発達障害なう

ツイッターで、投稿したものをコピーしてあります。

人付き合い指南書

【ご注意】このブログ(ツイッター含む)の文章の内容は、僕が障害を乗り越える過程です。現在進行形ではありますので、人によっては不快に思ったり、障害当事者の方は、フラッシュバックを起こす危険性もあります。文章で生々しく当時のことを再現しておりますので、閲覧される場合はじゅうぶんご配慮の上、自己責任でお読みください。また、自傷などは、一切僕はしておりません。
また、このブログに書いてあることは、あくまで、一障害者の発言であり、専門家の意見ではありません。僕の発言だけを鵜呑みにすれば、危険をともなうことになりかねません。そして、僕の文章は、全てを網羅するものでもなんでもありません。そして、発言内容を他者に押し付けるつもりもございません。その点、ご留意の上、お読みくださると幸いです。
【自己紹介】ADHD アスペルガー症候群 強迫性障害 反社会性人格障害 10才で診断。双極性障害は19才で診断。 小1からの出来事をツイートしています。発達障害関連無言フォローします。愛の手帳4(療育手帳B2)障害者手帳1級取得。精神年齢14才。亡母がアスペルガー・ADHD、現在21才。フリープログラマー♂ 2015年6月9日スタート

アスペルガー・ADHD同士の恋愛

役所や、お店に電話で問い合わせをして、これから行きますとか、
(手続きを)急ぎますと言うと、
「お気を付けていらっしゃってください。」
「慌てなくて大丈夫ですよ。」
と、一声掛けてくれる。
その一声で救われホッとするものだ。
こちらも思わずその気持ちに感謝して、お礼を言いたくなる。


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アスペルガー・ADHD同士の恋愛は、どうなるんだろう。
お互いワアワアで、楽しいことばかりを追求して、良い時は良いだろう。
しかし、相手に丸ごと全部、気持ちも考えないで思ったことあったこと(過去のことも含む)
を言ってしまうので、簡単に傷つけてしまう。
要するに笑ったり泣いたりが忙しい。

なにしろ、障害特性が恋愛により、丸裸に近い格好になるのだから、
お互いがよくよく自分に気を付けなければ、関係を保てなくなる。
また相手の長所を文句無しに好きになれなくては、短所ばかりが気になってしまう。
まあまあいいやという、グレーゾーンがお互い無いから、納得出来ないと衝突する。

障害の特性があろうとなかろうと、コミュニケーションの仕方や、
付き合い方が重要なのだが、そこがそもそも苦手なのに、
どうしたらうまく付き合っていけるのか、最初は謎だらけのまま手探りになってしまう。
結局、自分を見つめて、自分の特性にお互いが理解を求め、
また歩み寄ることがコツなのかなと。

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僕と美しい日本語

僕は日本人です。
そして、障害者でもあります。
僕は、当たり前のように、日本語を使っておりますが、
日本語を愛しております。

それは、僕が自分を立て直す部分では、大変日本語が役に立ったからとも言えます。
僕は、人の感情がうまく読み取れません。
そして、自分の感情(怒り)を抑えることが苦手です。

だからといって、お人に対して無礼を働くことが許されるとも思いません。

僕は常日頃から、美しい日本語を使うように心がけております。

それは、僕が、
「常に障害者であり、感情を読み取れないことを自覚するため。」
ということなのです。

これは、悲しい切ないことでもなんでもありません。
全て、自分のためなのです。

僕はどこに行っても、謙虚さを忘れないのです。
そうすることで、僕は、社会の中で生きて行けるのです。



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今日は、僕と言葉・言葉づかいについて考えてみたいと思います。
僕が常に言葉を大切にするのは、この言葉こそが人と人を繋ぐものだと思うからです。
僕は、この社会の中で謙虚に立ち居振る舞いたいと常に思っております。
周囲に配慮出来ない特性や少ない感情を、逆手に偉そうにするつもりもありません。

もし障害という名を傘にして、他者に迷惑をかけたら、
自らの分をわきまえないこととなりお叱りをいただくでしょう。
人より配慮が足りない、障害者である自分を認めて、
人の何倍も気を使うのが当たり前だと肝に銘じているのです。

何倍も他者とのコミュニケーションに配慮しなくてはならないということです。

ですから、どんなお人に対しても、僕は自分が相手の感情を読み取れないことを、
「認めてくれわかってくれ」
などと申し上げることは、非常に礼儀を欠いた失礼なことだと思って居ます。

そのような事をしてしまえば、僕は自分で自分を決めつけて、
他者に自分勝手を押し付けていることになるでしょう。

社会の中で言うのであれば、

「僕はルールを守れないのだから、約束を忘れた。」
「僕は悲しい気持ちがわからないから、同僚の悪口を言う。」
「僕は利己的だから、自分だけが仕事で楽をしたい。」

いかがでしょうか?

このような方とお仕事をしたら苦痛に決まっております。
他者に迷惑この上ありません。

下手をすれば、社会から遠ざけられてしまいます。

自分勝手な振る舞いは、障害がある無しに関わらず言える人柄のことだと思います。
人は、一人で生きているのではありません。
必ずどなたかのお手を煩わせているのです。

それをありがたく思わないというところに、大きな問題があるということです。

僕が言葉を大切にするのは、障害を抱えているから故なのです。

日本語は非常に表現力があり、良い言語です。
外国の方にしてみれば、習得が難しい言語でもあるようです。

いざ習得をしても、表現に困ってしまう場合もあるのです。
それは、日本語にしか表現していない単語がたくさんあるからです。

日本人の繊細な感性を生かした、感情豊かな言語であるとも言えます。

たとえば、日本語の
「いただきます。」
いただきますというのは、食事の前に作ってくださった方への感謝と自然への感謝等々、
「自分の命のために、動植物の命をいただきます。」
という意味の短縮なのですが、英語では表しにくいのです。

もし、これをそのまま英語で直訳したら、ものすごくおかしな顔をされるでしょう。

これは、日本だけの文化であるので、英語でしたら
「さあ食べましょう!」
としか言い表しようがないのです。

ただし宗教によっては、食前に祈りを捧げるものもありますね。
これは日本語の「いただきます。」に近いですね。

日本語のねぎらう言葉もそうでしょう。
おつかれさまというのも、そのままでは英語では表せません。
この言葉の持つ、思いやりの心が日本特有なのです。

僕が言いかえるとしたら、疲れていないですか、とか、
良いお仕事しましたね(good job!)でしょうか。
それしか、見当がつかないのです。

日本の言葉でそのまま伝わっているものもありますよね。
もったいないというのは、英語でそのまま伝わっているのですよ。
英語では無駄使いだ!(What a waste!)ですが

「わたしにはもったいない妻です。」
と言っているのに対し
「わたしには無駄な妻です。」

と訳されてしまっては大変です。

日本語を使う国に生まれたのですから、
言語を正しく使えば相当な感情の表現が出来るはずです。

悲しいだけでも、苦しいや、切ないや、不幸、悲壮、辛い、心苦しい、哀れなど、
キリがないほど様々な類語があるのです。

きちんと学習し使いこなせれば、感情がわからなくとも状況を把握することが出来ます。

それが自分で実際の感情が、わかったわからないと言うのは、
僕の都合であり、他者には関係ありません。

母は、非常に美しい日本語で、僕を育てました。
そのお蔭で、僕はビジネスシーンにおいて、困ることはありませんでした。
礼儀も礼節もそうですが、その場にあった言葉を使えるようになったのです。

僕の幼少期からは、まったく想像もつかないことでしょう。
暴言を吐き、大暴れし、人を罵倒し、野獣のようであった僕を、
この素晴らしく美しい日本語での躾けと療育で、
魔法のようにいとも簡単に治してしまったのです。

また、社会に出てやっと母からの恩恵がわかるというもので、大変感謝いたしました。

人付き合いにしてもそうでしょう。
様々な方々とのやり取りに、僕は丁寧に応対することが出来たのです。

また、常に相手に感謝の念を忘れずに、謙虚な姿勢を崩すことなく居られるのです。
正しい日本語で、お人に接すると自然と身も引き締まると言うものです。
それが、日本語で言う「言霊」の力でしょう。

もしも、僕が酷い言葉を使ったり、マイナスばかりで、
障害に対して不平不満ばかり言ったり、
お人に対して、嫌味を言ったら、
僕はマイナスの塊となって、
せっかくしっかり、考えるための障害を持って生まれた意味も無くすでしょう。

この美しい日本語を、使いこなせるというのに、無駄にするところです。

言葉が人の意思を伝えるツールなのであれば、それを正しく使うことに集中すれば、
僕は相手の意志を確認することが出来るはずです。

それには、障害者であるハンデを背負った僕のほうから、
礼儀をわきまえるのが正しいのではと思うのです。

何事もこちらから
「申し訳ない」
という態度で接するのです。

何らかのハンデを背負うことは、社会に生きていくには大変なことです。
しかし、生ある者は、生きていくだけを与えられているのです。
そして、生きていながら、人に無条件の愛を与え、人と共存していくことを目指しています。
損得ない助けだったり、癒しもあるのです。
生に必要も、不要もないのですね。

障害があるからこそ、人とのコミュニケーションが取りにくいからこそ、
僕は、人と人との繋がりにおいての言葉、言葉づかい、言霊の意味を
じっくり考えられたのだと思います。

そして、これからももっと、日本語というこの優れた言語について、
また、美しい言霊について、考えていきたいと思うのです。




追記 

ツイッターで教わったこと。


日本語を美しく使う。
これは社会においては良いことなのだろうが、
親しい間柄との普段の何気ない会話には、
不都合な点があることを教えていただきました。
僕はまだ、この会話において、人との距離がわからずに、
敬語ばかりを使っていますね。
この先、相手や親しい度に合わせた会話をしたいものです。



こんなに素晴らしい日本語ですが、中には丁寧な言葉を使って悪巧みを考える輩もいるのだと
教わりました。
大抵、人を魅了しよう、騙そうという、個人または団体において、非常に物言いが
丁寧で優しく善人を装うそうです。
ですので、丁寧な美しい日本語を相手が使ったとしても、それが=善人(心が美しい人)
とは、限らないですよ、とのお教えでした。
どんなに美しい言葉でも、それが「嫌味な言葉・騙し言葉」に成り代わってしまうとのことでした。

そして、
こういう者を見分けるために「あえて」汚い言葉を使う方々も居るとのことでした。
そして、その善人を装う者のせいで、日本語の丁寧な言葉づかいの印象が悪くなっている、
今の日本には、言葉を悪用している人間が多い。
ということもあるとのご指摘でした。


なるほど、勉強になりますね。
これは、騙されないように、言葉づかいもさることながら、
しっかりと、心の内を見抜く術も、必要だと言うことでしょう。

僕の場合には、たとえ、このような者だったとしても、当然僕の方も丁寧にお話し致します。
お相手と、僕が感情を入れずに、お話しを整理致しますから、見抜けるのかなとも思います。

そして、世界中に、こういった手口で、他者を騙そうと言う卑劣な行為もあるのでしょうね。
それは、日本語だけではなく、どの言語にも言えるのでしょう。
人は、見た目、また、話し方だけで、すっかり信じては危ないですよ。

人は嘘をつく。
これは、嫌なものですね。
僕の人間不信の根源です。

ただし、これは根本的に、今の日本で横行しているのもまた事実なのでしょう。

よく言うではありませんか。
「綺麗な花には、トゲがある。」と。

もちろん、どんなに立派なスーツを着こなしていても、どんなに巧みであろうとも
やはり基本的に、心でしょう。
そこに、言葉が乗れば、素晴らしいのではないか、と僕は思うのです。

そして、それを言葉で全て阻止出来るとは、僕は思ってはおりません。
また、このツイートで、そのような観点でお話しもしておりませんが、
捉え方に寄りましては、僕の発言だけを鵜呑みにすれば、
危険性をともなうことになりかねません。

僕の文章は、全てを網羅するものでもなんでもありません。
一障害者から見た、社会との付き合い方のひとつであるということです。

今回は、障害特性を持つ僕の視点から見た美しい日本語につきまして
書かせていただきましたが、ひょんなことから世間を垣間見た気がいたします。

言葉について、たくさんお教えくださり、本日は皆様ありがとうございました。
様々なご意見は、僕にとって非常に勉強になります。
感謝いたします。



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