擬人化というものがありますが、僕にはこれはまったく効きません。
もし、モノにもありがとう、ごめんなさい、を教え込まれたら、
それはそれでやりますが、人との区別はつかないままです。
たとえば、モノを壊した時に所有者に謝らずにモノに謝ります。
罪悪感は起こりません。
【人を物としてみる②】
自分の所有物以外を大切にすることに繋がらないのです。
何故かと言えば、損得がわからないからです。
そして人のモノを破壊したら、モノに申し訳ないと思いません。
何故ならモノにも感情を感じないからであり人にもそうです。
要するに自分以外のすべてのものに感情を感じません。
【たぶん①】
相手から
「たぶん電話するよ。」
と言われたとしましょう。
すると、僕はたぶんは白か黒ではなく、
するんだかしないんだかわかりませんので、
拒否するよりありません。たぶんは、
多用されがちですが僕ははっきりしないものは無にします。
相手の意志がわからずに信用出来なくなるからです。
【たぶん②】
たぶんねって言われると、相手に主導権を握られたことになります。
それ自体僕は許せませんから、拒否するのです。
ですので
「いえ結構です。」
となります。たぶんよりも
「ちょっと後で」
なら電話をする意思がありますので何分後か確かめられます。
たぶんは主導権を握るための言葉なのです。
【良心①】
僕は、お話し、物語の中にも良心を見出すことが出来ません。
ですので、物語を読んでもさっぱり意味がわからないことが多いです。
辻褄が合わずに悶々とします。
自分から見たことしか(損得のみ)理解出来ないせいだと思います。
むしろ、良心を出されるとその裏側にあくどい事があるのでは⇒
【良心②】
僕に対して、不利益なあくどいことを考えて、策略されるのではないかと疑います。
自分の損になるようなことをすることが、理解不可能なのです。
もし、僕が物語を作るのなら、きっと損得のみのお話しになってしまいます。
が、実生活で生かされないでしょう。