発達障害なう

ツイッターで、投稿したものをコピーしてあります。

社会問題

【ご注意】このブログ(ツイッター含む)の文章の内容は、僕が障害を乗り越える過程です。現在進行形ではありますので、人によっては不快に思ったり、障害当事者の方は、フラッシュバックを起こす危険性もあります。文章で生々しく当時のことを再現しておりますので、閲覧される場合はじゅうぶんご配慮の上、自己責任でお読みください。また、自傷などは、一切僕はしておりません。
また、このブログに書いてあることは、あくまで、一障害者の発言であり、専門家の意見ではありません。僕の発言だけを鵜呑みにすれば、危険をともなうことになりかねません。そして、僕の文章は、全てを網羅するものでもなんでもありません。そして、発言内容を他者に押し付けるつもりもございません。その点、ご留意の上、お読みくださると幸いです。
【自己紹介】ADHD アスペルガー症候群 強迫性障害 反社会性人格障害 10才で診断。双極性障害は19才で診断。 小1からの出来事をツイートしています。発達障害関連無言フォローします。愛の手帳4(療育手帳B2)障害者手帳1級取得。精神年齢14才。亡母がアスペルガー・ADHD、現在21才。フリープログラマー♂ 2015年6月9日スタート

18才は大人?

来夏の参院選から選挙権が18才以上に引き下げられるので、
自民党の成人年齢見直しに関する特命委員会は、
民法上でも成人年齢の引き下げを検討しました。

酒たばこ「18才から」に反対続出で提言見送りになっていますが、今後どうなるのでしょう。

僕は今18才なので、ちょうど興味もあり、
9月2日にツイートしました。


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【18才は大人?】

僕は18才なんだけど、お仕事しているでしょう?
だから、認めてほしいなってことがある。
まずは、不動産。
部屋を未成年だからって名義人になれないのはしんどい。
保証人をつけてくれっていうのは、わかるけれども。なんだか中途半端だよ。
家賃払うのは僕なのにね。
光熱費だって僕が払うんだし。

選挙権だって、来年の参院選からもらえるんでしょう?
だったら認めてくれること増やしてほしいよね。
今、お酒やたばこや競馬なんかも検討しているらしいけれども、身体に悪いことは後回しでもいいから、実質的なことを先に考えてくれないかな。
それに、なんでもかんでも統一はする必要はないと思う。

不動産の名義も学生でなくて、職に就いているのならって条件ついても良いから18才にしてくれないかな。
お酒は、急性アルコール中毒とか、風紀の乱れなんかもありそうだから、20才からでもいいとおもう。
タバコもそうだよね。
身体に毒だからね。
成長期に与えていいよっておかしいと思うから。

いくつからってラインって、全部同じ年令を基準にすることはないと思う。
選挙とか、本人が責任を取ることについては(刑罰もそうだけど)成人というものは、18才でもいいんじゃないかなとは思うけど、身体に影響のあるものについては、20才でいいと思う。
引きあげてもいいんじゃないかってくらい。

僕もそうだけど、若い人は飲酒やタバコ離れしているらしいから、少し税金が取れなくなっちゃって、予備軍作りで苦肉の策をしようとしているんだろうけどもね。
でもそんなことまったく税金徴収全体の解決になるわけがないよね。
もっと税金の見直しをしなくっちゃ駄目なのにね。
目の付け所がおかしいよ。

そもそも18才ってラインを決めましょうっていうのもね。
だったら、ちゃんとそれなりに18才で責任を取れるように出来ているのかってのは、怪しいでしょう?
いきなりそんなことを決めたところで、土台が無いのにわけがわからないよ。
たった2年だけど、若い子供にとっての2年は大きいからね。

もし、タバコやお酒を18才からOKにしたら、大手を振って高校生もお酒飲んじゃうことになるし。
学校側が、法律では良いけれども、高校生は駄目ですなんて言ってもまともに取り締まれるわけがないよね。
高校三年生の先輩が飲んでいたら、そりゃ、一年生だって絡んで飲むよね。
飲む機会もあると思う。

きっと、高校生の子供を持つお母さんは心配で仕方なくなるよね。
法律に守られている子供達が突然野放しになるのだから。
そして、責任は子供だけで取れないんだから、結局親が困ってしまう。
だったら規制してくださいってなるでしょう?
でもいったん改正したら大変だよ。
なかなか変えられないんだから。

きっと意地でも戻さないでしょう?
そうしたら、浴びるほど呑兵衛の高校生が誕生しちゃうよ。
飲み会なんかも開いちゃって、翌日学校なのに二日酔いで寝坊しましたなんて、シャレにならないよね。
万が一、アル中になったら飲み代が欲しくて、犯罪にも繋がるんじゃないかな。
考えただけでも恐ろしい。

あれこれ考えると、絶対にマズイと思う。
高校は義務教育ではないけれども、今の日本の社会に生きて行くには、基本的に高校卒業しないと職に就けないよね。
僕のように、専門職でなければ本当に苦労してしまうと思うよ。
そういう現実は見ていないのかな?
バランスが悪い法律は社会を崩壊させてしまうよ。

今18才からに改正しましょうか、とかそういうことを話している場合じゃないよね。
そこじゃないよね。もっと大事なことがあるでしょう。
それを解決してからでないと、お話しにならないのに、いったい誰が言い出したのか。
選挙権に絡めて権利権利ってね。
筋が違うよ。
子供を守る権利はどうなったの。

僕は選挙については賛成で、もう決まったことだけど良いことだなって思う。
しかし、それ以外のことについては、慎重に考えなきゃいけないと思う。
簡単にラインを決めちゃって統一するのは馬鹿げている。
頭の悪いことだよ。
荒すぎて世界中に大笑いされちゃうよ。
真似すればいいってものではないしね。

この進んだ文明の社会の中だからこそ、しっかりと子供を守って行く法律なら良いけれども、逆行するとは驚きだよ。
身体に害があるかもしれないものをあえて与えましょうなんて、どうかしているよ。
断固として反対しておかないといけないと思っているよ。
むしろ引き上げてもいいくらいじゃないかな。

高校生はね。
僕は春に卒業したばかりだからわかるけども未熟だよ。
自己管理を完璧に出来るわけがないよ。
個人の自由だって言うのならそれは大人になってからだよ。
大人になるって年令だけじゃないでしょう?
自分の責任を取れるのかってことが大人になるってことだよね。
しかもこの複雑な世の中でね。

大人だってアル中やニコチン中毒になるっていうのに。
賭け事だってそう。
パチンコや競馬で破産したり、家庭が崩壊することだってあるでしょう。
それを問題だと思わないのかな。
まさか親と一緒にやれってことじゃないよね?
いったいどんな意図があるのやら。
お金に目が眩む社会にするつもりかな?

国民総ギャンブラーになっちゃったらどうするの。
もちろん、今若い子はギャンブルもお酒やタバコも離れているらしいけれど、問題はその後だよ。
法律で18才から良いですよって決まったら、間違いなく低年齢で蔓延してくるよ。
小学生中学生に浸透して行くと思う。
甘く考えちゃだめなんだよ。

僕は権利は欲しい。
働いて税金を支払うのだから認めてもらえれば嬉しい。
しかし、害のあるものについては不要。大人が取り締まってほしい。
子供はわからないんだから。
子供をわざわざ危険なものに近づけて何が楽しいんだろう。
自己責任・自己管理っていうものは、子供が被ることではないでしょう。

現代は便利な世の中になってスピードも早いよね。
ネットだってスマホだって当たり前の社会になってきた。
情報社会になってなんでも知っているような気になっちゃう。
ところが、実際には、社会はちっとも成長していないことを自覚しなくっちゃ。
もういい加減に気が付かなくっちゃ。
退化しちゃうよ。

若い世代に押し付けることはやめて、皆で社会を立て直していかなくっちゃいけないでしょう。
問題が多すぎて書ききれないんだよ。
こんなに問題が多すぎる世の中は、はじめて日本は経験していると思うよ。
贅沢なのに、問題ばかり。
だから性質が悪い。
自分の生活ばかり考えていたら、ひっくり返るよ。

僕は一人暮らしをはじめたけど、それだって完璧な一人暮らしじゃないし、完璧な自立じゃない。
まだ親に依存しなくちゃ厳しいし、偉そうにしているわけじゃない。
ちょっと社会に足を突っ込んだからこそ、違和感を感じるんだよ。
ああ、こりゃマズイってね。
ドップリつかると麻痺するんだよ、きっと。

自分のための未来ばかり考えていたら、それはなんにも進歩しない。
自分だけが良ければいいなら、人は一緒に居る社会の意味がない。
利害関係だけの社会ならそれは退化するだけの社会。
人はそんなことを望んでいたんじゃないはずなのに、
そうなってしまったのなら、反省して改良すれば進化なのにね。



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いじめられていると言えない

【いじめられていると言えない】

久しぶりにブログの更新をします。
ツイートはしているのですが、ブログにまとめるのが遅くなってしまいました。


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学校でいじめられている被害者だなんて、
被害者である子供は親や大人になかなか言い出せないものだ。
僕もそうだった。
理由は様々だ。
まず学校の先生が信用できない。
訴えたところで本当に助けてくれるかどうかが不安である。
切実な問題なのだから軽くは口に出来ない。

そもそも、いじめられているのかどうか、最初はわからない、
いや、認めたくない自分だっているのだ。
クラスメート全員に無視されたとしても、
もしかしたら勘違いかもしれないと思うのだ。
まずは様子を見てみようと思うのだ。
そして、もしもいじめられていることが事実なら、更に言い出しにくくなる。

いじめられている自分はみじめである。
そんな姿を誰が堂々と言えるだろうか。
どんなに明るい子供でも、暗くなってしまう。
自分への自信も無くしてしまうし、
もしかしたら何か自分が悪いのではないかとさえ思ってしまうだろう。
だからなるべく隠したい。
自分を極力守りたいし家族だって守りたいのだ。

子供なのに、家族に迷惑をかけたくないなんて思うこと自体
驚くかもしれませんが、ところが子供はしっかりと考えているのです。
自分のせいで家庭が暗くなることは避けたいし、親の期待に背きたくはない。
食卓で暗い顔も出来ない。
極力笑って僕は学校は楽しくて仕方ないと演出せねばならない。

朝、母親に玄関先で送り出されれば、
僕はランドセルを背負って明るく
「行ってきます。」
と言い出かけねばならない。
何一つ母に見抜かれてはいけないからだ。
たとえ、学校に行きたくなくて足が重くても、通学路を歩くしかない。
道草も食いたくなるが、いつまでもブラブラしているわけに行かない。

校門が見えてくれば、覚悟を決めるしかない。
吸い込まれるようにトボトボと歩き、玄関に入れば憂鬱のはじまりだ。
靴を履こうと屈めば、ランドセルがカタカタと言う。
母が用意してくれた筆箱が鳴る。
僕は見えない期待に応えるためにこの後何時間も辛抱し、
耐え続けなくてはならない。
歯を食いしばる。

僕がもし、嫌になってこの場を逃走してしまえば、
せいぜい弱虫と言われ、いじめはさらに悪化するだけだ。
いっそのこと、何もなかったことにしたいくらいだ。
自分の名前を答案用紙に書きながら、この名前を捨てたくなる。
僕は僕でない、違う僕になりたくなる。
「探さないでください。」
という心境だ。

涙のひとつも出ない。
きっと涙も凍ってしまうのだろう。
教室は冷凍庫のように冷たく、クラスメートは能面のような顔にしか見えない。
母は、僕に友達のことを聞くが、適当に返事をして嘘をつくしかなくなる。
まさか、友達がいないとは言えない。
無意識に親を悲しませてはいけないと思うからだ。

僕は、クラスメートに対してうまく付き合えなかった。
それはその当時まったく自覚が出来なかった。
今でさえまだ自分と闘っているというのに、小学生で自覚できるわけがなかった。
そこまで心が育っていないからだ。
それを自分で認めることも出来ずに
わけがわからないのだから、混乱するしかなかった。

自分でもいったい何が起きているのか。
自分は排除されようとしているのかは、薄々は感じていても、それを公には出来ないのだ。
子供にだって、どうしても守りたいものがあるからだ。
うまくやれない自分のせいで大切な家族をがっかりさせたくはない。
飼っている犬にくらいは言えるかもしれないが。

僕に対して同情的なクラスメートだっている。
しかし僕は巻き込みたくはない。
自分のせいでその善い人が攻撃対象になってしまって苦しめたくもないからだ。
僕の味方になってはいけない。
離れるようにそっと言うしかない。
関係ないだろうと突っぱねるしかない。
僕はなんともない大丈夫と言うしか無い。

面白がる者もいる。
遠巻きに眺めているのだ。
クスクスと笑っているもの、はやし立てるもの。
僕から見たらそのクラスメートは加害者と同じだ。
見て見ぬふりをする者もいる。
その者からして見たら僕のことはもう居なくなったも同然の扱いなのだろう。
だから僕も同じだ。
教室で何も感じなくなってくる。

家族の知らないうちに、心はどんどん傷が深くなり、心は無機質になっていく。
家では普通にしていても、休日は笑っていても、
月曜日になれば現実に引き戻され笑顔はなくなる。
そのうちに塞ぎ込んでしまい、隠しようが無くなってくる。
先生に言ったとしても、解決は難しいと思い込んでしまう。

なぜ思い込むのかと言われても、どうしようもない。
子供なりの判断だからだ。それに最善を尽くすもくそもない。
そうして生まれてくるものがある。
怒りと恨みだ。
芽生えてしまうのだ。
二度と許せない。
僕を排除しようとしたクラスメートは
全員居なくなってしまえば良いと思うし和解なんてありえない。

和解なんてありえないのだから、もはや先生に言いつけることもなくなる。
僕が許さないのだから話し合っても無駄なのだ。
僕は他者を信用しないのだから余計にそうなってしまう。
大人に言えばよかったと軽々しく提案しないでもらいたい。
言えるものならとっくにこうなる前に言っている。
そうだろう?

いじめの陰湿さは年とともに増していく。
子供は残酷なことを平気でやるのだ。
僕はそのいじめについて子供の社会だけではなく
大人の社会にも蔓延していると思っている。
人はいじめるのが大好きなのだろうか?
身勝手な支配ゲームをやって優越感に浸りたいようだ。
他者を犠牲にしてまで何が面白いのだ。

大人の社会にもあるのだから、いつまでたってもいじめは無くならない。
根本的な解決を被害者の自発的な訴えにしか求めていないからだ。
「いじめられたら言いなさい。」
なんてまだ馬鹿なことを言っている。
だから弱者であるいじめ被害者の声はかき消されていく。
あきらめるしかなくなってしまうのだ。

そして何も罪もない子供が命を絶ってしまうのだ。
あきらめるしかないからだ。
自分に生まれてごめんなさい。
申し訳ない。
そして家族に謝罪し、恨みと怒りとともに、自分をあきらめるしかなくなる。
生きることに追い詰められてしまうのだ。
いじめは自発的ばかりに頼っては絶対に止めることは出来ない。

いじめが蔓延しているような、陰湿な世の中の何が公平で民主的なのだ。
綺麗でもなければ美しくも無く、共感もなく共有もない。
共存どころか、食うか食われるかの世界である。
肉食動物が共食いでもしているのだろうか?
それを何故子供に押し付けたまま放置しておくのだ。
学校は何を教育しているのだ。

いじめ被害者・経験者として、声を大にして言う。
実際に子供は、
「いじめられているとは言えない」
のだ。
まずはそこからいじめ問題を考えてほしい。
被害者ばかりを見ることも問題だ。
被害者には落ち度はない。
見つめるべきは加害者なのだから。
加害者を出すようなシステムが狂っているのだから。


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障害者から見た自殺問題

今日は、僕(発達障害と反社会)から見た、自殺についてツイートしたいと思います。
苦手な方は、スルーしてください。
(残虐なことは、僕は発言しません。)
そもそも、何故こんなことについて、僕が言いたいのかといえば最近、
子供がイジメで自殺するという痛ましい事件があったからです。


※僕がツイッターでツイートしながら、一気に考え書いた内容です。※
※僕からの視点になりますので、その点ご留意ください。※


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ツイッターでもその件について詳細が出回っていました。
僕は正視すると怒りが爆発しそうだったのでわずかしか情報を見ていません。
何よりも怒りのコントロールで、苦労している僕は世間の情報をなるべく観ないようにしています。
何故僕が怒りのコントロールをするのかと言えば自分自身を守るためです。

僕は、感情の種類が少ないせいか、自身の中に怒りが発生したら、すぐに剥き出しにしてしまう。
温度が急上昇しちゃうのです。
カァーっとなりやすいんですね。
激情する性質は、反社会からだと思います。
すぐ沸点越えします。
事件を目にしたり聞いたりすると一気に怒りに達してしまい暴走してしまう。

別に自分は関係のないことなんだから、あなたが怒ることも影響されることもないじゃない?
と思われるでしょうが、僕は感情だけが自分を支配してしまい、冷静で理性的な判断が鈍るのです。
すると精神が不安定になってしまい、怒りだけが先走ってしまう。
どこまで行っても怒りしか感じなくなってしまう。

そして、この世の中が全部嫌になってしまう。
と言う風に極端です。
そんな激しい僕が自殺を考えたことがあるのか、と言えば考えたことがありません。
障害特性で先のことを読むことが出来ないし、利己的なのですから、死を考えるわけがありません。
しかし、まったく危険性が 無いわけでもないでしょう。

それは、感情の暴走から来る【発作的】なものだと考えています。
その【発作的】に僕が死なないよう、自分を自衛するために、あらゆる刺激を遠ざけているのです。
そうすれば、僕は、自殺の危険性から、自身を守ることが出来ます。
僕にとって一番の脅威は、この【発作的】な衝動だとも言えます。

では、何故人は自殺をするのでしょうか。
僕は事件を聞いて興味を持ちました。
そして、疑問に思ったのです。
自殺は人間が選択する死に方の行為のひとつです。
人は自殺を考えたり、突然死にたくなるには、必ず理由があると思います。
それは、死にたいからではなく、生きるのが困難になったからでしょう。

僕は、死=使えなくなると捉えます。
もしも、家族が死んでしまったら、今までは動いていたのに、停止してしまった。
となると、もう使えなくなる。
僕が困って解決法を知りたくて母に聞いても、停止してしまえば耳も脳も使えなくなっています。
それでは、僕が母から知恵を授かることが不可能になります。

故に残念です。
モノもそうですね。
CDプレイヤーだってCDを読み取れなくなったらダメですし、スピーカーが壊れてもダメです。
故に残念になる。
死というものは、停止なのですから、この世に生きている人と関われなくなります。
僕が死を考えるとしたら、僕がこの世に使えなくなることだ、となります。

しかし、僕は自分が使えなくなることを、使いながら考えません。
新しいパソコンだったら、このパソコンが使えなくなるかもなんて、考えながら使いませんよね。
しかし、老朽化してきたら、そろそろ寿命かなと考え始めるのです。
それが、人間も同じで老化とともに自身の肉体が不安になってきますよね。

肉体的に、老いてからする自殺(肉体への不安)と、
前途ある若い人の自殺(精神的な不安)とは、種類が違うということですね。
そんな理論で、まだ僕は新しいから死を考えないのです。
先の心配は出来ないのですから。
そして、僕が老いたらとしたら、やっぱりその時だけを生きるんだと思います。

それが何故断言出来るのかと言えば、
僕が「刷り込みが無いのと心の余裕」を育て持っているからです。
それは、僕が障害があるからではありません。
ですから、僕は【発作的】な部分だけをカバーすれば、自殺はしないことになるのです。
では、その【発作的】な部分について考えてみたいと思います。


【発作的】

では、肉体的に何の問題もない子供は、理論的には、自殺を考えるわけがないはずです。
それなのに、新しい命・若い命は、何故自殺をするのでしょうか。
発達障害の二次的な障害や、定型の方でも、精神的なストレスで、自殺を考えることがあります。
そこに【発作的】な行為が絡んでくるのです。

僕もそうですがストレスを浴びると、何をおいてもまずはその場(または原因から)から立ち去りたくなります。
人間に備わっている防衛本能だと思います。
精神的ストレスが、自分のキャパシティーを超えるような、モノなら自衛本能が働くのでしょう。
そして【発作的】に、離脱するために実行してしまう。

自分が否定されたと考えれば、居場所を無くせば、様々な感情が爆発し停止したくなってしまう。
その場から立ち去りたくなるんです。
自分を停止したくなりこの場に居たくない。
イコール死に繋がってしまう。
若い人の自殺とは、生きることが嫌になるほどの精神的ストレスが圧迫されることの結果なのです。

【発作的】な原理については、説明が付きますがそれだけではないでしょう。
もうひとつの要因として、人には【刷り込み】があるのではないでしょうか。
もともと生まれて自殺願望のある赤ん坊なんて見たことも聞いたこともありません。
何故願望を持つのか。
それには、育つ過程で問題がありそうです。


【刷り込み】

いくら肉体が若くても、生きることは困難さが付きまといます。
この世の中は、まともに楽しく生きて行こうと思っても、思うだけではちっとも楽しくはない。
どれだけ自分の命の限りで、全力を尽くしたとしても、どうやったって、
家族や周囲の期待に応えることも出来ない場合だってあります。

努力が報われなかったり、絶望したときにもう努力はいいやって停止を考えたっておかしくはないですね。
何故なら自分が社会に存在することが、迷惑と認識し他者のために生きることを止めようとするのです。
自分のことより人のことを考えることが出来るのは、素晴らしいと思います。
僕には到底無理です。

しかし故に命を絶ってしまっては元も子もありません。
またその他者のために死ぬ人もいれば、他者のために生きる選択をする人だって居るのです。
僕は、この世に存在するのは迷惑だから居なくなったほうがこの世のためだ。
僕は、周囲のお世話になった人の期待に応えるために全力で生きなければいけない。

その2つの考えに精神的なバランスを崩せば、偏った選択をしてもおかしくないのです。
幼少期から、この2つの選択において刷り込まれている人だっています。
親に「お前は不要だ。」と言われ育った子。
親に「お前は必要だ。」と言われ育った子。
そうなるとその刷り込みを取り除くのが先になるでしょう。

そう思い込ませた療育なり、教育を取り除くのです。
必要だの、不要だの、人にはあてはまらないからです。
何故かと言えば、人は、そこに「命があって存在していること」
だけが事実であって、そこに事柄は何も無いからです。
僕は、母から何も教わっては居ません。それは教わる意味がないからです。

人は親から生きることだけ教わればいいのです。
では、この【発作的】なことを防止して、【刷り込み】も取り除いたらこれで良いのでしょうか?
僕はこれだけでは、不十分だと考えます。
それは、人というのは、非常に繊細に出来ており、
これだけで肉体と精神のバランスを整えられるとは思えないからです。


【心の余裕】

その繊細さをカバーするのが、【心の余裕】だと考えます。
死ぬのは誰でも恐ろしい。
その恐怖は、人に備わった肉体を守る自衛本能なはずなのに、
もうひとつの自分の精神を守るための自衛本能とのバランスが崩れれば一気に崩壊するのです。
この崩壊を防ぐのが【心の余裕】を持ち育てることなのです。

人はバランスを崩すと、自身のことを考える【心の余裕】などなくなって
【刷り込み】も手伝って思い込み、【発作的】に肉体の停止を選択してしまう。
【心の余裕】とは、肉体のことでなく、精神のことでなく、
自分を繋ぎとめる最後の【命綱】だと思います。
人間が生きていくには、これも不可欠なのです。

肉体と精神のバランスが崩れたときに、
もしこの【心の余裕】があれば、肉体と精神を補って、
自分の防衛本能のバランスが壊れても
この【心の余裕】に寄り掛かれることが出来るのですから。
これから先また若い命が、バランスを崩してしまい
【心の余裕】が育まれていなくて停止を選択する可能性もある。

そんな世の中にしてしまったら、前途ある若い人を失ってばかりの国になってしまう。
肉体は、食べ物を食べていれば育つし、精神は経験と知恵と人の温かさで育つ。
しかし【心の余裕】は、自分を認めることでしか育たない。
自分の分を知り他者に対して常に感謝を忘れなければ人のことは気にならなくなる。

他者を巻き込んで自殺する人は、復讐心や恨みなども含まれている場合もあるでしょう。
存在を認めてほしい自己の欲求が激情してしまうのです。
しかし、実は、生きることに必要なものは、
他者に認められることでは無くて、自分を認めることだと気が付けば
復讐心や恨みは持つことの意味を無くすのです。

人は【心の余裕】を育てることが出来るのです。
そして、若い命には「心の余裕」を育てることもやっておいたほうが
この先逞しく、また自分らしく生きていけるのではないかと僕は思うのです。


これからの日本の前途ある人の自殺を減らすのであれば、
3つのことを実行すると良いのではないでしょうか。

【発作的な行動に至らないようにすること】(精神的なストレスをかけない)
【刷り込みを無くすこと】(療育・教育の時点で無にし、生きることだけ教えること)
【心の余裕を育てること】(自分を認め、他者に感謝すること)
だと、僕は思うのです。
これ以上、悲しい事件は聞きたくありません。

今日本では、自殺は社会問題となっております。
しかし、そのメカニズムさえわかれば、防ぐことは大いに可能だと思います。
僕から人を見たときにこう考察出来ました。
僕は願っています。
未来ある若い世代が、自殺という悲しい選択をしないように。
それだけをただ祈って、ツイートしてみました。




☆ツイート直後の返信より

プライドというものが、邪魔している。
しかし、社会性で、これをオン/オフして調整している。
と、言うものがありました。
現代社会では、そうやって自分を守らねばいけないシーンがたくさんありますね。

また、劣等感というのもありました。
たとえば、容姿であったり、貧困であったりというものです。
年令を重ねるごとに、解消が難しくなるので、厄介だとのことでした。

この二つとも、先に述べた【心の余裕】で補えるようになると良いですね。

社会性に乏しい僕には、わからないことでした。
教えて下さったtinker_imwydex!! さん、感謝いたします。



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