発達障害なう

ツイッターで、投稿したものをコピーしてあります。

反社会性人格障害

【ご注意】このブログ(ツイッター含む)の文章の内容は、僕が障害を乗り越える過程です。現在進行形ではありますので、人によっては不快に思ったり、障害当事者の方は、フラッシュバックを起こす危険性もあります。文章で生々しく当時のことを再現しておりますので、閲覧される場合はじゅうぶんご配慮の上、自己責任でお読みください。また、自傷などは、一切僕はしておりません。
また、このブログに書いてあることは、あくまで、一障害者の発言であり、専門家の意見ではありません。僕の発言だけを鵜呑みにすれば、危険をともなうことになりかねません。そして、僕の文章は、全てを網羅するものでもなんでもありません。そして、発言内容を他者に押し付けるつもりもございません。その点、ご留意の上、お読みくださると幸いです。
【自己紹介】ADHD アスペルガー症候群 強迫性障害 反社会性人格障害 10才で診断。双極性障害は19才で診断。 小1からの出来事をツイートしています。発達障害関連無言フォローします。愛の手帳4(療育手帳B2)障害者手帳1級取得。精神年齢14才。亡母がアスペルガー・ADHD、現在21才。フリープログラマー♂ 2015年6月9日スタート

僕とサイコパスくん

今日は、唯一の知人である男性とのやり取りをツイートしてみました。


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【僕とサイコパスくん】
僕にはネットゲームで知り合った知人がいる。
その人は男性で18才、同い年である。
その人は、アスペルガーとサイコパス反社会性人格障害と診断されており、
現在自宅に家族と住んでいる。
彼とは二年前までネットゲームでよく遊んだものだ。
知り合ってから8年目だと思う。

僕は彼をてっきり年上だと思っていたし、彼もそうだった。
特に年令のこともお互いのことも聞かずにひたすらネトゲで遊んでいたのだ。
彼は記憶力が良く、アイテムのことはなんでも覚えてしまって、
僕は凄いなと一目置いていた。
彼は一人で居るのを好みあまり徒党を組もうとしなかった。

僕も仲間を作るのが苦手だった。
しかし母に教わりつつ人をまとめてトップに立つことが好きだったので
困ることは無かった。
彼はソロプレイばかり。
ただし、ネットゲームと言うのは一人ではプレイしにくいシステムになっており、
彼は途中で窮してしまった。
そこで僕がたまたま声をかけられたのだ。

彼の口調は非常に乱暴で上から目線。
「おい」だの「お前」だの、空気は読めないし(僕もそうだったけど)
協力なんて全くする気がないようだった。
僕はそんな彼に興味を持った。
彼は僕と遊ぶことを得をするからとばかりに露骨にあれこれ要求してきた。
そしてあろうことかアイテムを持ち逃げした。

ざっくりと持って行かれたが、僕は気にしなかった。
やるとは思っていたからだ。
翌日彼は平気な顔で僕の前に現れて、また遊ぼうと誘ってきた。
僕は何も言わずに彼とまた遊んだ。
彼は自分の都合ばかりを押し付け、僕に命令しまくった。
大いにゲームを楽しんでいる感じだった。
爽快なくらいだった。

僕は彼を観察することにした。
彼は利己的であり、人との関わりを重要には考えてはおらず、責任感もゼロだった。
人から何かされると、執拗に粘着し暴言を吐いて嫌がらせをしていた。
愚痴を延々と聞かされて僕はただ聞いていた。
彼は、そのゲームの中で悪人としてすっかり有名人となり嫌がられた。

それでも彼はお構いなしで、動じなかった。
清々しいくらい世界には自分しか居ないようだった。
僕はそんな彼と変わらず遊んでいた。
周囲の仲間は「あいつは厄介だからやめておけ。」と僕に忠告をしたが、やめなかった。
何故かって、彼の中に可愛い子供っぽさを感じたからだ。
年令が近いと思った。

学校がとか、自分のことはまったくお互いに話さなかったが、ある日夏休みの話になった。
確か10月に「おい、夏休みはもう終わったのか?」と聞かれた。
彼の時間の流れはゆっくりで、僕も同じだったが、その時は僕もすぐには答えられなかった。
僕も夏休みがいつまでなのかを知らなかったからだ。

僕と彼は、その夏休みの話でお互いに学校に行っていないことを知った。
後で知ったのだが、彼は小学校中学年から不登校であり、以来学校には行かなかったそうだ。
理由は「学校は価値がないから。」だそうだ。
そして仲良く遊ぶにつれ、僕は彼のことを友達になれるんじゃないかと思い始めた。

ある日、僕は彼に聞いてみた。
「僕たちはなんとなく似ているよね。もしかして友達っていうものなんじゃないの?」
すると彼はなんと答えて良いのかわからないのか、少しの間黙り込んでしまった。
そして「そうは思わない。違うと思う。」と言った。
はっきりしているなと笑って居たら彼は言った。

「お前はいいやつだ。それだけ。」
と言ってどこかに行ってしまった。
そんなことがあっても、僕と彼はたまに遊んではゲームを楽しんだ。
あれから何年経つだろう。
相変わらず僕は彼とコンタクトを取っている。
彼から連絡があるのだが、本当に変わっていない。
ネットゲームを続けているのだ。

今年の春、僕は高等部を卒業したときに、食事をしようと誘ってみた。
すると彼は喜んで承諾してくれた。
彼と8年遊んでいるのに、僕ははじめて彼と会うのだった。
待ち合わせは後楽園前。
水道橋まで母に送ってもらい、待ち合わせの場所に向かうと彼はもう着いていた。
彼は「よう。」と言った。

そして、彼はすぐにネットゲームの話をはじめた。
彼は思っていた通りの少年だった。
そして僕と同い年で背が高くて大人っぽいのに中身が子供な感じだ。
僕は面白くなった。
お昼だったので彼とラーメンを食べた。
食べながらも彼の好きな話が続いた。
目がキラキラして頭もクルクル回り饒舌だった。

食べ終わり会計をするときに、彼は千円札をぶっきらぼうに出して僕に突き付けた。
僕だって会計は苦手なのに、この時は本当に困ってしまった。
頭が真っ白になりかけたが、彼の目の前でそれはまずい。
僕は勇気を出して会計を済まし、振り向くと彼が居なかった。
店を出たのかと思い探した。

しかしそれっきり彼は見当たらない。
探すにも探しようが無く、電話しても彼は出ない。
仕方なく母に電話し、迎えに来てもらった。
帰宅後スカイプを見ると彼が居た。
「突然居なくなってどうしたの?」
と聞くと彼は、
「ああ、また行こうぜ。」
とだけ言った。
なんと彼は即帰宅していたのだった。

僕は、さようならも言わないで帰宅した彼にムッとしたが、
まあいいかと思った。
彼は自分の目的だけ済めばさっさと帰るようだった。
自宅が後楽園から近いということも後から知った。
ラーメンを彼と食べてから僕たちはたまにお昼を一緒に食べるようになった。
そこでやっとお互いのことを知る。

僕が障害があることや、今の仕事のこと、年令のこと。
彼は黙ってステーキを頬張りながら聞いていた。
そして、僕の話が終わると、肉切ナイフを片手に彼は
「ああ、まあ、僕もそうだ。その反社会とかアスペ。
お前と感覚が近いとは思ったがそういうことか。
ようアスペくん。」
と言って大笑いした。

彼は更に
「ああ、サイコくんにすっかな。まあどっちでもいい。
僕はお前は愚民じゃないと思っていた。
頭がいいし同じことを感じている。だろ?
僕たちが標準なんだから。これが普通ってこと。」
僕は彼の言うことをまるで自分が鏡でも見ているかのように感じた。
ニヤニヤが止まらず嬉しくなった。

僕が、障害のことを自分から話したのは彼がはじめてだった。
そうして質問を彼にしてみた。
「じゃあ、僕たちは友達なの?友達になれるの?」
すると彼は、
「友達だって!?それは無理だ。友達なんて知らないよ。」
そういうと思った。
僕は、うなづいて
「じゃあ、なんだと思う?」
と聞いた。

彼は、うーん、と唸ってから、肉をブスブスと刺しながら
「違う星から来た人同士かな、いや、とにかく、
ここ地球の人じゃないもの同士ってことかな。
違うかな?うーんそれ以上はわからない。」
と言った。
そして、また
「ようサイコくん。」と笑った。
僕はおかしくなって
「お前もな。」
と言った。

彼とはお互いが言いたいことしか話さない。
一緒に何かをすることは、食事を取るだけだが、合わせようとはしない。
また、僕は煩い場所だと相手の言葉が聞き取れないので、
たまに彼の話している言葉が聞き取れないことがあった。
すると彼は、わざわざLINEでURLを送りそれを見ろと言った。

そしてそのURL先のニュースのことで彼は延々としゃべり、また僕の意見を聞いた。
そうしているうちに、彼は僕に「なぜ?」を連呼するようになった。
そのたびに僕はあれこれ説明をした。
必要なことしか聞かない彼は、「雑談が大嫌い。」と言った。
僕もそうだが、彼も苦手なのだと言う。

彼のことが少しずつわかってきた。
特に犯罪歴も無く、家族と同居しており、ネットゲームを起きている間はやっているのだそうだ。
外に出ることは無く、僕と会うときだけ、家族に連れてきてもらっているのだそうだ。
僕と同じことをしていたのだ。
暴れることもなく、家ではおとなしいのだそうだ。

ただし、社会に出ることだけは難しく、人とうまくやれないことを言っていた。
コミュニケーションも取れずに、自分勝手なので、無理だと言っていた。
「働いてもいいとは思うが、うーん。ねぇ・・・。」
で終わってしまう。
多少、何とかしたいと思うのだそうだが、考えると不安定になるそうだ。

今は、親が長生きしてほしい、ずっと居てほしい。
ということと、先日の小型機墜落事故のことをあげて、
「なんとか防御しないとヤバイと思う。どうしたらいいか。」
と僕に聞いてきた。
僕は、「宝くじよりも確率が低いぞ。」と言うと彼は「同じことを考えたよ。」と笑った。
彼は憎めないヤツだ。

彼は、幼少時やはり兄弟を苛め抜いたそうだ。
そして、支配に囚われてしまい、学校で問題を起し、服薬もしたそうだ。
そのことを彼は思い出しながら
「ま、あの時は僕のせいじゃないから。」
と反省の色は無かった。
彼を見ていると僕を見ているようだ。
僕も少し前までこうだったのだから。

サイコパスをわかりやすくしてみる

僕は専門家ではありませんので、ただ僕が納得するように自分で分析をしています。
ですから僕が言う説なんてものは、本当かどうかなんて知りません。

ただ僕がそうだってだけです。
ですからツイートする内容は、僕の脳の話です。
そこを承知の上で読んでください。
脳の研究なんてしていませんから、
勝手なお話なんです。

僕は、自分が当事者だから、サイコパスを
解説しているだけなのです。

なぜって、どうしても書かなくっちゃいられないからです。
それしか言いようがありません。

僕は、複雑に障害が絡まりわかりにくい人物です。

ただ、なんとなく僕の脳は

脳の機能⇒サイコパスとアスペルガー
身体の機能⇒ADHD

って、分かれているような気もするんですね。
もちろん、制御するのは、脳なんですが。
これは、もちろん、僕の主観です。
特性の出方にもよりますから
いろいろあるとは思うのです。


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病質というものがあります。病気にかかりやすい質のことです。
僕の脳はサイコパス質を持ち、それが起爆したのだと考えました。
僕はサイコパスのことを、脳のアレルギーみたいなもんだと思っています。
とうぜん、みたいなものですからかぶれるわけではありません。

人はそれぞれ、身体にアレルギーを持っています。
それが何であるかは人によって違います。
僕の脳はこれと似ていて、サイコパスの質を持っていたのですが、
何かの拍子にアレルギーを発生させて重症化したようなものだと捉えました。
慢性化です。花粉症もそうですね。

花粉症も、少しずつ体内にアレルギーを起こす花粉が入り、
個人差はありますが、最終的に決壊し、花粉症となってしまいます。
免疫が大暴れするのですね。
実生活でどうにもならない人もいれば、軽い人もいます。
僕もそれと同じでサイコパス質が起きてしまったのです。

サイコパスでも、実生活でじゅうぶん生活できる人と、
僕のように、酷過ぎて他者とうまくやれずに困ってしまう人もいます。
それと同じです。ですから、生まれながらにその素質を持っているということでしょう。
起爆するのに、どれくらいかなんていうのは個人差です。

僕のことを言えば、母の重病のせいで
療育が途切れる前から既にサイコパス脳でしたから、
生まれながらであり、過敏だったと思います。
赤ちゃんの時からアレルギーの子もいますよね。
僕もそうだってことです。
そして、これはアレルギーのように薬で抑えられません。

勝手に解釈しているのですから、否定されても冒頭でも申しましたが知りません。
この解釈は、僕の推測でしかありません。
ただし、僕はこう考えることを土台として自分の分析を重ねてきたのです。
既にアレルギーを発症してしまったらどうするもなにもありません。

アレルギーと考えて進めていくと、発症したらアレルギー要素を与えないようにしますよね。
エビがいけないのならエビは食べないとか。
それと同じく僕も与えなければいいのです。
アレルギーを持つ人は様々なアレルゲンを持つことが多い。
決壊しないようにするのです。

ではサイコパスが重症化した僕ならどうでしょうか。
同じように、刺激を与えなければよいのです。
穏やかに生活し、他者との刺激を減らし、社会の理不尽さを目にしないようにする。
ゆとりを持ち、自分だけで暮らせばよいのです。
また他者認定した家族とも暮らせます。

あくまでも、僕の場合ですから、軽症なサイコパスならここまで徹底する必要もありません。
むしろ、サイコパスの特性を生かして、大いに社会に活躍することが出来ます。
アレルギーを持つ人が社会に出ていないわけがありません。
なんとか工夫をこらしています。

実生活や社会で、アレルギーがあまりにも酷くなれば、これは投薬をするでしょう。
下手をすれば死に至ることもありますから、要素も取り除きます。
サイコパスもこれと同じく下手をすれば、自覚も無いまま社会的に抹殺されてしまいます。
要は要素を省けばいいのです。

世間の中には要素がたくさんあります。
重症のサイコパスが楽しむには大勢の他者がおり、どうやって手玉に取ろうかとなります。
また軽症であれば、逆にその刺激が向上に繋がり出世すると思います。
どう出るかはその人の症状の度合いであり
どの程度の刺激で暴走するのかを知らなくてはならないのです。

サイコパスが起こす犯罪を見ればわかります。
必ず以前からその傾向が表れています。それがサインとなっています。
要素の刺激によって、暴走を繰り返させ放置すれば、どんどん悪化します。
最終的に大暴走して犯罪を犯してしまうのです。
本人に自覚などありません。

アレルギーは、かゆくなったり不快だったります。
なんとかこれを取り除きたくなるでしょう。
それと同じく刺激があれば、サイコパスはそれを取り除きたくなります。
そのために暴走します。そうならないように、
段階的に上手に今の度合いを調べれば未然に防げます。

重症化したサイコパスには、刺激をあたえないこと。
そして、その刺激を悪化させないこと。
加速させないということです。
また、対人関係において、不必要な挑発や、誘いに乗らないことです。
こうなってしまいますと、本人だけでは難しく、乗り越えるためには
専門家の力と家族または支援者の力が必要です。

僕は、途中で療育と、支援者の力で乗り切れそうとも言えます。
また、18才までが一番衝動性が強いらしく、
僕もそろそろ落ち着いては来るのかなと思っています。

確かにずいぶん幼少期に、暴走もしましたが、
今は自分から手をあげたりはしていません。
他者から暴力もふるわれましたが、
抵抗すらしませんでした。

これは、療育のおかげだなと思っております。
また、これは変わることが無いと思います。
せいぜい、コノヤロウって思うだけですが、僕は結構すぐに冷静になります。
そして、客観視をすることによって、自らのあやまちを認めるのです。
人は、障害を持っていたとしても
もともとの性質もありますから、
僕は、「純粋なところ・優しいところ」に救われたのかもしれません。
いつもお話しする「光」の部分ですね。

サイコパスからの被害にあわないために、
注意するべき事柄などには、詳しくはまた後日述べます。
これをしっかりとお話ししておかないと、
いけませんからね。

軽症のサイコパスにも、周囲の理解が必要になります。
上記のような刺激を与えないようにして、穏やかに接すると言うことです。
これは、個人差がありますし進行具合にもよりますね。

本人が、幼少期から正しい療育を受け自覚し、
自分でコントロールしようと努めている場合には
改善が見られる場合ももちろんあります。

しかし、それには流動的である、ということを
よく見なくてはなりません。
それは、どの程度まで加速したのか、
また、刺激から遠ざけているのかを
見極めたほうが良いですね。
そして、何かで抑制されると危険でもあります。

もしも、療育がしっかりとされなかったり、
家庭環境などの悪化があったり
また、支援の手が無かったのであれば
これは、本人も悲鳴をあげているのと一緒です。

苦しみの中から、わけがわからずに
もがいている人もたくさんいます。

そうなってしまったら、本人だけが悪いのではありません。
本人は泣きながら、どうしたらよいのかを自分だけを
ベースにしているだけなのです。
生きるためには仕方が無かったのでしょう。

しかし、被害にあわされる方からしてみれば
本当に迷惑でしょう。
被害者も加害者も、何一つ良いことはありません。
そうならないように、早く対応出来るように
進んだ支援教育がなされる未来を望みます。




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僕のサイコパス分析

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【僕のサイコパス分析】
まずは、最初に今までも書いてきたが、
サイコパスだろうと普通に社会に出て仕事をしたり
家庭を持ったりしている人は大勢いるとおもう。
何も全員犯罪者になるわけがない。
だからあなたの周囲に普通に存在しているものなのだ。
そして、上手に自分をコントロール出来ている。

僕も何人かサイコパスを知っている。
しかし、その人達が全員異常者なのかと言えばとんでもない。
しかし、お互いに暗黙のソレを認めている。
僕がサイコパスの診断をされている人に会うと、お互い何も言わなくてもわかる。
自己紹介すらいらないだろう。
それは、根っこにあるものが同じだからだ。

サイコパスにも種類と言うか、分けるとしたらいくつがありますね。
僕の場合しかわからないから、これからは僕の思考回路からのお話しになってはしまいます。
ただ、おそらくいくつかは共通する部分があるとは思います。
僕のようにはっきり自覚している人もいれば、隠れている人もいるかもしれない。

そして、一番大きいのは、サイコパスになるうる脳の回路を持っていたとしても、
療育や家庭環境、またおかしなスイッチさえ入らなければ、
僕は、一生闇の部分が表に出てこないこともあるんじゃないかなと思います。
やはり、最初から最大におかしい、なんてことはあまり無いんじゃないかな。

じゃあなぜ僕の思考回路が、サイコパスが強いのかっていえば、
やはり小さい頃母に思うように甘えられなかったからじゃないかなと思います。
僕は、小さい頃から妹に悪さをしていましたが、それを母が止めてはいました。
でも、途中から母は重病になってしまったので、僕は祖父と祖母に育てられました。

そこから加速したんだと思います。
僕はやりたい放題になり、いけないことを教えられずにただ、怒られていました。
僕は納得がいかずに、怒りばかり悔しい思いばかりしていました。
もしもですが、母が重病にならなければ、ここまでにはなっていなかったかもしれません。
スイッチが抑えられたのかも。

僕は、サイコパスの脳の回路を持っていても、起爆剤が与えられず、
なおかつ、正しい療育や支援が小さい頃からあれば、
サイコパス特有のモノの考え方で、社会に貢献することも可能であると思いますし、
実際活躍なさっている方もいます。
僕の知っている方でも、社会に出て生活している人もいますから。

悪いイメージばかりですが、実は良いところもあるんですよ。
それは後で書くとします。
僕がこうやってツイートするのも、同じように苦しむ人や、
実は自己分析がうまくいかずに、悩んでいる人もいるかもしれないということと、
もう本当に理由は様々。
僕はやけに分析好きなので話したいだけですきっと。

僕は、普通の常識で話をしても通じないところが多々あります。
ツイッターで見せる顔は、どういう印象でしょうか?
僕は二重人格ではありませんが、二つの顔があると思います。
こんなことは暴露したくはないけれども、そうなんだから仕方ありません。
しかし、療育を受けたため、抑えられているのです。

僕はまず嘘はつきません。
これは相当な療育を受けました。
本来ならば自分の保身のために嘘をついて自分の立場を安定させようとします。
自分をかわいそうだと偽って同情させるためです。
しかし僕は出さずに済んでいます。
何故なら、かなり早くから人から離れたせいで嘘をつかずに済んだのでしょう。

嘘をつかないサイコパスなんているのでしょうか?
それはいると思います。
人並みな感覚を持ち、正直に生きている人だっているはずです。
僕が抑えられているからわかります。
可能だってことです。
むしろ馬鹿みたいに正直です。
ズバズバ言いますから。
それがかえって命取りになることもあるくらいです。

嘘を僕が持ち合わせていないというわけではなく、
抑えられているだけ、スイッチが入らなかっただけなのですが、もう入らないと思います。
僕の感覚では、幼少期に上手に指導して抑えられればもう入らないと思います。
それは、成長してくると、嘘をつくよりも良い方法を見つけるためだと思います。

人に嘘をつかなければどうなるのでしょうか。
僕の場合、他者にどう思われているのかを自分で状況を見極めるしかなくなります。
他者と接する場合、極端になります。
相手が僕にとって味方なのか敵なのかに区分けてしまいます。
そこに真ん中という認識がないので、人付き合いには適さなくなってきます。

そして、僕はその敵か味方かっていうのを、自分に損か得かで見ていると思います。
僕は、他者を(人を)モノとして認識しがちです。
そこに感情があるということを、すっかり忘れることが多いです。
自分が持つべきものなのか、不用品なのかを整理しているような感じです。
ハッキリしているのです。

僕にとって、今必要なら相手との関係をキープします。
今不要ならさっさと無視します。
そこに、相手の思いがなく、あくまで今の自分の損得のみなのです。
こんなことを聞けば、フォロワーさんは、え!嫌だ!この人!ってなるでしょうね。
しかし、僕はこのツイッターをやる理由がはっきりしています。

僕はフォロワーさんに、障害がある僕へ同情してほしい、
共感してほしいなどと一切思っていません。
仲良しになるつもりもありません。
情報交換をしたいだけです。
そして今後、僕のような思いをする人を減らしたいだけです。
また、現在自分の分析がうまく行かずに悩んでいる人に有益になりたいのです。

僕がフォロワーさんへの、有益な情報発信者という存在になれば、
僕が今まで悔しい思いをしたことも、無駄にはなりません。
ですから今発信しているのです。
人気者になりたい気持ちも、凄いなんて言われなくてもなんでもいいから、
とにかく分析を言いたいだけです。
要するに、自分都合なのです。

僕はサイコパスの代表でもありませんから、一人のサイコパスですし、
こういうヤツもいますよ、こういう思考回路ですよ、
あぁ面白いっていう興味だけでも良いと思います。
今まで僕みたいにわーわーと言ってくるサイコパスも珍しいかもしれませんし、
居たかもしれませんが一つの材料にはなりますよね。

ということで、前置きが馬鹿みたいに長くなりましたが、
僕は嘘をつくのが面倒です。
知っていることは言うので、読みたい人だけ見てください。
ここまで書いてなんとなくわかった人もいるかもしれませんが、
僕は自分に無関心な話には興味がありません。
少しは見ておこうなんてものもありません。

じゃあ、何故ツイッターでやり取りできるのよ、って言えば、
僕はここで発信したいんですから、当然僕に関連性のある話しかしていません。
僕が興味があるので、やり取りを出来るだけです。
もしまったく違う話をされたら、わけがわからないので、返事のしようがありません。
テンプレ返事しかしません。


【僕のサイコパス分析2】
興味のある話しかしないのは、自分の損得を選んでいるからです。
人は大抵雑談をしますが、僕はそれは苦痛です。
興味のない話にはまったく耳を貸しません。
聞こえません。
そして、雑談で友好を温めようともしません。
そもそも、僕は友達という感覚がよくわかっていません。

友達というのは、自分にとってなんなのかわかりません。
敵か味方しかないので、どっちになるかわからない漠然とした他者に興味がないからです。
また友達とは、近況を報告したり、悩みを相談したりしますが、
僕には必要ありません。聞く意味を感じないからです。
モノで例えるとわかりやすいでしょう。

モノは、自分のモノか、違うのか、これしかありません。
中間なんて考えません。
レンタルとか、いろいろあるけれども、所有者がはっきりしています。
ですから人も同じなのです。
そうやって、他者と関わるのでいったい味方なのか敵なのか、
どっちなのかわかってからでないと、お付き合いが出来ません。

もし中間の人物がいたらどうするのか。
君は味方なのか敵なのか、なんて普通は聞かないでしょうし、怒らせるに決まっています。
僕はよくこれで大失敗をしています。
いまだにしますが、要するに結論や回答を迫るのですね。
君はどっちですか?と。
返事がなければ、勝手に敵になってしまいます。

そして、困ったことに僕はせっかちです。
待てないのです。
僕にとって敵か味方か、結論を出すのは時間が欲しいと相手に言われても、
その時点でNOになってしまいます。
振り分けが極端です。
また、後で二度と受け付けません。
何故かと言えば、僕は振り分け後だと絶対に信用出来ないからです。

人は、何故すぐに判断出来ないのか、僕にはさっぱりわかりません。
自分の損か得か、それくらいすぐにわかるでしょう。
でも、そこに感情や経験が挟まっているようです。
僕には、それがないので、ストレートに判断するので早いのです。
だから、あなたは冷酷だとかだとか言われちゃうんですね。

今でもそんな調子ですから、友達なんていません。
しかし、他の方法で他者と関わることが出来ます。
それは、相手の支配者になることです。
この支配をすぐにしたがるところがサイコパスの問題になりやすい部分だと思います。
支配とは、相手の上に立ち優位に立つことですし、支配欲を満たせるのです。

僕が、支配欲を満たしたくなったのは、小さい頃からです。
なんでもかんでも上に居ないと気がすまず、
また自分の上に立つ人には、尊敬出来ないと従いません。
こういうものだ、といくら言われても、僕には理解出来ません。
偉い人だからと言われたとしても、自分で確認して判断しないと従いません。

先生だからと言っても、尊敬しないと聞く耳を持ちません。
いったん尊敬すると永遠なのかと言えば、それは違います。
全ては今の判断であり、未来永劫はありません。
もし、他に自分の得があれば、そっちに鞍替えをします。
そこに良心がないのでしょう。
良心を感じることが出来ない、存在しないのです。

良心については、これまでも何度も説明を受けましたが、どうしてもわかりません。
これは欠落しています。
全てが自己中心的過ぎてしまいわからないのです。
今後は、この良心をどうやったら獲得するのかを僕は分析したいのですが、
僕以外のところに存在するものについては、思考することが出来ません。

この良心というものは、人との関係において非常に重要です。
また、支配欲にも関係してきます。
人は、良心を持っているのが当たり前だと認識しています。
しかし、僕にはありません。
サイコパスには無いのです。
こうやって聞いても、まさかそんなと思うでしょうが、そうなのだから仕方ありません。

良心がないとどうなるのかと言えば、他者との付き合いにおいて、
さっきの自分から見た敵か味方かというところもそうですが、
今まで散々世話になってもあっさり切り捨てます。
悪いとは思わないからです。
今まで世話になったというのは、過去のことであり、
今は違うので関係ないから不要なのです。

なんて酷い人なんでしょう。僕もそう思います。
僕は酷い人でしょう。断言出来ます。
しかし、自覚していてもいざそうなると、同じように行動します。
変えられないのです。
脳の回路がそうなっているとしか言えません。
今どうなのかが全てなのです。
せっかくの積み重ねは一気にゴミになってしまいます。

では、支配欲はどうなのでしょうか。
僕はすぐに人にゲームをしかけます。
さあ敵か味方かどうなのか、こればかりを要求します。
いったん敵認定してしまうと、ずっと攻撃します。
たとえば妹がそうでしょう。
僕は見かけると必ず隙を見て攻撃開始していました。
しかし、不思議と現在はおさまっています。

妹への攻撃がおさまったのは、僕が妹を認定しなおしたからだと思います。
これは大きな進歩です。
と、いうことは、先ほどから述べている敵か味方かの判断に、
何度かのゲームを重ねているうちに、自分にとって味方に変更することもあるということです。
僕はそれを経験しましたので良かったでしょう。

経験から、味方に認定しなおすということは、これは未来永劫であるのかは僕はわかりません。
未知の世界です。
そうなるともう絶対に攻撃をしません、とは言い切れないかもしれませんが、
今の僕が言えることは、もう味方になったので、相当な不利益が自分にないと、
また敵になることはないと思います。

妹を味方とした僕ですが、相変わらず他者には、敵か味方かを繰り返します。
そして、ゲームをしかけるのです。
ゲームとは、人を動かして操ることです。
こういうことを面白がるからサイコパスは嫌われますし、危険なんでしょう。
相手の感情がわからない(関係ない)ので平気でかつ衝動が強いのです。

操るだなんてと思いますね。
そうですよくないです。
こんなことをさせてはいけません。
ですからさせないように、サイコパスのゲームの誘いには乗らないことです。
プライドや上か下かの煽りには乗らないことです。
変な意地を見せると思う壺です。
操られてしまうと言うがままになってしまいます。

こんなことを話していたんじゃ、僕はまたもや他者に勘違いされ嫌われ者です。
わかっています。
でも、僕はサイコパスの中でも、スイッチの入った酷いサイコパスの手口を言いふらして、
いろいろな被害を食い止めたいだけです。
僕は、自分と闘ってきて、自分の中の闇を分析しました。
自分のためにです。

次は、細かくケースを交えて、お話ししていきたいと思います。
まずはさきほどからの支配欲に関してと、なぜ殺人や暴力になってしまうのか、
どうなっちゃっているの、というところです。
僕は言いたいことがいっぱいですが、順番にお話しをしていきます。
なるべくわかりやすくするつもりです。


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恐怖心と痛みについて

2015年7月7日七夕のツイートをまとめました。
七夕にちっとも、ちなんでいなかったな・・・。
もっとロマンチックなものを書けばよかったかもしれない。




僕が反社会性人格障害について書いている内容の中ですっかり忘れていた感情がある。
まるっきり失念していた。
定型の人がソレを持っているのに僕がないこと。
それは「恐怖心」です。僕は恐怖心が欠落しているようだ。
だから前のツイートで人が罪を犯すことに躊躇するのは、罰せられるからと書いたのだ。

※尚、人への不信感から発生する人への恐怖は、怒りに繋がるので、怖さにはならないですね。
また、人混みへの恐怖は、視線恐怖からくるようです。
やはり、人に対しての不信感からですね。


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人は、罪を犯すと良心の呵責と、自分が罰せられるかもしれないということ、また殺人を犯したら、被害者の死んでいる様を恐ろしく思うのではないかな?
だから、罪を犯すことに、恐怖するのだろう。
人は、殺人を犯したら、自分自身(加害者)と、被害者に対して、両方に恐怖を抱く。
これは新発見だ。

僕にとってそれは盲点であり、まったく気が付かなかった。
人に恐怖心があるなどと、考えたことも無かった。
そして、僕のことを恐ろしく思う人が居るだなんて思いもしなかった。
もしも、僕の今までしでかしたことをただ、聞いたらきっと僕のことを恐ろしく思うのだろう。
それは恐怖心からなのかな。

何故人は恐怖心を抱くのだろう。
僕は、お化け屋敷が大好きで、富士急ハイランドでも嬉々として行く。
迷路のようなお化け屋敷だ。母も好きなので、よく連れて行ってくれた。
もちろん母はまったく驚かずに、お化けが出てきても「へぇ」と言うだけだ。
お化けはおそらく拍子抜けさせられるかもしれない。

妹(定型)と一緒にペアで中に入ったこともある。
しかし、妹は先に見せられる恐怖映像(最初にここの由来みたいなものをビデオで見せられる)だけで、既にギブアップ状態で顔面蒼白である。
僕はそんなものを見てもなんとも思わない。
恐怖と思わないのだ。だって、そんなビデオ作りものですから。

早く中に入れてくれればいいのに、って僕は苛々するが、見ている人にとっては、最高のパフォーマンスなのだろう。
皆ガクガクブルブルである。
僕は、それを見ている方が楽しいし愉快だ。
人が怖がっているのを見るのは楽しいから。
僕にとってお化け屋敷とは、その人の恐怖する顔を見たいだけなのだ。

妹は、もう怖くて怖くて仕方がない。
そうやって恐怖しながら、お化け屋敷に突入して行く。
僕はお化け屋敷なんて、恐怖を煽るらしい素敵な音楽が鳴り、たまにヒューッと冷たい風が吹いたり、暗い道を歩かされて、いきなりワァッ!とお化けの格好をした役者が出てくるアトラクションにしか見えない。

妹と言えば、羨ましいくらいに、きゃああああ、きゃあああああと、どっから出すのかわからないような叫び声をあげる。
僕は、驚きたくても、ちょっとしたことではまったく驚けないので表情ひとつ変わらない。
どんどん中を進んでいくたびに、僕は好奇心でドレドレと、あちこち見て歩きたくて仕方がない。

僕は、真っ暗な道を、ペンライト片手にクリアリングしながらふざけて妹を照らしたり、僕を照らして大笑いする。
そうすると、妹は本気で、やめて!と怒る。
何故?楽しいじゃない?真っ暗だもの、ペンライトで遊ぼうよ!って言っても、妹は、もう恐怖で目が点になっている。
僕はおかしくてたまらない。

そしてちょっとでも音がすると、きゃああ!と大騒ぎで飛びついてくる。
僕は、妹にしがみつかれ、身動きが取れなくなり、離せよ!と怒る。
イヤダダダ。
と妹はまた耳元で喚く。
煩いったらない。
そんなにどこが怖いのか。
まったく神経が理解出来ない。
ただの暗い場所だったら家の中でも喚いていればいい。

そういえば、僕生まれてから一度も声を上げて叫んだことが無い。
恐怖心が無いからなのか、叫ぶことがわからない。
ただ人への拒絶では、声をあげたことがある。
せっかく驚かそうとした、お化けの役者は、丁寧に追いかけてきてくれるのだが、僕は走る気は毛頭ない。
ノンビリこの空間を楽しみたいからだ。

それと、お化けの役者が出てきたポイントに戻って、ドアはどこにあるのか、待機場所をじっくり見たり、それとお化けの顔じっくり見たい。
それなのに、大きな叫び声を出しながら、僕を突き飛ばして全速力で走る妹はどんどん先に行ってしまう。
後ろからも、次の人が進んできて叫び声をあげている。

前も後ろも阿鼻叫喚。
あぁたまんない。楽しいな。
僕ずっとここで見ていたいな。
張りつめた空気が僕は大好きなんだ。
スリル満点。
しかし、後ろの人が近づいてくるのでやむなくただ、出口に向かって歩くだけとなってしまう。
ちっとも面白くない。
外に出ると、妹ははぁはぁと荒い息をして座り込んでいた。

座り込む妹の手を握って
「ねぇ、もう一回行こうぜ。」
と言う僕。
妹は
「は?」
と言って
「冗談じゃない、もう二度と入りませんからね!一人で行って!」
なんだつまんない。
僕はがっかりする。
一緒に行く人が居ないと、怖がっているところを見れないじゃないか。
僕が一人で行ってもまったく面白くない。

僕は恐怖を楽しみたいんだ。
しかも人の恐怖。
僕は、恐怖を感じないが、人が恐怖に怯えていたり、苦しむ姿は、最高に愉快である。
愉快と言っても、ただ、面白い刺激と感じるだけで、別にいじめたいわけじゃない。
あの張りつめたスリルは最高に刺激的である。
僕は大興奮しちゃうんだ。
大笑いしたくなる。

恐怖心は何故あるのか。
お化け屋敷なんてなんともないただの暗い道だ。
そこに何があるわけでもない。
実際に大けがをするわけでも痛いわけでもない。
なのに何故あんなに大騒ぎしてくれるんだ。
僕はそれで嬉しいけれども、そのメカニズムに興味を持つ。
勝手に思い込んで恐怖心が出るなんて凄いことだ。

恐怖に感じるのは、経験からなのだろう。
刷り込みだ。
恐ろしい雰囲気の場所には、恐ろしいものが出る。
それに関わると、自分の身が危ない。だから恐怖を感じさせて近づかせないようにする。
全て身を守るため。
お化けだってそう。
お化けなんて一度も見たこともないくせに、勝手に怖いと思い込んでいる。

僕には刷り込み機能が無いことになる。
いわゆる恐怖心として、通常人が持っていると良い機能が備わっていない。
だから罪を犯しても、自分が迫害され痛い目に合うことが恐怖にならない(反省もしない)から罪を犯すことに躊躇しない。
そう言えるのではないだろうか。
罪を犯したら死だってありうるのに。

恐怖心もないしそれよりなによりスリルを求める。
スリルのためなら、僕は大興奮するために何かをしでかす。
そうやって刺激を求める。
人が怖がっている顔が最高だ、わっはっはなんて、真面目にワクワクして言ったら、間違いなく僕は嫌われるだろう。
そしてこいつは危ないとなって僕が恐怖の対象となる。

僕だって、わざわざこうなっているんじゃない。
生まれたときからこういう感覚しかない。
それをどうにか治せと言われても、じゃあ、言いますけれども、恐怖心を失くせますか?と聞きたくなる。
同じことなのだ。
無理ですと、答えるのだから。
怖いものは怖い。
それは、人の脳に叩きこまれた感情だからだ。

じゃあ、何故怖いのか。
人は、自分の身を案じるからこそ、恐怖心があると先ほど言った。
では、僕は何故身を守れないのか。
それは、「痛み」にも関係してくる。
僕は、痛みを感じにくい。
それは、母もそうだった。
母は、3人の子供を出産しているが、まったく痛くなく、陣痛を感じなかったそうだ。

テレビで、出産のときに、大騒ぎしているが、母はあれに物凄く憧れたのだそうだ。
自分も是非とも苦しんでみたい。
出産とは、人の顔が苦痛で歪み、とんでもなく痛いのだと聞いて、とても楽しみにしていたのだ。
しかし、いざ出産となったときに、まったく陣痛がわからない。
機械では、数値でわかるのに。

「もう、陣痛来ていますよ!」
と言われてもさっぱり痛くない。
母は生まれる寸前まで本を読んでいたそうだ。
だって暇で仕方なかったから、だそうだ。
看護師さんも痛くないですか?
と聞いてきたそうだが、全く痛くない母は、困るしかなかった。
お腹を触ってみて張っているのがわかる程度だったそうだ。

もう産まれますから!
と言われて、母は本を取り上げられて出産したそうだ。
しかも産まれたときは、非常に気持ちよかったそうだ。
僕は母もやっぱりおかしいと思う。
おまけに、僕が産まれたときは、やはり痛くないので、歩いていて異変を感じて、トイレに行って産んでしまった。
そこまでわからないって!

母が歯医者に行ったときに、歯の神経が腐っていたそうで、それでもわからない母は、おかしいと医師に言われたのだそうだ。
しかし、特に痛みがわからなくても困ることがないので、今までもずっと放置してきたし、治す手立てもないだろう。
だから、僕が抱き付いて骨折しても気が付かないのだった。

しかしそれがまさか遺伝しているとは思わなかっただろう。
母は、自分の足から血が出ていてヌルッとして気が付いたと言っていた。
自分の手で触った感触でしかわからない。
ところが、僕もそうだった。
ある日足を擦り剥き大けがしたのだが、まるでわからない。
僕は、自分でサランラップで治してしまった。

母は、僕を病院に連れて行ったが、僕は治療を拒否した。
痛くないのだから困っていないからだ。
しかし、足だけは目で見えるので、これだけ治せばいいということだ。
人が恐怖を持っているのは、自分の身を守るためだ。
しかし、僕には痛みが薄い。
まったくないわけではないだろうが、本当に薄いのだ。

そうなると恐怖心は必要ない。
痛みを怖がる意味がないのだから。
だから両方セットで考えることが出来る。
脳の中のどこかが相当機能がおかしいのだ。
僕は痛みがわからないということは、自分もわからないから人の痛みもわからない。
怪我をしてもそれをわかってやることも出来ない。
心の傷もわからない。

痛み分け、という言葉がある。
僕は、前にも感動や、悲しみを分かち合うことを書いたが、それと同じだ。人は、苦しみや痛みを分かち合うことが出来る。
そうすることで、お互いに心を通わせているのだ。
しかし、僕にはそれがどうやっても出てこない。
じゃあ、痛いことを経験すれば良いのだろうか。

僕が痛みを感じたとき、感じる時は、相当な大ダメージになってしまうだろう。
それこそ、死なのではないだろうか。
母もそうだが、何度も死にかけている。
しかし、そのたびに後ろ向きにならなかったのは、痛みがないからだ。
痛みは人を疲弊する。
先のことまで不安になる。
それが、母には無かったのだ。

僕は、成長して、周囲の人との違いに気が付いてきた。
明らかに僕は、定型の人とは違う回路でモノを考えて、感じている。
しかし、それは、この先治りはしない。
人と分かち合うことが出来ずに、今までずっとそれで怒りを感じてきた。
何かが自分に足りないことも承知していた。
幼い頃は難しかったが。

世界の中には、こういう種類の人間も居ると言うことだ。
人が当たり前に持っている機能を僕は持っていない。
だからといって、人ではないわけではない。
極端に恐ろしいと思う必要もないと思う。
母は温厚であり、僕もそれを受け継ぎ、療育されて来た。
当たり前のモノがなくても、しっかりと成長は可能だ。

しかし、きちんとした療育がされなかったら、極端にスリルを楽しむ殺人鬼がそのまま大きくなりかねない。
成長すれば、もっと狡猾になり、複雑化するだろう。
僕は幼少期でその欲求が止まったから良かっただけだ。
だからこそ、世の中に居るであろう、僕のような子供にはしっかりとした理解が必要なのだ。

ただ、人よりも極端にスリルを欲し、極端に刺激がほしくて、極端に興味と好奇心が強いだけだ。
それは、自分を確かめるための手段なのだから。
そこをどうにかして上手に、理解させていくのは、そもそも持っていない恐怖心や痛み、悲しみ、情など以前書いたことを引き合いに出してもまったくわからない。

だからこそ、僕のようなサイコパス・反社会には、しっかりとした人と人との紐付けが必要で、罪や罰ルールに至るまで、小さいうちから一つずつ教えなくてはならない。
僕がここで叫ぶのも、もう絶対に加害者も被害者も出してはならないと思うからだ。
どちらも被害者であるということを忘れてはいけない。

人の見かたをまるっきり変えてしまうようなことばかりで、なんとも汚らわしいであろう。
僕という人間は、それを持ちながら、温かさを身に付けた人間だ。
本当にわかるわけでもないが、理解はしたのだ。
この世界に生きて行くには、どうしたら良いのか、正しいとは何か、僕は一生をかけて考えるつもりだ。

最後に、僕が散々、怪我をさせて苛め抜き、殺そうとした妹に触れよう。
僕のことを今、彼女はどう思っているのであろうか。
僕は、質問をお願いしておいた。
妹は、数々の苛めに関して今はなんの恐ろしさも持っていないと言う。
もちろん、殺されかけただなんて事実としては知っているが、覚えていない。

僕は、前回書いたこと以上に、もっと妹にやっている。妹目掛けて体当たりし、首まで脱臼させ何か月か入院もさせた。
プールでは、妹を押して溺れさせようとした。
邪魔だった、というのと、驚く顔がひたすら面白かった。
妹は、プールに突き飛ばされたことを、鮮明に覚えていると言う。
妹が話してくれた。

妹は、
「そうね、そう、みらいが私を思いっきり突き飛ばしてプールに頭から落ちたのよ。
で、水飲んじゃって溺れそうになった。
ふと、プールの淵にいるみらいを見たら大爆笑していたのよ。
それも、覚えているわ。
面白いでしょう?
まったく大爆笑しているんだもの。」
それで、僕へどう思っているのか?

恨んでないのか?
怒っていないのか?
憎くないのか?
妹は言う。
「え!?別に!?
そうね、だって、家族じゃない。
そんなこと思わないわよ。」
家族だからって、のみこめるんなんてなんて心が広い妹なんだ。
だって死んでいたかもしれないんだぞ。
「そうね、でも、みらいだから許せるわ、憎めないもの。」

じゃあ死んでもいいのか?
と聞くと
「うーんそうね。
死なないわよ。
私自信があるわ。
だってね、みらいに色々されて、お蔭様で私は鍛えられたのよ。
それにねママもみらいも悪い人じゃないわ。
だから私はずっと家族で居たいと思っているの。」
妹はそう言って、ケラケラ笑い僕の目を見てニッコリとした。終




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僕の感じ方と存在意味

僕は相手に障害のことがわかって、反社会とか聞いちゃうとだいたい大きな誤解をされるし「悲しみ」とか、心がわからない欠陥人間だと思われるんだ。
面白がる人も居るけれど、本当に僕を理解することなんて出来ないって言われるんだ。
一度普通になってみたいなとは思うけど、どんな感覚になるんだろう。



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悲しいってことについては、どんなものだろうって考えるけれど、いくら考えたって一般的に辞書で、言われていることしかわからない。
実感出来ないんだからどうしようもない。
祖父のお葬式のときだって涙も流さなかったし、悲しみを分かち合うことさえ出来なかった。
悲しいよって、僕も言ってみたいな。

僕はね、憧れているんだ。
たとえばね、何か悲しい映画で、僕は悲しみを共感して、泣いちゃうんだ。
なんて、この主人公は悲しいんだ!ってね。そして涙を流してみたい。
僕の涙は「悔しさ」の涙しかなくて、ちっとも美しくない。
どっちかって言えば、まるで、血のような、涙なんだよ。

心が無い人間だって、言われることだってある。
まさか僕に心が無いだなんて、ありえないのに。
障害を持つと本当に、それは悔しい(悲しい)ことなんだよ。
でも、感情がわからないなら、あなたには、心なんて無いってね。
どうせ、辞書で意味はわかっても実感出来ないなら、あなたにはわからないってね。

僕が解釈している悲しみは
「人は心の中に、悲しいが満たされると、溢れだして、涙を流してしまう。
また、その悲しみは、人と人が連鎖するもので、分かち合うという行動にもつながる。
悲しみを分かち合う。
負とも言い、負の連鎖という言葉もある。」
僕は、笑うことでしか、分かち合えないんだ。

僕には、感情が薄いから、だからこそ、考えられることもある。
それは自覚している。
乗り越える悲しみが無いから、ぱっぱと次に進む。
そういうところを見た人は、僕を冷たいと思うんだね。
なんて、非情で嫌なやつってね。
自分と同じものを持っていないからって、差別しないでほしいなぁ。

でも、僕は、100人いたら100人に愛されよう、認められようなんて、それは思っていないし、不可能だ。
僕とは違って、感情が豊かで、それ故に感情に押しつぶされて、こだわって、見つめ続ける人だっているよね。でも、僕はそれでもいいとおもう。
その人の生き方だし。僕には、羨ましい限りだよ。

心が無いってね、そういうのって一つでも欠陥があると、心が無い感じられない人薄い人になるのかな?
何故そういう解釈をする人がいるのだろう。
いろいろな人間が居ても良いよね?
僕は否定され拒絶されることには、慣れっこだから良いけど、僕が存在することまで否定されるのには、我慢が出来ないんだ。

僕のことを理解しようと、近づいてきて、でも理解出来なくて離れていく人もいる。
最期には、何にも言わないで離れていくんだ。
さようならも言わないで。
僕は追いかけないよ。
去る者は追わずっていうのがあるでしょう?
あれと同じだよ。
そして、来るものは拒まず。
僕は心をオープンにしておきたいんだ。

僕がいっぱい心を尽くしても、感情が薄いんだよね!?
どうせわからないんだよね!?=心からじゃないって判断になるのって、いったいどういうことなの?
それなら最初から僕は駄目だってことじゃない。
だったら近づかないで欲しいの。
僕はフェアにちゃんと話しているのに。
これ以上何をわかれと言うの。

心に今までだって、大好きを埋めて来たよ。
ガンガン入れて来たよ。
それでも、感情が、悲しみが理解出来ないのなら駄目だってことなら、僕にはもう手立てが無い。
細心の注意を払おうとしても、僕は人を傷つけることを平気でしちゃうんだよ。
気を付ければ良いと言っても、経験でしか理解できないから。

人を近づけることは、僕は恐ろしいよ。
よほど、心のでっかい人じゃないと、僕が傷つけるかもしれないよ。
だから、僕に関わろうとしたら、僕の危険なところを理解した上で、お取り扱い注意!ってなっちゃうよ。
先にそれを言っておいても、人は肝心な部分で共感出来ないことに混乱しちゃうんだ。

結局、最期は、けだものでも見るような目で僕を見てさ。
あなたとは分かり合えないってなるんだよ。
もう、これは、割り切ってもいいのかな?100人に愛されることなんて無理だもの。
僕は100人の中なら1人でも良いよ。
完全に分かり合うなんて、無理ならそれでも良いよ。
僕が一人じゃ無ければ。

「反社会って、人を利用するんでしょ!ズルいんでしょ!自分さえよければいいんでしょ!生きていることさえ、区別がつかないんでしょ!物と一緒でしょ!」
いったいだからって何を言いたいの。
開き直るしかないじゃない?
僕が人を殺すとでも思っているの?
僕はいつもこうなるよ。
どうしようもないよ。

僕は優しいよ。
でも、僕は、愛すること、好きになることがよくわからないんだよ。
悔しいや、怒りや、楽しいはわかるけど、それしか心に入っていないの。
そうなったら、どうやって人を好きになるのかな。
愛するってなんだろうかな。
僕にはずっとわからないままかな?
だから諦めて離れていくのだろうか。

母の言った「大好き」をいっぱい心に入れるって、でも、本当に「大好き」がわかるわけでもなくて、ただ、感触とか手の温もりで判断するだけなの。
でも、それだと、本当にわかったことにならないって言うんだよ。
だったら、どうやって判断したらいいんだろう。
人からの好意は、大好きに区分けされるの。

僕は、尊敬する人がいるのね。
その人は大好きなの。
それは、その人が凄くたくさん知識を持っていて、考え方、生き方が素晴らしい、見習いたいってことなの。
でも、それは、本当の大好きじゃないのかな?
もっと、キュンって心が締め付けられるものがあるんだって聞いた。
それはどういうものなのだろう。

人を好きになるって、その人がいないと、苦しいんだって。
傍に居たくなるんだって。
ドキドキするんだって。
好きって、苦しいの?苦しいことのどこがいいの?悲しいとは違うの?僕のことを見たら、苦しくなる人も居るんだって。
それが好きなんだって。
混乱しちゃうよ。
好きは、苦しいばかり?

そうしたらみんなは好きになるのって、わざわざ苦しいのに好きになるの?
でも母の言っている好きと違うな。
母は僕のこと大好きって言ったけど、母も実感はよくわからないの。
ぬくもりだよねってことなの。
だから母と僕は握手をするの。
温かいと生きているでしょう?
だからそこに居るんだって感じるの。

祖父が亡くなった時、みんなは泣くのね。
でも僕にはさっぱりわからないの。
涙のひとつも出ないの。
そこには、祖父の抜け殻があるだけなの。
もし、僕にとって「悲しい」はなにかって聞かれたら、一番近いのは、「残念」なのよ。
でも、残念で泣く人いる?いないよね?がっかりだな、ってことなの。

いっぱい畑でね、作物を作って食べさせてくれたんだよ。
祖父はとても、家庭菜園が上手だったの。
僕にいっぱいトウモロコシとか、スイカを作って食べさせてくれたの。
でっかいスイカなんだけれども、とても美味しかったのね。
でも死んだからがっかりなの。
もう食べれないから。
でも涙が出てこないよ。

僕に、もし、障害がなくて、そういう心が深くあったら、きっともっといろいろ感じたんだろうね。
みんなでわぁわぁ泣いて、涙いっぱい出して、誰かを好きになったら、ドキドキして、苦しくなって、不安になるんだよ。そうなったら、僕は、今よりいっぱいの感覚を得ることが出来たんだよね。
残念だなあ。

だから僕は残念な人になるのかな。
この世の中で、感情がどう頑張っても感覚としてわからないのだから。
僕には、人も物も大して変わらないよ。
でもそれが、人には不快なのだから。
でも経験で人からは、恩恵があるとわかっているよ。
でも、それだけじゃ、駄目なんだね。
困るよね。
困って笑うしかないよ。

母も、僕がね、小学校の入学とか卒業とか、他のお母さんが感動して泣いているのに、母は戸惑っていたんだって。わからないんだよ、なぜ泣くのか。
とっても嬉しいことなのに、何故泣くのかさっぱりわからなくって。
僕もそう、感動で泣くなんてまったくわからないよ。
感動する映画は、?ってなるよ。

良い音楽はわかるよ。
あぁ、良い旋律だ、とか、良いリズムだ、とか。
でも、感動はしない。
感動がいまひとつよくわからない。
心地よいって感じはわかる。
自分が落ち着くとか。
でももっとその上の感動がよくわからない。
どうやったら、感動をするものなのか、メカニズムがわからないんだよ。

心が震えるって言うでしょう?
心って震えるの?
振動するの?
揺さぶられるって、いったいどうなっているの?
リスペクトとは違う感じかな?
僕は、感動はわからないけれど、感激(嬉しい)ならわかるな。
あと、感嘆もわかるとおもう。
わぁ、この人凄いや、とか、この物凄いやみたいに、それだけはわかる。

僕の母は、子供が出来たんだから、人を好きになったはずでしょって思うだろうけれども、でも、母は、よくわからなかったって。
いろいろ試してみたけれども、結局よくわからない。
子供のことは、みんなが「大好き」って言葉を、とても存在が大切ですよってことで使っているから、言っているんだって。

僕は恐ろしいよ、間違いなく誤りを犯すよね。
犯罪じゃなくってね。
人を傷つけるってこと。
相手が障害があって、同じ感覚の人ならうまくやれる可能性はあるけれども、もし定型の人だったら、僕は絶対に傷つけるよ。
だとしたら、関わらない方がいいなって思うんだ。
傷つけたくて関わるんじゃないから。

僕はね、母に言った事があるんだよ。
「僕が障害がなかったら、結婚して、子供を育てて、会社に行って、お父さんになるし、おじいちゃんになるし。でも、今はそれが出来ないから、次にそうする。」
って、そうしたら、母は、
「わたしもそうするわ!」
って。
二人とも本当は感じたいんだよね。
絶対に。

心が薄い、感情が薄い、それだけで判断される世の中じゃないのも、わかっているけど、僕に近づこうとする人は、結局ココでつまづくんだ。
辛くなるんだって。
乗り越えられないんだね。
僕は、それを手助けしてあげれないし、どうやっても表現が出来ないからね。
僕が存在するのは、何か意味があるのかな?

僕が、わかったふりを出来れば、もしかして良かったのかもしれないね。
女の子に
「大好き!」
って言われたら
「はい!大好きわかります!」
みたいな。
ちょっと、おかしいかな。
「はい、僕もです!」
って感じ?
そうしたら、嘘だから騙すことになるよね?
僕、嘘へたくそなんだけれども。
演じればいい感じ?

大好き⇒大好きを了解⇒大好きになってください⇒わかりました大好き⇒心がこもってない。
みたいな!
これじゃあ、駄目だよね。
本当に困るよね。
恋愛って、超苦手でどうしようもない。
わたしと居て嬉しい?楽しい?また会いたい?⇒どういう意味でしょうね。
また会いたいって何故僕に聞くの?

反社会性人格障害って、怒りを鎮めるのが大変なんだよ。
自分に不快になってくると、すぐに苛立ってしまうし、損得だけで考えたり、回路がそうなってしまう。
相手がわけのわからない感情ばかり言ってくると、本当に腹が立つんだよ。
それとゲームもしかけたくなってしまう。
これがね、止めるの大変なの。

僕は、人をコントロールしたくなってくるし征服したくなる。
屈服させたくなる。
そして、感情を押し付けられたら、突き放すことしか出来ないよ。
心情を理解することは出来ない。
もし僕から見て、尊敬できる人なら凄い!って思って
「大好き」
に入るけれども大人しくなるだけなの。
刃向うことはしないよ。

今はねかなり抑えようとしているよ。
抑えて抑えて、人は支配しちゃいけないっていっぱい思っているよ。
だから、なんとかしようだなんて、思わなくなったよ。
そうしたら、ちょっと気持ちが楽にはなった。
支配ばかり考えていた時は、苦しかったよ。
思い通りにはならないのだから、手放して良かったもの。

こんな僕は世の中に存在意義があるのか、これからも考え続けるよ。
今はまだ友達も居ないし、家族しか関わっていないから、直接勉強する機会は持てないけれども、いっぱい人に失敗をしているよ。
何故存在しているんだろうって僕は考えたいよ。
まさか、殺人者のために生まれたんじゃないはずだもの。

本当、脳の欠陥なのか、遺伝子がおかしいのか、わからないけれども、世の中には無駄なんてないはずだよね?
神様は意味あることするはずだよね。
僕が、こうやってここに生まれて存在しているのは、どんな意味があるんだろうね。
人は繋がるためにいるんだよね?
だったらそのために居るんだろうけども。

僕は、もしかしてみんなに感覚がわかるってこと、心情がわかるってこと、感情が豊かだってこと、それは素晴らしいことなんだよって、教えるための比較対象だったりするのかな?
持っているだけで良いことであって、悲しみとか分かち合うことを、感覚的に持つ人は凄いんだよってね。
それなら納得できるよね。

違う世界を毎日感じているよ。
違う物の見方をしているよ。
それを僕は、ツイッターで伝えてみて、何かが生まれるのかな?
そうしたら、僕は存在する意味があるのかな?
存在してもなかなか良いことだってなるのかな?
そうして、僕みたいな人も、あなたはそこに存在してもOKですよってことになるのかな?

僕は、発信し続けることがずっと出来るかわからないけど、もうちょっとで、一か月になるんだよ。
少しでも進歩して自分を整理出来ればいいなって思っているよ。
いっぱいみんなの力を借りて整理してみて、自分には何が出来るんだろうって考えてみるよ。
なるべく煩くないように、ただ、冷静に分析するように。

逃げることだけが、全てではないでしょう?
自分から逃げたら、駄目だ駄目だってなっちゃって、逃げたら自分を否定することになって、嘆くことになるでしょう?
そうなったら、存在することがただ、苦しいだけになってしまう。
そうしたら、育ててくれたこと意味なくすでしょう。
だから逃げないよ絶対に。

僕のこと、不安定だって思う人いっぱいいるのね。
でも、僕は正気だから困っちゃうの。
これで、普通なんだから。
いつもいつもいろいろ考えているのね。
人生も自分もいつも考えているの。
だから難しいことばかり考えているように見えるかもしれないね。
ただ、何故か追い求め続けることは止まらないよね。

こうやって、僕が今の自分のこと書けるのって幸せだよね。
抱え込まなくて良いのだから。
好きにたくさん書けるんだから。
ただね、次を考えて行きたいだけだし、僕と同じように存在する意味を考えている人がいるかもしれないよね。
そんな人とも一緒に考えたいよね。
そのためにここに来たんだものね。

僕は物としてっていうか、一応人間だけど、物も意味がそれぞれあるでしょう?
それと同じように、自分も何か使い道あるのかなって、知りたいてことなのね。
感情が薄いぶん、回路がおかしいぶん、もしかして使い道あるのかしらって思っているのね。
それを探している最中なのよ。
それを言いたいだけなの。
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