれ考えているところです。
金魚が凍ったら大変だから温めてあげなくては。

しかし、金魚も生き物です。
もしも死んでしまったらガッカリです。
僕は3匹飼いましたが実は1匹死んでしまいました。
弱り始めていたのでわかってはいましたが、事実として受け止めるまでにとても時間がかかりました。
どうしようどうしようと、ぎゃあぎゃあ騒いでいましたが認めることにしました。

いくら人間が手を尽くしても、どうにもならないこともある。
地球上で頭が良くて、パーフェクトみたいな人間でも、生き返らせることは出来ない。
これはとても大きな課題でした。
僕は、何故死なしてしまったのか、あれこれ分析し、固体の差でのストレスや、餌のやり方にも問題があったと学びました。

死んだ金魚は、ずっと生きています。
僕の中でまだヒラヒラとスイスイと泳いでいます。
大きな池の中ででっかくなっています。
僕が生きていることを止めない限り、僕の中でパクパクしていると思います。
そして、死なせてしまった事で、僕は勉強したので、次は失敗しないように向上したいと思いました。

金魚のことで、僕はまた死ぬということを事実だと認めることを経験しました。
そして、死ぬと言うことは当人にとっては動かなくなる、だけではなく、後にも生き続けること、後の人のためにも生き続けると言うことがわかりました。
これは大発見。なんて大げさに僕は思い金魚に感謝しました。

僕は、人も動物も、モノとも変わらないし、感情もよくわかりませんでした。
しかし、衝動性のおかげで経験を積むことが出来るのかもしれません。
そう考えると、僕にとって衝動性は悪いものでもありません。
生きるということ、死ぬということは、ただ停止したり、僕のものになるだけではないのです。

生きていることは、当人にとってただ生きている。
金魚も僕と出会って寿命を操作され減ったかもしれないけれども、僕は、金魚をそのまっとうすることの寿命よりも大きなものにしていけば、良いと思いました。
しかし、これは人には当てはめたら大変です。
いけないのだと考えました。
人は金魚と違う。

人と金魚はなぜ違うのか。
決定的な違いは僕にはわからない。
それは何故わからないのかも僕にはわからない。
ただ、学習で違うのだと知っている。
なんでも地球では人だけは特別扱いをされているようだから。
だから、人だけは別格に、生きているも死んでいるも、とっても重要にしなくてはいけない。

金魚を同じに人を考えたのなら、たとえば、僕の後の勉強のために、あなたは犠牲になってください、もしくは実験です、または、好奇心のために人間を使っても良いとなってしまう。
それはまずい。
何故まずいのか。
心があるからなのか。
感情があるからなのか。
親や子があるからなのか。
何故なのだろう。

感情があるから、なら、猫だってあるし、犬だってある。猿だって。
でも人間は別格。
誰が決めたのかは知らないけれども、人間を守るために、人間が考えたんだから、人間の都合の良いように解釈したに違いない。
人間が決めるのであれば、自分の都合の良いように植えつけるに決まっている。
DNAにかな。

だとしたらば、僕のDNAはどうなっているのかという疑問もあるが、とにもかくにも人間には植えつけられている。
それでも人間が人間を殺していい時もあるようだ。
犯罪者を裁くときや、戦争のときなどや敵対するとさっさと殺す。
DNAはきっと混乱するに違いない。
だから殺すことに拒否感が発生する。

要するに人間の生死は、自分の都合や集団の都合で何とでもなるということか。
それはまたおかしな理屈だ。
人間が人間を殺しちゃいけないのなら、それをベースにしなくっちゃいけないはずなのに、違う場合もあるだなんて、他の生物に大変に失礼な話だ。
身勝手すぎる。
一番頭が悪いのは人間かもしれない。

金魚を飼いはじめて、生物が僕にとっては身近になった。
その前にも猫をとても可愛がって育てて僕は心の安定を得た。
猫の場合は偶然だったが、金魚は衝動性からだった。
ああ、結構悪いこともない。
この衝動性は、様々なことを僕に考えさせてくれる。
そして次に、
「メダカ」
にスイッチが入る僕だった。

金魚よりも、小さいメダカに僕は超スイッチが入る。
そもそも、僕には目玉が開いていないと駄目なところがあって、
目を閉じていると「死んでいる」と勘違いをするので、その点魚は目玉が開いたままだ。
メダカは小さい。
動き方がツンツンとしている。
これに魅せられてメダカを飼うことにしたのだ。

ADHDの苦悩

部屋が散らかるから 
整理方法も工夫する
余計なものは持たずにシンプルに暮らそうとする
ADHDもそうだ
整理したいなら工夫をする
シンプルにするともっと楽になる


時間にルーズなのではない。
時間の感覚が違うだけだ。
落ち着きがないのではない。
自分の感覚を確かめているだけだ。
持ち物の管理が出来ないわけではない。
集中が途切れるだけだ。
理由がわかれば、改善は出来る。
それでもミスったら、また改善をする。
僕はADHDだからこそ改善が出来る。


自分を一番信じられない一瞬もある。
念には念を入れて荷物を準備したのに、肝心なものを忘れたときとか。
しかも、なぜ忘れたのかさえ思い出せない。
それに、手に何かを持っているといつの間にか失くす。
我ながら愕然として自分にイライラする。
僕はモノに執着してはいけないということなのだろうか。


数歩歩けば、脳からポロポロと何かがこぼれ落ちるような気さえする。
いつもいつも、何かを忘れているような気がする。
約束があったのかもしれないとか、期日が実は忘れていて今日だったりしないかとか。
スケジュールを見ても意味はない。
書くのを忘れている可能性だってある。
僕なんだからありうる。


メモをしても紛失する。
魔法のようにどこかに飛んで行ってしまう。
メモを書いたことさえ怪しくなってくる。
僕のことだ。
気のせいかもしれない。
それならばと、写真を撮る癖をつけた。
なんでも写真に撮れば僕の記憶の代わりになってくれる。
しかし肝心のスマホを失くした時はこの世の終わりかと思った。


なんでこうなるのだ。
と自分を恨みたくなる。
どこまで馬鹿でどこまで甘くてどこまで抜けているんだと怒りがこみ上げる。
自分に怒っても、何も解決はしないが怒らずにはいられない。
そして怒りの後に失望をする。
「僕はとっても残念だ。君には期待していたのに。同じ失敗を繰り返してばかりだ。」


ADHDじゃなければ、いったいどんな世界が見れたのだろう。
頭の中は静かで整理整頓され、時の流れとともに記憶が続いているのだろうか。
わずかな時間でもいいからそういう世界を体験してみたい。
どれだけ僕は自分にガッカリしなくて済むのだろう。
自分の時を認識しながら生きていけるのだろうか。


一歩一歩、自分の歴史を自分に刻むことはどれだけの充足感があるのだろうか。
僕の時間は飛び飛びで、まったく続いてはいない。
必ず抜け落ちてしまう。
今を生きていることには、間違いないのだが、時の使い方がおかしいのだろう。
タイムテーブル通りには絶対に合わせられない。
合わせる自信もない。


24時間で1日が終わるなど、どうやっても無理な話だ。
間違いなく間に合わない。
24時間ですべてを詰め込んだら僕は忙しくておかしくなってしまうだろう。
出来れば、少し時間が欲しい。
26時間は最低でも。
いや、それでも間に合わない。
ノンビリしているわけではないのに、時間の経つのが早すぎる。


社会に居るのだから、時間は合わせなくてはならない。
僕時間に合わせていたら、社会はまわらない。
僕の時間は一定さはなく、気まぐれであり不確定だ。
おまけに明日の予定なんてわからない。
明日になってみないとわかるわけがない。
しかし社会はわかっている。
明日を読んで生活の基にしているのだ。


社会では明日がわからないと不安になるのだという。
僕は逆に、明日がわかることが恐ろしい。
イメージさえ出来上がってこない。
今をやっつけてしまわないと、僕の明日は来ない。
太陽は昇るだろうが、僕にはそれが見えていないこともある。
あっという間に太陽は月に姿を変えていることもあるくらいだ。


僕の時間は飛び飛びだから、くっついていない。
だから、今日と明日もくっつかない。
くっついているのなら、明日の予定もきちんと決められるのだろうし、決めないと不安なのだろう。
くっついていない僕は、明日の予定を決めたとたんに不安になってしまう。
明日がイメージ出来ないから余計に不安になる。


もしも、明日の予定があったのなら、僕は今から明日をつなげるために必死になる。
明日のために、今から繋いでおくことをしないと、明日が確定しないからだ。
予定の時間まで寝ずに記憶が繋がるようにしておかないといけない。
そうやって頑張って起きているから、眠さで気絶して時間に遅れてしまう。


時計を見てガッカリする。
まただ。
まただ。
悪夢を見ているようだ。
昨日の時点に時が巻き戻ったりしないのだろうか。
何回遅刻して何回すっぽかしているんだろうか。
自分がガッカリ。
頭をポカスカやりたくなる。
予定があるのにのうのうと寝ているなどと、社会人としての意識が不足している。
無責任だ。


ぐわんぐわんと頭の中で自分を責め始めるが、責めてみても仕方がない。
何も始まらないし解決はしない。
気を取り直して謝罪を繰り返し、心がえぐられるようになり反省するのに、またすぐに繰り返す。
僕には反省がうまく作用していない。
それならそうだ、作用しないのかもしれない。
今のやり方では。


予定を守るとしたら、工夫が必要だろう。
反省を作用させるためには、同じことをしていても、なんら意味がない。
予定の前日はリラックスしておくとか、いっそのこと現地で待つとか、あれこれ試してみるとわかってくる。
僕に合ったやり方で予定に近づけばいいのだ。
自信を失くすことはないともわかった。


予定に合わせられないと、自信を失うことはおかしいことだ。
何故かといえば、僕は一生懸命努力をしている。
結果が遅刻だとしても、それはただの結果であって、まだ何か僕のやり方や工夫に欠点があるだけだからだ。何も僕が悪いのではない。
工程が悪いだけだ。
悪い部分を修正していけばいい。


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ADHDの僕はいつも困っている。

どんなに不遇でも
どんなに障害があっても
勉強をしていればいい
成長を止めてしまえば
生きている心地がしない
その時その時だけを
掴み続けていれば
生きている心地がするから

毎日同じことの繰り返し
朝から夜まで同じこと
心臓も同じことを繰り返して
同じように生きるだけ刺激を求めても
刺激はすぐに感じなくなる生きることに
意味を探してばかりじゃ
すぐに飽きてしまう
意味が無いから生きている
意味が無くても生きて行ける


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【ADHDの僕はいつも困っている。】

子供のころはあまり注意されないことも、
大人になって社会人になると、
致命的なミスを引き起こすことさえある。
最近は、仕事をするようになったので余計に困り度が大きくなってきたと思う。
いったいADHDの人がどういう感覚なのかわからない人もいるだろう。

一言で言えばいつも脳内が忙しい。
ザワザワしていて落ち着けない。
まるで雑音がずっと流れているような感じだ。
だから思考しようとしても、考えが飛び飛びになってしまいまとまりがなくなってしまう。
散らかったままの部屋のように、僕の脳はいつもいろいろなもので溢れてしまう。
だから集中しにくい。

脳内の散らかった部屋をなんとかして片づけたいと願うけれども、次から次へとモノは飛び込んできてしまい、ちっとも整理出来ない。
それじゃあ、端から整理しようとするが、次のモノがすぐに飛び込んできて意識が移動させられてしまう。
これはわざとやっているのではなく、スイッチが切り替わる感じだ。

切り替わったスイッチは一方方向にしか動かず、ただ進め進めとなってしまい、戻ることが出来ない。
最初に取り掛かったモノはすっかり忘れてしまうので、もはや取り掛かったことさえ意識にない。
後で思い出すこともあるが、思い出したところでまた何かのスイッチが入るので移動せざる負えなくなる。

スイッチさえはいらなければいいのに、ADHDのスイッチはとても強力だ。
本人の意思とは関係なしに意志を無視して無情にもスイッチは稼働してしまう。
予防の対策としてあれこれやっても、スイッチはカチッと入り動きだしどうにもならない。
流れに逆らうことが出来ずに無意識に脳は次に歩き出す。

結果的に脳は散らかり、あちこちのことに手を付けたまま中途半端になってしまう。
子供のころはこれでもなんとかなっていた。
しかし仕事をするとなると、このスイッチの存在が厄介になってくる。
人間関係では、気持ちの切り替わりの早い人になるのだろうが、作業となると別だ。
達成するまで苦労する。

一つの作業をやろうとしても、なぜか他のアイデアを思いつく。
脳が散らかってしまい境界線が曖昧なのか、別々に同時に考えているような気がする。
いったい僕の脳はどうなっているのかと自分でも悲しくなるくらい、次のターゲットを脳が思いつくとスイッチは切り替わる。
PC画面が切り替わるように。

常に脳内でいくつものプログラムが動いているような感じで、勝手にこれがランダムで切り替わる。
切り替わればそれに取り掛かるしか無く、また興味も注目もそれにしか動かない。
優先順位などつけられるわけがない。
どのプログラムも重要なことにしか感じないからだ。
順番も順位も無い世界なのだ。

そんな脳の動きだから、僕はいつも困ってしまう。
自分の脳の動きに世の中が合わせてくれるわけがないからだ。
僕はいつも流れてしまい、世の中は順番や順位が決まっていて固定化されそれを要求してくる。
折り合いがつくわけがない。
たまに一致することもあるだろうが、一致しなければおしまいだからだ。

動き回っていちいちパチパチ切り替わるプログラムは消耗が激しい。
だからたいした時間じゃなくても疲れてしまう。
脳がフル稼働なのだから仕方がないだろう。
それを責められても人間の限界なのだからどうしようもない。
責めるのならば、脳内の厄介なスイッチに言って欲しい。
決して僕が悪いのではない。

こんなスイッチがあったのでは、現代の人間の脳は、処理しきれず処理落ちしてしまう。
パチパチばかりしているのだから重くなってきてフリーズしてしまう。
どんどんヒートアップして熱を持ってしまう。
そうなってくると熱くて焦ってくる。
脳が散らかりすぎて目が回りそうだ。
止めるには休むしかない。

社会に出ると一定の順番や順位を要求され、また一定の動きを求められるが、こんな風だから守りたくても守れない。次から次へと切り替わる脳のせいで、一定なことが出来ない。
どうしても守るのなら、スイッチが入らないように無理矢理仕向けるしかない。
その方法を考えた方が、何よりも有効で早い。

もしも作業に集中させたいのなら、刺激を減らすことが一番だろう。
余計な刺激が脳に入ってこないように、デスクを囲いで仕切るとか、スペースは少人数とか工夫はあると思う。そして、ひとつの時間にひとつのことしか進行させないことだ。
あれもこれもと同時進行を要求すると脳が加速してしまう。

それでは、散らかり具合が酷い僕がどうやって仕事をしているのかを話そう。
僕の仕事は集中力が求められる。
脳にいちいちスイッチが入っていたのでは、作業が進まない。
そこに多動も入ってくるのだから想像しただけで恐ろしいが、多動の抑え方はまた次に書くことにする。
ひとつの方法として僕流なのだ。

僕は集中するために、脳のスイッチを強制的に入れっぱなしにしている。
なんだ、止めるのではないのかと思うだろうが、止めることはとても困難だ。
だから、入れっぱなしにあえてしておいてから仕事に取り掛かる。
なぜかと言えば、入れっぱなしなのでもう次にスイッチが二重では入らないからだ。

既に何を言っているのかさっぱりわかりにくいだろう。
脳の限界を利用して、二次的なスイッチを入れないようにしているのだ。
もちろん、スイッチが入りっぱなしなのだからクルクルと意識が動くと思うだろうが、既にスイッチが入って一定の刺激を受けているので、集中が途切れるスイッチは作動しない。

要は、仕事の作業に集中するために、脳に無理矢理刺激をかけてスイッチを入れておいてから集中をするのだ。
脳の切り替えスイッチはひとつしかないのだから、稼働しておけばいいのではないかという僕の勝手な理屈からだ。
もちろん、無理矢理なので集中出来る時間は限られているが濃い集中を得られる。

僕がいつも困ってしまうこと「脳を集中させる」これを達成し克服し乗り越えるためには、今のところこれしか方法がなかった。
もしかしたらもっと良い方法があるかもしれないが、今は断然これが効いている。
それでは、実際には何をしているのかを書いておこう。
言っておくが僕のADHDケースである。

まずは、仕事の前に脳に刺激を与えるために、動画を観はじめる。
その動画とは、大好きな自動車事故やクラッシュの動画だ。
これをずっと表示させておく。
延々と流しておくのだ。
クラッシュの動画は常に緊張の連続であり、冷や冷やする。
そして終りが決まってクラッシュだ。
だから安定するし飽きない。

まったく事故の動画だなんて不謹慎だと言う人もいるかもしれない。
しかし、僕には効くのだから仕方がない。
常にクラッシュだから、常に脳が注目し、また、次への興味でスイッチも動画によって切り替わる。
このおかげで僕が他の画面で作業に集中が出来るのだ。
壊れるという刺激が良いのかもしれない。

ありえない速度で突っ込む車。
ありえない方向から現れる車で、僕の脳は次から次へと刺激を受ける。
普通の人ならビックリしてしまって、逆効果で作業が止まるだろう。
しかし、僕には逆に働いてしまう。
どんどん集中が出来ると言うわけだ。
いったい脳がどうなっているのか、疑いたくなるだろう。

僕は複合的に障害を持っている。
ADHDでアスペルガーでサイコパスだ。
だからこそ、効くのかもしれないから、実際にはクラッシュ動画だなんて、もちろんお勧めはしない。
しかし、他にも同じ理屈で効き目があることがあると思う。
要するに「ながら作業」のススメかもしれない。
音楽でも良いだろう。

音楽は、僕にはあまり効かない。
目からの刺激のほうが僕には強いからだろう。
だからぱっぱと切り替わるものが無いと、片方で集中が出来ないのだ。
今日は長々と集中についてツイートしたが、だいぶ変わっているかもしれない。
しかし、ADHDの人の脳はこうなっているのだ。
だから責めないでほしい。

ADHDの自分にも止められない脳内スイッチは、本人を責めても何も解決はしない。
そして、もし集中出来ないことを責めてしまったら、わけもわからずに自信を失ってしまうだろう。
それこそが大変まずいのだ。
責めても治りはしない。
時間の無駄だし、お互い疲れるのだから、解決方法を探ってあげよう。

そしてADHDを抱える本人も、まずは悲しんでいても仕方がない。
こういう脳なのだからと割り切ってしまうと楽だ。
僕もそうだ。
困っている。
困るが困ってばかりじゃ仕方がない。
失敗はいくつもあるが、失敗があるから成功もある。
怖がることはひとつもない。
特性さえ把握すれば必ず何かを達成できる。

誰かにお願いすることも、一人で解決することも大差ない。
恥ずかしいことなどまったく無い。
自分を知ることは良いことだ。
方法なんてなんでもいいから自分の環境にあった自分の方法を編み出すことだ。
法に触れない範囲なら試してみるといいだろう。
案外面白いことがピッタリ効いたりするかもしれない。

困っている僕は、困っていることが僕らしいのだから。
困っているADHDは、困っているからADHDだ。
困るからこそ、工夫が生まれる。
ADHDは、人類の工夫の宝庫だから、有難い存在になるに違いない。
と、僕は困りながら前向きに毎日困りながら工夫をして生きている。




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失敗を見つめる

僕の一人暮らしを、あんなに大騒ぎして、
心配だ心配だと連呼していたおばあちゃんが、
すっかりおとなしくなりました。
今日も僕に栗ごはんを作ってくれて、他には何も言われませんでした。
なんだったんだろう、あの大騒ぎは。
僕が一日じっくり付き合ったことで安心したのかな?

よかったよかった。


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【失敗】

僕はたくさん失敗する。
そして失敗のたびに、失敗の原因を探り改良をしていく。
失敗は恐れない。
むしろ失敗を恐れることを知らない。
後先のことなど考えていないからだ。
故に大量に失敗をする。その失敗から学ぶことは多い。
もし何事もなく進んでいたのなら僕は何も考えずに成長しただろう。

もし失敗を恐れる人が居たら、それは残念なことだと思う。
失敗とはとても大きな恩恵を後にもたらしてくれる。
失敗から来るダメージは大きいかもしれないが、実は失敗から得ることの方が価値がある。
何事もスムーズに行ったとしたらそれはそれで良いのだが、成功ばかりでは成長せずに止まってしまう。

物事や時間は流れている。
僕はその流れている空間に生きている。
それなら、流れた方がいいに決まっている。
楽だ。
成長が止まってしまったら、流れに逆らうことになる。
流れに逆らったら、必ずきつくなるだろう。
修復出来ないくらいにきつくなるくらいなら、今ちょっとだけ苦労した方がいい。

失敗については、僕のような考え方をする人もいるだろう。
失敗を生かす人だ。
しかし、失敗を遮断することで回避する人もいる。
二度と失敗しないように、失敗した事柄から自ら遠ざかる人だ。
その方が利口かも知れないが成長は止まってしまう。
どちらが良いのかは人に寄るのだろう。

もし、失敗に対して恐怖感がある場合は、しんどいことだろう。
失敗したらどうしようと思い悩んでしまい、それだけで成長どころか止まることも出来ずに、逆流してしまうかもしれない。
自分が元気になったらまた挑戦するのもありだろう。
僕のように恐怖感を持っていないのならば失敗に適している。

前置きが長くなったが、僕は失敗をすることで多くを学んでいる。
僕が失敗に恐怖感、恐怖心を持っていないことは、とてもラッキーなことだ。
失敗をしたら、必ず次への対策を熟考することが出来る。
なぜ失敗したのかを考えることはとても楽しい。
その時の情景を思い出して客観的に分析を出来るからだ。

失敗したときの自分を思い出すのは楽しくはない。
自分にガッカリするし、怒りもこみあげてくる。
しかし、この感情を乗り越えないと分析なんて出来ないから、ぐっとこらえる。
「ようしこれはきっと僕への挑戦状に違いない。」と、奮起することで切り替えることにしている。
失敗を面白がるのだ。

自分の失敗を面白がることが出来れば、あとはしめたものだ。
僕はその後失敗を分析し、どうしたら良かったのか、どこでつまづいたのか、どこでADHDの特性でもある「衝動性」を出してしまったのかをじっくり分析すればいい。
失敗をジロジロ見てみるのだ。
ノートやメモに書くと整理しやすいだろう。

あれこれ整理してみると、結局、発達障害の特性が失敗の引き金であることが多い。
もちろん他のケースだってあるのだが、ほとんどと言ってもいいくらい特性丸出しになってしまって失敗するケースが多い。
そうなると、特性だから仕方がないとなってしまえば成長は出来なくなる。
特性だからこそ重要だ。

発達障害の特性で、僕が失敗するのだとしたら、じゃあ発達障害をやめればいいのだが、そう簡単にはやめれない。
僕は僕をやめることは出来ないのだから、立ち向かうしかない。
なぜ僕が僕をやめないのかと言えば、僕はそのやめることについての結論がまったくないからだ。
前にしか進めないからだ。

前にしか進めないのも、僕の発達障害の特性なのか、サイコパスなのかは境界線がはっきりしない。
しかし、僕はこの特性を大歓迎している。
特に自信満々と言うわけではないが、自分をわざわざ辞めることは負けたことになる。
僕は勝ち負けにこだわるから、負けるのは嫌なのだ。
それだけで生きている。

次は負けたくないから、失敗をしないようにする。
そのための作戦を立てるように僕は失敗を見つめる。
同じことでつまづくこともあるが、必ず背景が違う。その微妙な違いも見逃さずじっくりと考える。
そして、なるべく人に頼らなくても良いように知恵を絞る。
これは失敗が無ければ出来なかったことだ。

僕にとって失敗は、何物にも代えられない自分への栄養だと思っている。
僕はこの失敗を得られることで、必ず成長をする。
ムクムクと大きくなって、世界が明るくなる。
そうして、爽快な気分になる。
失敗がくれる恩恵は、ひとつでもなくてふたつでもなく大きなものだ。
成功よりも気分がいい。



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予定の変更が許せない

人はミスをする。
そのミスは仕方がないとしても、期日までに間に合わさなくてはいけない場合、僕はなにがなんでも何とかしようとする。
別に一日くらい遅れてもどうってことがないとしても約束は約束だ。
守れないということをどうしても許せない。
相手のミスのせいで何故僕が詫びなくてはいけないのか。


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事件は、9月11日に発生した。
僕のところに来る予定の重要書類が遅延した。
僕が何度も確認したのに、何日もそのために励んでいたのにまさかの遅延である。
しかも、うっかりどころか、発送担当が11日到着予定だと断言し、請け負ったのに勝手に翌日にまわしてしまった。
僕は首を長くして待ったのに。

11日、僕は準備を万端にして書類を待っていた。
しかし待てど暮らせど一向に荷物は届かない。
不審に思い荷物の問い合わせをすると、なぜかまだ発送されていない様子。
驚いた僕はここから大パニックへと突き進んでしまう。
事実確認をし、手元に届かないことを知るとなんとかしようと模索し始める。

結局、どうなったかと言うと、僕は直接取りに行くことにした。
とにかく荷物を手にすることしかもはや考えていない。
あまりにも遠方からの到着なので何をやっても通常の方法では、今日中に間に合わないという。
僕にとってはそれは許されないことだった。
先方は慌てて最短の方法で発送することになった。

最短の方法で発送するとしても、僕がずっと事務所で待っていたのでは、その分遅くなってしまう。
故に、僕も動くことにしたのだ、それが一番時間的に早いからだ。
とにかく荷物に近づく。
一歩でも近づくんだ。
何かに憑りつかれたように僕は出かける準備をはじめる。
もちろんお泊りセットを持ってだ。

ここで被害者が一名仲間として加わることになる。
おばさんである。
母は仕事で不在だったので、おばさんに車を出してもらうように頼み込む。
僕の様子がおかしいことに気が付いたのか、面白かったのかはわからないが、おばさんは快く荷物奪還の旅に出てくれることになった。
ここで時刻は15時だった。

おばさんは、常日頃から僕のことを可愛がってくれている。
もともと信州に住んでおり、最近また交流がはじまったのだ。
そして、おばさんは、非常にせっかちであり、おっちょこちょいである。
極端な性格なので、荷物が遅延してこの世の終わりのような顔をしているの僕に共感してくれたのだ。

たかが荷物であるが、重要書類が入っており、僕にとっては今後の仕事に影響するほどの破壊力を持っている。
実際にそうなのかはわからないが、僕は思い込むと止まらない。
頭の中が荷物でいっぱいになってしまう。
荷物が来ないと何も食べれない、何も飲めない。
もちろん、他の仕事も手につかない。

僕は、心の余裕を持たなくてはいけない。
それは意識しているが、なかなか出来ない。
仕事でも今すぐ今すぐといつも常に大慌て。非常に慎重に事細かく段取りを組むのだが、その通りにならないとどうしても許せない。
そして他者のミスには煩い。
なぜそうなったのか原因を究明しないと気が済まない。

まさに今回の遅延も報連相が徹底されておらず、僕がそれを聞いて大炎上。
いったい仕事をなんだと思っているんだー!
となり善処を求めて僕も動いた。
人にぎゃあぎゃあ言っただけでは仕方がない。
はい、すぐに動く!とばかりに、荷物片手に信州を出た。
同行してくれるおばさんも宿泊しなくてはならない。

ガソリン代・高速道路代・宿泊代 すべてを僕が負担し、一目散に荷物めがけて向かった。
いったい何のために荷物の発送代を払っているのかわからないのだが、相手にそれを求めたところで、面倒なことになるのは目に見えていた。
細かいことよりも、僕には今は荷物が全てだ。
お金には変えられない。

ということで、僕は11日に何時間も車で移動し、めでたく荷物を受け取ることに成功した。
不可能だと言われても、可能にすることが出来た喜びに僕は感激した。
受け取った荷物が愛しく思え、頬ずりをしたくなった。
その時既に12日になっており深夜だった。
すぐ中身を確認したがどっと疲れが出てくる。

よく考えてみれば、11日から何も食べていない。
それどころではなかった。
しかし、すぐに宿泊先のホテルに戻らねばならないが、おばさんも僕のせいでヘトヘトで空腹である。
一緒にファミリーレストランに行き、やっと食事をとった。
僕は大興奮がおさまらずにおばさんと弾丸トークになってしまう。

延々と何時間もそこでおしゃべりし、食事をしデザートまで注文し、調子に乗りすぎてしまう。
既に2時間が経過し、ホテルに戻ったのは深夜3時近かった。
そこから僕は荷物を開封し、ジロジロ眺めて過ごして、あれこれ操作したりした。
疲れているのだからすぐに寝ればいいのに、興奮がおさまらなかった。

僕は荷物の中身のことで電話をしたくなり、i Phoneのイヤホンを探す。
しかし、どう探してもイヤホンが無い。
これは大変だ。
さっきのファミリーレストランに忘れたか、どこかにばら撒いてきたようだ。
車の中を探したが無かった。
仕方がないので僕はホテルを出てイヤホンを買いに出ることにする。

知らない土地のホテルを出て、どこに行けばいいのかわからないので、とにかく道路を歩く。
深夜なのでちょっと怖い。
やっとコンビニを見つけたがイヤホンを置いてない。
今度はイヤホンに執着しはじめた僕は、なにがなんでもイヤホンを手にしないと気が済まなくなる。
慌ててドンキホーテを検索する。

現在地から検索したドンキホーテの地図を見ようとするが、土地の名前がわからないので距離がつかめないし、方角もわからない。
これはまずいととにもかくにも歩いた。
そこで僕は自分の足を見てとんでもないことに気が付く。
僕はホテルのスリッパのまま外出していたのだった。
どうりで歩きにくいわけだ。

これはどうしたものか。スリッパのままでは歩きにくい。
靴を買うしかない。
イヤホンと靴を買おうか迷っていると、コンビニの灯りを見つけた。
救われた気持ちでコンビニに行こうとすると、ちょうど自転車に乗っているおじさんにすれ違った。
僕は深夜で暗いし怖くなってしまい懐中電灯も買おうと決める。

いつのまにか必要なものが、イヤホンと靴と懐中電灯になった。
懐中電灯には電池も必要だ。
コンビニで探すが靴は無い。
他はゲットしたので、靴は諦めるとしてホテルに戻る。
道に迷ってホテルがわからなくなったが、奇跡的に発見し部屋に帰れた。
懐中電灯を開けて電池をセット。
しかし入らない。

僕は電池の大きさを間違えていた。
懐中電灯をよく見ずに買ってしまったようだ。
せっかく買ったのに踏んだり蹴ったりだ。
がっかりしてバックに仕舞い、イヤホンのパッケージを慌てて開けるが焦っているので線を引っ張ってしまい断線したようだ。
即効壊してしまい、片耳しか聞こえなくなってしまった。

やることなすことうまくいかない。
なんでこうなる。
もう自分が嫌になってしまう。
うまくやっているツモリがまったくうまくない。
まるで喜劇だ。
朝になりそうだ。
空が明るくなって来たじゃないか。
僕はずっとドタバタやっているようだ。
自覚はあるが、衝動的に動いてしまうところは止まらない。

わーわーやりながら、書類を見ているうちに僕は気絶してしまったようだ。
朝おばさんからの内線電話で僕は目が覚める。
恐らく2時間弱寝ていたのだろうが、まだフラフラする。
元気を回復したおばさんは、今日はついでに観光をすると言う。
それならば、と、ホテルで朝食を取りチェックアウトした。

遅延した荷物をわざわざ自腹で、おばさんまで巻き込んで遠方まで取りに行って、僕は気が済んだが、毎度こんなことばかりだ。
約束と違うことがあるとどうしても許せず認められず、なんとか修正しようとする。
急な予定変更に弱いからだ。
そしてそれにこだわってしまい、それしか頭に入らない。

結果的に頭に荷物のことしかないので、仕事の業務を停止して行った。
それも損害になってしまったが、どちらが大切なのかということを天秤にかければ、普通は仕事なのだろう。
しかし、僕にとっては、予定変更がありえないことなのだ。
今回の遅延のお蔭で実質的な損害があったが予定は守れたから良い。

やあやあ幸せだ、良かったじゃないか、大切な予定は守れたのだから。
と、なるはずだろうが、翌日おばさんと荷物奪還の旅からの観光をして、僕は物凄く疲れることとなる。
ほとんど寝ていないのでテンションは上がり気味だったせいか、いつもの散財コースとなる。
お土産と称してあれこれ購入したのだ。

お財布の中は見事にすっからかんとなり、僕は心身ともに疲れ眠さのせいで、吐き気も酷くなり泣きたくなる。足も痛い。
喫茶店で少し休んでいるうちに、自分が馬鹿馬鹿しくなってくる。
冷静になってきたのだろう。
荷物が一日遅れるだけでなぜ許せないのか、今後は予定変更にも強くならなくてはならない。

荷物奪還の旅から帰還する間、眠くて眠くて気を失いそうになったが、おばさんと弾丸トークを車中で繰り広げ、更に疲労を増す。
疲れることはわかっているが、人と居ると自分のことが自覚できないので、元気いっぱいテンションアップ。
無事に信州に戻ったが、すぐに仕事の時間になってしまった。

恐ろしいことに仕事をするしかない。
一日業務が停止しているのだから、さすがに休めない。
僕は事務所に向かい、吐きそうになりながら翌朝まで仕事をこなすことになってしまった。
ヘトヘトのさらにヘトヘトの「ヘットヘット」になった。
こうやって僕はよくグダグダになる。
ちっともスマートではない。

僕はたまにツイッターに顔を見せずに、音信不通になることもあるかもしれない。
それは、ほぼこのような事態に陥っているからだ。
仕事で忙しいというより、自分のことでいっぱいいっぱいなのだ。
学生の頃は、母がうまく調節してくれていた。
しかし、今は止める人は居ない。
おばさんも止めてはくれない。

僕は一日の瞬間瞬間が大切でたまらない。
いつも起きている以上、何かをしなくてはおかしくなる。
そして、仕事もそうだが、自分のことも、何かひとつでもつまづくと大騒ぎになる。
これは良くない。
良くないのだろうが、直らない。
寛大になれないし、ルーズにはなれない。
何もかも全て一生懸命なのだ。

自分が一生懸命で、命を削ってでもやり遂げようとする。
だから、他者もそうなんだろうと勝手に解釈する。
僕の衝動性や行動力は、物凄い威力があるのだそうだ。
クヨクヨ悩んでいる時間などない。
一秒でも惜しい。
思い立ったら吉日どころか、その場で即行動である。
瞬間瞬間を無駄にしたくないからだ。

動物的とても言うべきか、なんのために脳があるのかわからないくらいだ。
衝動が起きたのなら、僕の脳は衝動を止めることには、まったく機能しない。
行動しながら考えるのかと言えば、考えているツモリだがほとんどこだわっていることにしか脳が働いていない。この衝動性は壊滅的な被害をもたらす。

実際に衝動が起きると、身体も変化してくる。
手足はモゾモゾしはじめて、身体全体が熱くなる。
いてもたってもいられない感じだ。
脳からの指令は一点のみに絞られターゲットしか目に入らないし考えられない。
野生のライオンのように標的に一目散。
しかも諦めることはしない。
そして食べない寝ない。

人の忠告なんて耳に入らない。
脳がシャットアウトする。
僕の衝動を止めるとするのならば、気絶させるしかないだろう。
今は一人暮らしと実家との往復で、嫌でも注意が散漫になっている。
自分の統制が出来ずに余裕もない。
そこに衝動が起きてしまったらイチコロなのだ。
そして周囲を巻き込んで大騒ぎだ。

僕は苦しくて仕方がない。
この衝動に支配されてしまったら、僕は突っ走るしかないからだ。
どんなにそれが困難でも振り返ることなく、ただ前しか見ない。
社会の中でそれをやったら、僕は信用を失いかねない。
それをわかっているのに、やめられないし、止まらない。
泣きながら走るしかないのだ。

ADHDの部分なのか、サイコパスの部分なのか、僕にはわからない。
この衝動性は無鉄砲であり、無慈悲だ。
他者のことなど考えない。容赦ない。
酷いものだ。
でも、本当に酷い、申し訳ないとは思わない。
ミスをしたのは僕ではないからだ。
最近また酷くなっていると自覚している。
まとまりがない。

療育であれこれ対応方法をやってきたと言うのに、肝心の時に機能しない。
いったいどういうことなのだ。
やはり治りはしないと言うことなのか。

僕は、今ヘルプな状態だ。
このままでは、また何か騒動を起こしてしまう。サインは出ていたのだろう。
こだわりが酷くなったし、モノを失くす、睡眠が少なくなり、食欲も出ない。
人の声や人の気配が拒絶状態になりやすくなったし、散財ばかりだ。
これはまずい。
僕はこれをなんとかしなくてはいけない。

母や家族にはどうにも出来ない。
なぜならこれは僕の問題であって、僕は僕でしか直せない。
僕が自分を立て直さなくてはいけない。
外的な支援だけでは、根本から直せない。
自分で直すしかない。
整理しよう。
頭を整理だ。
もうそろそろ僕は自分でブレーキを備える能力があるはずだ。
限界なんてないはずだ。

直結して思い込む激しさ、衝動の激しさ、予定変更への抵抗。
わけがわからなくなってしまい注意散漫で頭が散らかってしまうことも、人への優しさを忘れてしまうことも、後になってみれば整理出来るが、爆発している最中には抜け落ちる。
これをくっつけたい。
僕はまたテンプレを作るしかない。

自分のことを整理して考えることは苦痛だがやるしかない。
今日書いたことも簡単に書いているがもっと酷い有様だ。
それをひとつずつ拾い集めて正しい行いを求めたいと思う。
そして、気を反らす方法を自分で会得したい。
パニックが起きたら対処するように、衝動性も克服したいと思う。
じゃなきゃ辛い。

きっと今日から夜中でも僕は、わあわあとつぶやくかもしれない。
衝動性の克服はきっと大きなことだろうし、自分との闘いになりそうだからだ。
これからガチンコで勝負してやろうと思う。
僕は僕の中の何かと決戦するつもりだ。





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